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2020年ノーベル物理学賞

2020年のノーベル物理学賞は,ブラックホールに関する研究で大きな貢献をした
・オックスフォード大学のロジャー・ペンローズ
・マックス・プランク地球外物理学研究所のラインハルト・ゲンツェル
・カリフォルニア大学ロサンゼルス校のアンドレア・ゲッズ
の三名が受賞されました.

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ペンローズ氏の受賞理由となった研究成果は,一般相対性理論にもとづいて理論的にブラックホールの形成を予言したこと.

ゲンツェル氏とゲッズ氏の成果は,銀河系(天の川銀河)の中心部に超大質量ブラックホールが存在することを観測で明らかにしたこと.

ぶっちゃけちゃんと知らないことだらけではあるのですが,この機会に少し調べてみたので,書ける範囲で以下にまとめてみます.


ペンローズ氏の成果

ペンローズ氏の成果はいわゆる特異点定理と呼ばれるもので,ブラックホールの内部では一般相対性理論が破綻する特異点が存在することを示したものです.

ブラックホールは,きわめて密度が高くて重力が強いため,物質だけでなく光さえも抜け出すことができない特殊な天体.

一般相対性理論にもとづく最初のブラックホールに関する理論的な予言は,1910年代に一般相対性理論が発表されてすぐにカール・シュワルツシルド氏によって報告されました.いわゆるシュワルツシルド解から示唆されるものです.

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シュワルツシルド解にもとづくと,ある半径より内側では光が脱出できないことが導かれ,その半径はシュワルツシルド半径と呼ばれますが,それはニュートン力学で脱出速度の論理にもとづいて導出される「ブラックホール」の半径に(偶然)一致したりします.

また,1930年代にはロバート・オッペンハイマー氏によって,球対称な大質量星がその進化の最終段階において重力収縮してブラックホールを形成しうることが論じられました.

ただ当時はまだ,特異点形成をともなってしまうようなブラックホールは,あくまでも理想的な状況が実現する場合の理論上の産物なのではないか,と考えられていたそうです.

ブラックホールに再び注目が集まったのは,1963年に宇宙で最も明るい天体であるクェーサー3C273が発見されたときでした.非常にコンパクトなこの天体からきわめて膨大なエネルギーが放出されていることから,そのエネルギー源として,超大質量ブラックホールが考えられたのです.

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そんな中1965年,ペンローズ氏は球対称性という仮定を外した上で,重力崩壊する天体についてエネルギー密度が負でないことを仮定すれば,光さえ外向きに進めなくなるtrapped surfaceができることを示しました.そして,その内側では,密度が無限大で時間や空間が定義できない境界である特異点に向かって崩壊していくことを明らかにしました.これはブラックホール形成が現実的に起こりうることを示した成果と考えられています.なお,特異点から先を記述できる理論は,既存の物理学には存在しないとされています.

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https://jila.colorado.edu/~ajsh/bh/

ちなみに,特異点定理に関する研究成果には,2018年に亡くなったイギリスのスティーブン・ホーキング氏とのものもあるそうです.ホーキング氏が存命ならば共同受賞もあり得たのでしょうか.ただ,ノーベル賞の慣例では同時受賞できる人数は最大3名らしいので,その場合は後述の銀河系の超大質量ブラックホールとは分けられたのかな.

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ゲンツェル氏とゲッズ氏の成果

ブラックホール自体を観測することはできませんが,その強い重力場のもとで運動している近傍の星々の軌道を調べることで,間接的にブラックホールの質量を見積もることができます.

実際,ゲンツェル氏とゲッズ氏はそれぞれ独立に研究チームをリードして,銀河系の中心付近にある星々を長期に渡って観測してそれらの軌道を調べ,銀河系中心にあると考えられていた超大質量ブラックホールの質量を見積もりました.

銀河系は,私たちの太陽系が属している渦巻銀河のことです.太陽系は銀河系において,その中心から約2万6千光年離れたところに位置しています.夜空に観測される天の川は,銀河系の円盤を太陽系の位置から銀河系の中心方向へ向かって見ているものです.

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http://www.miz.nao.ac.jp/vera/content/pr/pr20120925/c01

クェーサーが1960年代に発見されて以来,宇宙物理学者たちは多くの銀河の中心に超大質量ブラックホールがあるかもしれないと考えていました.もちろん銀河系にも.

銀河系の中心は,私たちから見て射手座の方向にあることが知られています.その方向はたくさんの星間ガスやダストが存在しているため,可視光などの短い波長の光は吸収されてしまい観測が難しいのですが,そうした吸収の影響が比較的弱い,波長の長い赤外線や電波などであれば観測することができます.

天文学者たちは,いて座の方向に強い電波源があることを突き止め,いて座A*(Sagittarius A*)と名付けました.そして,それが銀河系の中心に位置していることを明らかにしました.ただ,その周囲は天体の面密度が高く混み合っているため,近くにある星々を観測して,それらの軌道を調べることは困難でした.

1990年代になり8-10m級の大型望遠鏡によってそうした観測がようやく可能になりました.ゲンツェル氏らはチリにあるVLTを,ゲッズ氏らはハワイにあるKeckを用いて,いて座A*周囲の星々をそれぞれ長期に渡って近赤外線で観測し,銀河系中心付近に存在する恒星たちの軌道を調べました.

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https://www.ucolick.org/home/observatories/keck/telescopes.html

一般に,地上望遠鏡による観測では地球大気の影響で星像がぼやけてしまうため,単に口径の大きい望遠鏡を作るだけでは不十分です.その困難を克服したのが,補償光学技術を搭載した新しい観測装置の開発でした.補償光学技術により,地球大気の影響を補正した鮮明な観測データを取得することが可能となり,銀河系中心の星々の位置決定精度を高めることができました.

二つの研究グループは,長期に渡る観測の結果,銀河系の中心付近の星々がきわめて大きい速さでいて座A*周囲を楕円軌道を描いて運動していることを報告しました.

図:1995年から2019年に渡って観測された銀河系中心付近の星々の軌道.★が射手座A*の位置に対応している.

そして,詳細な観測結果にもとづいた計算から,銀河系中心には太陽の約400万倍もの質量を持つ超大質量ブラックホールが存在することがわかりました.


最近の研究成果とまだよくわかっていないこと

最後に,ブラックホール関連での最近の研究成果と,まだよくわかっていないことについて,思いついたものを記しておきます.

■ ブラックホール・シャドウ

少し前に,電波干渉計技術を用いたイベント・ホライズン・テレスコープ(EHT)という国際協力プロジェクトによって,乙女座銀河団にある楕円銀河M87の超大質量ブラックホールに対してブラックホール・シャドウが観測されたのは記憶に新しいかと思います.

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https://www.nao.ac.jp/news/science/2019/20190410-eht.html

これにより,M87中心部にはドーナツ状の放射領域があること,そしてそのサイズが42+/-3 μasであることが確かめられました.これは一般相対性理論から予測されるカー・ブラックホールとよく一致するそうです.

同様の手法により,射手座A*の超大質量ブラックホールのブラックホール・シャドウも観測されることが期待されているみたいです.


■ 超大質量ブラックホールの形成過程

また,他の多くの銀河中心にも超大質量ブラックホールが存在すると考えられていますが,超大質量ブラックホールの形成や成長の過程はまだよくわかっていません.

最近LIGOやVirgoにより重力波天体が多数検出され,比較的小質量のブラックホール連星の合体は観測的に研究できるようになりました.少し前には,GW190521が中間質量ブラックホールの衝突ということで話題になってました.ただ,超大質量ブラックホール同士の衝突が起きていたとすると,その観測はさらに長い基線長が必要になって地球上では難しくなるため,飛翔体を用いた重力波望遠鏡計画が進められているらしいです.

あと銀河進化の観点からは,銀河中心の超大質量ブラックホールの質量は,銀河のバルジ質量と良い相関があることが知られています(マゴリアン関係).このことから,銀河進化と超大質量ブラックホール形成の間には密接な関係があることが期待されますが,まだよくわかっていないのが現状です.


■ 量子重力理論

理論の観点では,なんといっても量子論的効果を含めた特異点の考察が気になるところ.そのためには一般相対性理論と量子論の統一理論である量子重力理論が不可欠とされているそうです.


主に参考にしたWebページ

https://www.nobelprize.org/prizes/physics/2020/press-release/

https://www.nobelprize.org/prizes/physics/2020/popular-information/

https://www3.nhk.or.jp/news/special/nobelprize2020/

https://www.youtube.com/watch?v=Qd_EjUB5IVs


主に参考にした書籍


余談1:シュワルツシルド半径

シュワルツシルド半径Rは,重力定数G,天体の質量M,光速cを用いて以下のように表されます.

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たとえば,M=太陽質量の場合,R = 3 kmとなります.
M=地球質量の場合は,R = 0.9 cmです.


余談2:特異点の先

この記事を書いていて,子どもの頃に「ニュートン」か何かでブラックホールの特異点の先にはホワイトホールがあるかもしれない,みたいな話を読んだことをふと思い出して,ちょっと懐かしい気持ちになりました.

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余談3:ペンローズ過程

ペンローズ氏は特に幅広くご活躍されていて,自転するブラックホールからエネルギーを取り出す,なんていうアイデアも発表しているそうです(ペンローズ過程).そのアイデアは,映画「インターステラー」の中で出てくるんだとか.

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追記1:日本物理学会からの解説

日本物理学会のWebページにも解説が掲載されてました.


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