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『科学者になりたい君へ』(佐藤勝彦著)

科学者になりたい君へ』を読みました.著者の佐藤勝彦氏はインフレーション宇宙モデルの提唱者の一人として有名な宇宙物理学者です.

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佐藤氏は宇宙論や相対性理論などに関する多くの啓蒙書を書かれていることでも知られていますが,この書籍は佐藤氏の半生についてまとめられた一冊でした.
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いろいろなエピソードとともに佐藤氏の考え方や若い世代へのメッセージが書かれていてどれも興味深かったため,1時間ほどで一気に読んでしまいました.特に印象に残ったものについて以下に記していきます.


大学院時代にすべきこと

この書籍は河出書房新社の「14歳の世渡り術」というシリーズの一冊ですので,若い世代に向けた言葉が多いのですが,特に大学院生に向けたメッセージが秀逸でした.

大学院の修士課程は「科学者・研究者になるためのトレーニングをする期間」になります.修士課程での研究テーマは,多くの場合は研究室の指導教員から与えられることになります.(中略)

ただし,テーマは指導教員からもらったとしても,「このテーマについて,わかっていないことは何か」は自分で考えなければなりません.そのテーマの中で自分の新たな研究課題を見つけて,それをどう解決すれば良いかを考える,つまり「問題発見能力」と「問題解決能力」を身につけることが大事です.

優秀な学生によくあることですが,他の研究者の論文を読んで「こういうことがわかったのだな」と理解して,それで終わってしまう人がいます.それでは困るのです.そこから進んで「まだわかっていないことは何か」そして「どうすればそれがわかるのか」を考えること,それが科学研究を進める上でもっとも大事なことになります.

これはまさにおっしゃる通りで,大学院のときから意識して取り組むことで研究のタネをたくさん持っておくことはとても重要かと思います.佐藤氏はさらに,博士課程について次のように述べています.

東大時代,私は研究室の院生に向けて「修士では『小さな城』を持ちなさい.博士では城を拠点に出撃しなさい」という指導をしていました.「小さな城」とは,極めて狭い分野であっても,そこについては指導教員も超えるような専門分野という意味です.博士課程では,この城を拠点として,一人前の科学者としてデビューできるようになることが求められるのです.

これは私も似たようなことをどこかで言われた記憶があります.院生の間に「この内容と言えばこの人」といった形で他の研究者に認識してもらえるような得意技を習得して,その後はそれをより深めたり,もしくは対象を広げたりといった形で,縦横に展開していくといったことでしたでしょうか.

ただ,口で言うのはたやすいですが,実際にそれを実現するのはなかなか難しいことかもしれません.小さな城を築くのが博士課程で,そこからポスドクの期間も経てようやく佐藤氏が一人前の科学者として求めているような能力が得られるケースもあるような気がします.ただ,博士号が一人前の研究者としての証のようなものであると考えると,佐藤氏の言うことはもっともなような気もしました.

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また,大学・大学院時代においてやるべきことのひとつに,生涯の友人をつくることを挙げています.これもまさにその通りかと思います.

科学者に限ることではないと思われますが,何か問題を抱えた際に腹を割って相談したり,解決策を議論したりできる友人の存在はとても貴重です.

そしてそうした存在は,お互いに何かを成し遂げる前の若くて無名の頃に知り合った場合に得られるものだそうです.たしかに,私も気付けば加齢と共に,新しい友人を得ることのハードルはとても高くなってしまったように感じます.ある程度の立場になると,新しく知り合った人がどこで誰とつながっているかわかりませんので,利害関係を考慮する必要がありますし,何よりお互いに信頼を築けるだけの時間を十分に取りにくい気がします.自由な時間の多い若い頃に,さまざまな経験を共有して気心の知れた間柄を築くことは,長い人生において大変重要なことのように思います.

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論文執筆の際に気をつけること

佐藤氏がインフレーション宇宙論に関する論文を出版した際に得た教訓も印象に残りました.

宇宙の始めに指数関数的な膨張(インフレーション)が起きたとすると,宇宙の大規模構造のもとになるような宇宙初期の密度ゆらぎの存在を説明できることに佐藤氏は気付きました.いわゆる真空の相転移の際にできたゆらぎがインフレーションによって引き伸ばされることで,大規模構造の「種」になったとする考えです.佐藤氏はこの成果を論文として発表しました.

ただ,佐藤氏はその理論の欠陥にも気付いていました.佐藤氏の理論通りだと,真空の相転移が永遠に終わらない可能性があったのです.そこで,佐藤氏は論文の要旨でそのことについて正直に明記しました.

そこから半年ほどして,アメリカの宇宙物理学者アラン・グース氏が佐藤氏と同種の内容の理論を論文として発表しました.しかし,グース氏の論文では,佐藤氏が明記した欠陥については記されていませんでした.そのことについて以下のように佐藤氏は述べています.

グースさんの論文は,真空の相転移が終わらない可能性があるという理論の欠陥には触れず,それをたくみに避けた論理展開になっていました.そして1年後に書いた別の論文の中で,初めて言及しているのです.

グースさんのやり方を,日本人は「ずるい」と思うのかもしれませんが,これは正しいプレゼンテーションのやり方だと私は思います.(中略)論文は「自分はこういう新しいことを発見した.これはすばらしい成果だ」という点をアピールするものです.解決すべき問題があることに最後の触れるのは良いのですが,それを冒頭の要旨にまで書いてしまった私は失敗だったと反省しています.欠点が先に書いてあるような論文は,他人から見て魅力的だと思われないのです.

若いみなさんは,自分の説のセールスポイントを堂々とアピールする,魅力的な論文をぜひ書いてください.

これもまさにおっしゃる通りのように思います.
毎日多くの研究成果が論文として発表されているため,自身の専門分野に限ったとしても,その分野に関するすべての論文に目を通すことは容易ではありません.多くの研究者は,その日に出版された論文のタイトルや要旨を参考に,その日に読む論文を選ぶと思われます.

理論に欠陥があるのであれば,論文の本文のどこかでは触れるべきです.ただ,佐藤氏の言うように,アブストラクトにまで書いてしまうと読者を減らしてしまうセンスにはたらくと考えられます.時間が限られている中で,欠陥があると明記されている理論について知りたいとは思わないためです.そのため,アブストラクトにまでネガティブな情報を記す必要はないかなと思います.

こうしたことは意識していないとついつい陥ってしまうかもしれないので,留意していきたいと思います.

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Sato (1981), MNRAS, 195, 467-479の表紙ページの一部
https://ui.adsabs.harvard.edu/abs/1981MNRAS.195..467S/abstract


湯川秀樹氏に関するエピソード

著名な研究者とのエピソードもおもしろかったです.
たとえば,強い相互作用の媒介となる中間子の存在を予言してノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹氏に関するエピソード.二つほど記します.

ひとつは佐藤氏が学部4年だった頃に受けた湯川氏による物理学通論という講義での出来事.当時は大学紛争のため,学生運動をしている学生が講義中に教室に入ってきて,「今日の講義をクラス討論に切り替えて欲しい」といった要求をすることがあったそうです.たいていの教員はそうした要求を受け入れていたそうですが,湯川氏はそうした申し出を受けて激怒し

「私の授業を聴きたくないなら,そういう人はすぐにこの部屋を出て行って,下の庭に集まってそこで勝手にやりたまえ」

と宣言したのだとか.当時の雰囲気を私は知らないのですが,学生運動家を突っぱねるような毅然とした態度は,普段から主催する講義に対して真摯に向き合っているからこそ出たものなのかなと思いました.講義を受けるならそうした教員のを受けたいですよね.私も研究だけでなく講義に対してもしっかり責任をもって取り組みたい.

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もうひとつは湯川氏が開催していたセミナーのこと.「混沌会」と呼ばれるそのセミナーは,湯川氏が聞きたいテーマを選んでそれに詳しい人を招待し,研究所の教授たちと一緒に聞くという私的な勉強会だったそうです.

研究を進めていく上で,それまでの積み重ねをさらに進展させていくスタイルは王道かと思うのですが,それだけですとなかなか斬新なアイデアは生まれにくいように思います.職階が上がって所属コミュニティなどから求められる業務なども増えてくるにつれて,新しいことを学ぶ時間や労力を確保することは難しくなってくるのかもしれないのですが,湯川氏にとっての混沌会のような機会を持っておいて常に興味のアンテナを張り続けておくことは,長く研究生活を楽しむ上でとても重要な気がしました.

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小柴昌俊氏に関するエピソード

大マゼラン雲で起きた超新星SN1987Aからのニュートリノをカミオカンデによって検出してノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏に関するエピソードも興味深かったです.

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佐藤氏が東京大学に助教授として着任したのが1982年で,そのすぐ後に小柴氏に誘われて食事する機会があって,佐藤氏がそれまで研究していた超新星起源のニュートリノについて話したそうです.カミオカンデは元々は陽子崩壊と呼ばれる現象を調べるために建設された装置ですが,やがて改良によって太陽ニュートリノ観測もできるようになりました.また,超新星ニュートリノも,銀河系内などごく近傍で発生した超新星であればカミオカンデで観測できると考えられていましたが,超新星が十分近くで発生する確率は50年から100年に1回程度であるため,あまり注目されていなかったそうです.

そんな中,1987年2月23日にSN1987Aが起こります.そして,そのときのエピソードが臨場感があって大変おもしろいです.

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https://astro-dic.jp/sn1987a/

SN1987Aの話を聞いた佐藤氏は,小柴氏とともにカミオカンデを使っていた戸塚洋二氏に電話して,SN1987Aからのニュートリノがカミオカンデで数発以上検出されているはずと伝えました.佐藤氏は,もしニュートリノが検出できていたらそのデータをさらに解析して,佐藤氏が提唱していたニュートリノのトラッピング理論を検証したいと考えていました.

ところが,カミオカンデのデータを記録した磁気テープは,神岡から宅配便で東大に送られたことを知ります.当時は現在のようにデータをインターネットで送ることができなかったため,物理的に磁気テープを運ぶ必要がありました.ただ,世界中の研究者たちがSN1987Aの発生を受けて研究を開始して猛スピードで進めている中で,直ちに誰かがカミオカンデのデータを運ぶのではなく宅急便に依頼したことに対して,そんな悠長なことをしていては他の研究グループに先を越されてしまう恐れがある,と思ったそうです.

実際にイタリアの研究グループがカミオカンデより先に超新星ニュートリノの検出を報告しました.ただ,カミオカンデグループにとっては幸運なことに,その後にイタリアの研究グループによる結果は否定されることになりました.

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磁気テープが東大に届いたのは2月27日でした.なんとこの日はちょうど小柴氏が東大を定年退官するのに先立った記念講演やパーティが開催された日だったそうです.その記念講演やパーティで小柴氏はSN1987Aについては触れませんでしたが,当時大学院生だった中畑雅之氏から,磁気テープが届いたことと,その日徹夜で解析する予定であることを聞きます.

そして少ししてカミオカンデグループによる超新星ニュートリノ検出の論文が発表され,佐藤氏らはそのデータを解析してニュートリノのトラッピング理論を実証することに成功しました.

こういう,その著者だからこそ書ける活き活きとした研究エピソードは臨場感も伝わりやすくて読んでいてとても面白いなと思いました.そして,SN1987Aのようなごく近傍での超新星が次に起きたときに,当時と比べて観測装置の性能も向上し,情報通信技術も向上した時代においてどういった研究成果が得られ,どういったエピソードが生じるのか,興味深いように思いました.

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東大を定年退職後

2009年に東大を定年退職された後の身の振り方についても考えさせられるものがありました.

佐藤氏は東大定年の翌年,明星大学の客員教授として常勤し,週2回ほどはIPMUの特任教授として勤務することになりました.IPMUで常勤で働くことも可能だったそうですが,それは若手研究者のポストを奪うことになると考えた佐藤氏は,明星大学で職を得たこともあってIPMUでの常勤は辞退したそうです.

IPMUは,研究に没頭できる優れた環境を提供している秀逸な研究機関のひとつという印象を持っています.そこに佐藤氏のようなビッグネームが加わることは,多くの優秀な人材が集まりやすくなるというメリットもあると思われますが,常勤ですとたしかに若手研究者のポストを奪うことも意味すると思われます.そうした面を考慮しますと,IPMUの方を週2回勤務とされたのはいろいろな人にとって良い選択だったのかもしれません.

ただ,明星大学・IPMUでの勤務は一年間で終わることになります.佐藤氏が自然科学研究機構の機構長として選出されたためです.

自然科学研究機構は,国立天文台や基礎生物学研究所,分子科学研究所といった幅広い研究対象に渡る9つの研究所などで構成されている組織です.佐藤氏は機構長を6年間務める中で,自然科学研究の振興への貢献を続けていきます.最初に挙げているのが,機構本部や各研究所にURA(University Research Administrator)と呼ばれる役職を置いて,研究活動を協力にサポートできる体制を構築したことです.また,近年盛り上がっている系外惑星研究などを受けて,宇宙と生命という異なる分野を融合したアストロバイオロジーセンターという研究所を新たに作りました.

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https://www.nins.jp/


そして佐藤氏は,2016年4月からは日本学術振興会の学術システム研究センター所長を務め,科研費審査システムの改革(金額の大きい科研費種目では広い分野の研究者で総合的に審査するようにする,科研費の申請書類で実績を列挙させるのではなく研究遂行能力の記述を求める等)に貢献しました.

こうした職務に就くことは,時間の多くを研究以外のことに使わなくてはならなくなるため,研究者としてはもしかしたらあまりうれしくないことなのかもしれないと想像します.ただ,そんな中で公のために尽くす佐藤氏の姿勢は,コミュニティから名誉ある立場に推薦された者にとってあるべき姿を示しているように思いました.



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