源氏物語の「浮舟」と川端康成の「雪国」の「駒子」

先週の「光る君へ」では一条天皇と中宮が「大殿ごもり」ます。
で白い装束を二人とも着ておりますが、それはどうしてわかったんでしょうか?もちろん、そのような通達が残されている可能性はあります。文書名は忘れましたが、当時の行事について事細かに記されているものがあったと思います。
 それはそれで、源氏物語の宇治十帖に確かにあるんですよね。
「51帖 浮舟」
第四章 浮舟と匂宮の物語 匂宮と浮舟、橘の小島の和歌を詠み交す
4章4段

なつかしきほどなる白き限りを五つばかり、袖口、裾のほどまでなまめかしく、色々にあまた重ねたらむよりも、をかしう着なしたり。 常に見たまふ人とても、かくまでうちとけたる姿などは見ならひたまはぬを、かかるさへぞ、なほめづらかにをかしう思されける。

と浮舟と匂宮の逢瀬、というか夕顔の時の源氏のように匂宮は浮舟を連れ出し宇治川の橘のなっていることろ、今でも宇治に行けばそれは伝承として特定されています。宇治の小さな館に入り二人は過ごします。その時の文章ですね。
 私はそこらへん読んでいた時、何じゃこれ、川端康成は変更を加えてパクってるじゃないかと思いました。
薫、匂宮が京都を離れ宇治に囲った浮舟に求愛する(浮舟からしてみたら、いたぶられているような気がだんだんしてくる)。
雪国の駒子に毎年、妻子供をおいて通ってくる「私」。駒子に飽き足らず葉子にも様子を見る。何だかねっとりして怖い。
 と通常自分のいることろから離れた先での色恋。男二人女一人を男一人女二人に変えている。源氏物語にも雪国にも男にはより尊ぶべき本妻がいる。匂宮は浮舟に裳をきさせて誰か忘れたけど誰かの女房にして京都に置こうと画策する。薫は出家したい、出家したいと叫びながら叫んでいた相手の八の宮の娘の大君、中君に相手にされずに、身分の低い母から生まれた浮舟に目をつけるる。ここでも大君に似ていることが大事であった。というか確か薫は像まで作ってなかったっけ?
 それはそうと、源氏物語の宇治十帖の先のシーンを読んでいた時思い出したのは「雪国」のこんなシーン:

駒子はそっと掌を胸へやって、
 「片方が大きくなったの。」
 「馬鹿。その人の癖だね。一方ばかり。」
 「あら。いやだわ。嘘、いやな人。」と、駒子は急に変った。これであったと島村は思い出した。

・・・・・確か月明かりの逆光ではなかったか。

駒子には旦那がいたり、死にそうな男がいたりその男と葉子が不穏な感じだったり川端康成は色々話を広げていくつもりだったのかもしれない。駒子の話がうまく纏まったのであそこで終わりとか。この小説は出だしからして超婉曲的なエロ小説です。わかるようになったとき再読して絶句しました。このエロの系譜はより直裁になって村上春樹にも引き継がれるでしょうか。

 そういえば夏目漱石の「明暗」も湯治での元カノとの再会を期待して出かけるところで終わっていた。水村美苗氏による続編はまるで源氏物語の補作の山路の露のように動かなかった話だった。ある意味安心できるかも。
 夏目漱石の頃の男女交際や倫理ってちょっと謎かもしれません。三四郎の初っ端で三四郎に女がついてきて一緒に宿に入る話がありますが、これワーグナーのニーベルンゲンの指輪のジークフリートを彷彿とさせますね。別記事で。(新倉俊一 フランス中世断章 岩波書店 pp142より 新倉俊一は大岡昇平の示唆だとか)

 というわけでだらだら思いつくまま書いてしまいました。源氏物語関係の本を書庫にしまい込んでしまい暑い中取りに入るのが億劫なので適当な記憶の中で書かせていたきお許しください。涼しくなったら書き直すかもしれません。


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