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ゴッホの見た星空(11) なぜ月と金星はペアで描かれるのか?

月と金星

《糸杉と星の見える道》には月と金星が描かれている。金星は宵の明星。月は三日月である。3番目の天体として水星も描かれていたものの、メインの天体はやはり月と金星である。

図1 ゴッホの《糸杉と星の見える道》。1890年5月の作品。 クレラー・ミューラー美術館が所蔵。 https://ja.wikipedia.org/wiki/糸杉と星の見える道#/media/ファイル:Vincent_van_Gogh_-_Road_with_Cypress_and_Star_-_c._12-15_May_1890.jpg

こう書いて思い出すのは《星月夜》である(図2)。実は、《星月夜》にも金星と月が描かれている。ただし、《糸杉と星の見える道》とは異なる点がある。それは、金星が明けの明星で、月が有明月(逆三日月)であることだ。

図2 ファン・ゴッホの《星月夜》(1889年)。ニューヨーク近代美術館に所蔵されている。逆三日月形の月は右上に、金星(明けの明星)は糸杉の中央右に書かれている。
https://www.artpedia.asia/work-the-starry-night/

二つの絵に描かれた月と金星。なぜ、一緒に描かれているのか? そして、もう一つ気になるのは組み合わせである。宵の明星と三日月(《糸杉と星の見える道》)。一方、明けの明星と有明月(《星月夜》)。このペアリングには、何か意味があるのか? ここでは、これらの問題について考えてみることにしよう。

金星の形

宵の明星にしろ、明けの明星にしろ、金星はとにかく明るい星に見える。しかし、金星は星ではない。金星は地球と同様に太陽の惑星である。金星が光って見えるのは、太陽の光を反射しているためだ。自ら光っているわけではない。

 一等星は明るく見える。星がある程度の広がりを持っているように見えるのは、地球大気を通過してくるためだ。星ももちろん大きさを持っている。ところが、数10光年から数千光年も離れているので、点光源のようにしか見えないのである。

太陽は地球から近い星なので(距離=1億5000万キロメートル)、大きく見えている(見かけの大きさは約0.5度)。太陽は直径140万キロメートルもある。

 一方、月は大きさ(直径)が3500キロメートルしかない。しかし、距離が太陽に比べると近い(38万キロメートル)。そのため、たまたまであるが、太陽とほぼ同じ見かけの大きさで見えている(約0.5度)。これが幸いして、月はきれいに太陽を隠すことができる。そのとき、皆既日食が起こる。

 では、金星はどうか。直径は約12000キロメートルあり、月の三倍ぐらいの大きさを持つ。金星は太陽の第二惑星であり、地球の内側を公転運動している。太陽からの平均的な距離は1億800万キロメートルである。したがって、金星は地球に一番近づくとき、両者の距離は4200万キロメートルになる。逆に、金星が太陽の反対側に行くと、一番遠いときには2億5800万キロメートルも離れたところにある。

 ずいぶん遠くにあるように思われるかも知れない。しかし、夜空の星に比べると、圧倒的に近い。そのため、金星はある程度の大きさを持って観測される。金星の見かけの大きさは一番近いときで約60秒角(1/60°)、一番遠いときで約10秒角になる。なお、人間の目は1秒角(1/3600°)の大きさを見極めることができる。ただ、金星は明るいので、その輝きのため、大きさを判断することは難しい。双眼鏡や望遠鏡で金星を見れば、月のように明るい部分の形が見える(図3)。つまり、金星も月のように満ち欠けを見せてくれるのだ。

図3 金星は地球の内側を周る、惑星である(内惑星)。そのため、地球と金星の位置関係は図のように変化する(簡単のため、地球 [中央下にある水色の丸印] は動かないとしている)。宵の明星は三日月形、明けの明星は逆三日月形に見える時期がある(これらの時期、金星は最も明るく見える)。金星が太陽と同じ方向にあるときは(図の上)、月で言えば満月のように見えるはずだが、太陽の光で見ることはできない。一方、金星が地球と太陽の間に来るときは(図の中央)は新月の状態になり、見えない。 国立天文台 https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/topics/html/topics2007.html

金星は太陽が沈んでから西の空に見えるか(宵の明星)、太陽が昇る前に東の空に見えるか(明けの明星)、いずれかになる。宵の明星の場合は普通の三日月型だが、明けの明星のときは有明月型(逆向きの三日月型)に見える。

金星の見え方はゴッホの時代にも知られていた。したがって、天文関係の啓蒙書には説明されていたと考えてよい。星好きのゴッホは金星の見える形を知っていただろう。つまり、金星の形を知った上で、ゴッホは星空の絵を描いていたことになる。

「形」を合わせる美学

《糸杉と星の見える道》には三日月と宵の明星(金星)が描かれている。宵の明星は三日月の形をしている(図1)。つまり、ゴッホは三日月型の天体(月と金星)が仲良く夜空に見えている様子を描きたかったのだ(図4)。そして、歩いている人は二人。馬車に乗っている人も二人。ゴッホはこの絵に「“形としての”ペア」を並べたことになる。見事である!

図4 《糸杉と星の見える道》には三日月と宵の明星(金星)が描かれているが、二つとも三日月型の形をしている。 三日月:https://ja.wikipedia.org/wiki/三日月#/media/ファイル:ComputerHotline_-_Lune_(by)_(9).jpg 宵の明星: https://www.nao.ac.jp/astro/sky/2021/12-topics01.html

《星月夜》の月と金星のペア

《糸杉と星の見える道》には三日月と宵の明星(金星)が描かれているが、二つとも三日月型の形をしていると述べた(図4)。図4を眺めていたら、ふと思いついた。なんと、《星月夜》の月と金星の謎が解けたのだ。

《星月夜》にも金星が見えている。これは夜明け近く、東の空に輝く明けの明星である。明けの明星の形は有明月の形をしている(図3)。つまり、今度は有明月形の天体が仲良く二つ夜空に並んでいたのだ(図5)。絵を見るだけではわからない。しかし、ゴッホはこのことを知った上で、《星月夜》に月と金星を書き込んだのだろう。そうだとすれば、確信犯だ。とはいえ、不快な気持ちはしない。うまくだまされた。それだけのことだ。

図5  《星月夜》。有明月は右上に、明けの明星(金星)は糸杉の中央右に描かれている。この絵ではわからないが、二つとも形は有明月の形で揃っている。 明けの明星:https://www.nao.ac.jp/astro/sky/2020/07-topics02.html

まとめると、次のようになる。

《糸杉と星の見える道》:三日月と宵の明星はいずれも三日月形(図3)

《星月夜》:有明月と明けの明星はいずれも有明月形 [逆三日月形](図5)

結論はひとつ。

「ゴッホは同じ形の月と金星を一枚の絵に描きたかった。」

きっと、誰かの幸せのためだろう。そう思いたい。

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