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ゴッホの見た星空(3) ゴッホはバラ色の星を見たのか?

ゴッホの眼力

皆さんは夜空に輝く星を見て、色を感じることはありますか? 私の経験を言えば、色を感じることはほとんどありません。どの星も白っぽく見えるように感じます。ところが、ゴッホは星の色を楽しんでいたようです。ゴッホの手紙を見てみよう。まず、地中海に面したサント・マリー=ド=ラ=メールで見える夜空。

1888年6月3日 日曜日 または6月4日 月曜日
テオ・ファン・ゴッホ宛
深い青の空に、普通の青より深い青、濃いコバルトブルーの雲や、天の川のように青白い、明るい青の雲がまだら模様を描いていた。この青い背景の中に星が明るくきらめいていた。緑、黄色、白、バラ色の星たちは、僕らの故郷より、さらにはパリよりも明るく、宝石のようにもっときらめいていた。オパール、エメラルド、瑠璃、ルビー、サファイア色と言った方がいいだろうか。海はとても深いウルトラマリン(群青色)の色だ。(『ファン・ゴッホの手紙 II』圀府寺司 訳、新潮社、2020年、226頁)

今度は、アルルの夜空。

1888年9月9日 日曜日 ならびに9月14日 金曜日 (妹の)ウイレミーン・ファン・ゴッホ宛
今、絶対に描きたいのは星空だ。よく思うのだが、夜は昼間よりもずっと色彩豊かでこの上なく鮮やかな紫、青、緑の色調を見せてくれる。
よく目を凝らしてもらえれば見えるが、星のなかにはレモン色のものもあり、バラ色、緑色、忘れな草の青色の輝きもある。そして言うまでもなく、星空を描く際には黒っぽい青の上に白い点々を置いただけでは明らかに不十分だ。
(『ファン・ゴッホの手紙 II』圀府寺司 訳、新潮社、2020年、316-317頁)

 ここに出てくる星の色は次のようになる。

白、バラ色、レモン色(黄色)、緑色、青色(忘れな草の色)、紫

バラ色を赤や橙色だと考えると、虹の七色である“赤橙黄緑青藍紫せきとうおうりょくせいらんし”のすべてをカバーしていることになる。そして、白もある。すごい眼力だ。

可視光の色

私たちの目が感じる光は可視光と呼ばれる。波長でいうと、0.4ミクロンから0.7ミクロンの範囲だ。メートルでいうと、400から700ナノメートル。ここで、ナノは10億分の1を意味する。

図1 可視光帯と可視光の色の関係。波長の長い方から“赤橙黄緑青藍紫”が並んでいる。 https://ja.wikipedia.org/wiki/可視光線#/media/ファイル:Linear_visible_spectrum.svg

星の色は、どの波長帯で輝いているかで決まる。ところがひとつ厄介な問題がある。例えば、赤い星。波長650ナノメートルあたりの可視光で輝いているかというとそうではない。確かにその辺りの波長帯での放射強度は強いのだが、星の光は連続光と呼ばれ、可視光全域に放射されている。つまり、赤い星でも400ナノメートルの光は出しているのだ。

 さまざまな波長の可視光が混ざり合って星が光っている場合、その星の放射は“白色光”になる(図2)。つまり、色は白である。星の色が明快に赤とか青とか決まらないのは、星の放射する光が白色光的な性質を持っているためである。

図2  白色光。さまざまな波長の光が放射されているときに観測される光は特定の色を持たないので白色光と呼ばれる。 https://ja.wikipedia.org/wiki/可視光線#/media/ファイル:Linear_visible_spectrum.svg

もし、赤い色の星があるとすれば、その星はほぼすべての放射を波長650ナノメートル辺りで出していなければならない。その他の波長帯では、放射の強度がほぼゼロでなければ赤い星には見えないのである(図3)。そのような星はないので、宇宙に赤い色の星はない。

図3 赤色の星の放射は波長650ナノメートルあたりに出る。他の波長帯での放射強度はゼロになっている。そんな星はどこにもない。

結論としては「単色系の色の星はない」ことだ。実際のところ、星の放射は星の表面温度でほぼ決まる。星の表面はほぼ熱平衡状態にあるので(熱の出入りがバランスしている)、「黒体放射」と呼ばれる連続光で近似される(図4)。つまり、星はある特定の波長のところだけで放射しているのではなく、すでに述べたように、可視光帯の全域で放射しているのである(弱いながら、紫外線や赤外線も出している)。

図4 星の放射する連続光。各曲線に示されている温度は星の表面温度。太陽の場合は約6000K(Kはケルビンで、絶対温度の単位。0 K = マイナス273℃。)なので、太陽の放射光のピークは500ナノメートル付近になる。 https://ja.wikipedia.org/wiki/黒体放射#/media/ファイル:Wiens_law.svg

確かに、青い光が強めの星や、赤い光が強目の星はある。しかし、それはあくまでも“相対的に”強いだけである。星の光は可視光全域に放射されており、色は目立たなくなる。そのため、際立った色をした星はないのである。

緑、黄色、白、バラ色の星たちは、僕らの故郷より、さらにはパリよりも明るく、宝石のようにもっときらめいていた。

 これはゴッホの目に見えた世界のことである。

星の色とスペクトル型

星の放射光の性質は星の表面温度で決まるという話をした。放射光はおおむね黒体放射で表されるが、歴史的には星の放射光の様子はスペクトル型で表される。米国のハーバード大学で研究されたので、ハーバード分類と呼ばれるシステムが採用されている(図5)。星は質量が重いほど大きく、表面温度も高い。星の色は表面温度で決まり、温度が高い星ほど青く、低い星ほど赤い。質量の重い星ほど、中心部で発生する熱核融合の効率が高いので、より多くのエネルギーを生み出せるので、星の表面温度も高くなるのである。

図5 星のスペクトルに対するハーバード分類。(上)基本は OBAFGKMの系列で、SRNは補助的な分類クラスである。Sはスペクトル中に酸化ジルコニウムの吸収線が見られる星、そしてRとNは炭素などの吸収線が見られる星である。元々はアルファベット順で分類されていたのだが、質量の順番に揃えたのでOBAFGKMの系列になった。(下)星のサイズの比較。OBAFGKM の系列は質量の系列(大質量から小質量)であることがわかるだろう。なお、各クラスは数字の0から9を用いて細分類されている。太陽はG2型である。 (上)http://astro-dic.jp/spectral-type/ (下)https://ja.wikipedia.org/wiki/スペクトル分類#/media/ファイル:Dwarf_Stars.png

星の色の実際

実際に、星の色がどのように見えるか調べてみよう。まず、「オリオン座」の二つの1等星、ベテルギウスとリゲルである(図6)。それぞれ、M型星とB型星である。そのため、ベテルギウスは赤っぽい色に見え、リゲルは青っぽい色に見える。

図6 「オリオン座」と二つの1等星、ベテルギウスとリゲルの写真。ベテルギウスとリゲルのクローズアップはそれぞれ左上と右下に示した。星名の下には見かけの等級とスペクトル型を示した。 (撮影:畑英利)

今度は「さそり座」のアンタレスである(図7)。アンタレスはM型星なので、赤っぽい色をした星に見える。

図7 「さそり座」のアンタレス。クローズアップは上に示した。星名の下には見かけの等級とスペクトル型を示した。 (撮影:畑英利)

全天に1等星は21個ある。それらのスペクトル型は図8のようになっている。

図8 全天にある21個の1等星のスペクトル型の頻度分布。

結局、青っぽい星の放射強度は青い光が相対的に強いだけで、逆に赤っぽい星の放射強度は赤い光が相対的に強いだけなのである(図9)。そのため、綺麗に青や赤い色に見えることはない。星の色がはっきりした赤や青に見えるのであれば、その人の独特の感性だということになる。

図9  (上)青っぽい星の放射強度は青い光が相対的に強い。(下)逆に赤っぽい星の放射強度は赤い光が相対的に強い。いずれの場合も、他の波長帯でも星は光っている。そのため、明確な色は認識できない。

バラ色の星はあるのか?

ゴッホが見た星の色をもう一度確認してみよう。

緑、黄色、白、バラ色の星たちは、僕らの故郷より、さらにはパリよりも明るく、宝石のようにもっときらめいていた。

 これはゴッホの目にはバラ色の星も見えたのである。

では、ゴッホはどのような色の星をバラ色の星だと思ったのだろう。 ゴッホが描いたバラの絵には、白系のバラが描かれていることが多い(図10)。この他にもゴッホはバラの絵を描いているが、ピンクのバラや白い野薔薇の絵などがある。真っ赤なバラよりは淡い色のバラの花の方を好んだように思える。

図10 《静物:バラのある花瓶》1890年5月、サン=レミ、油彩、キャンバス、71.0 x 90.0 cm、ナショナル・ギャラリー(ワシントンDC) https://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Roses_-_Vincent_van_Gogh.JPG

ところが、図10のバラの絵だが、もともとは赤い筋の入ったピンクの花が描かれていた。それが赤い絵の具の劣化で、白い花になってしまったというのだ(『絵を見る技術』秋田麻早子、朝日出版社、2019年、147頁)。

 ひょっとすると、ゴッホの言うバラ色はピンク色なのかもしれない(図11)。ピンクは赤と白を混ぜた色である。星の光でこの配合をすることは不可能である。したがって、ピンク色の星は存在しない。バラ色がピンク色なら、バラ色の星はない。

図11 我が家のバルコニーで咲くバラの花。淡いピンクと濃いピンク。これらの色をした星を夜空に見ることはない。

宮沢賢治の星の色

ゴッホは星にさまざまな色を見て楽しんでいたようだ。ゴッホと同じように星の色を楽しんでいた人がいる。日本の詩人・童話作家である宮沢賢治(1896-1933)である。

 賢治の童話で星の色が話題になるのは『土神ときつね』である。樺の木がきつねに質問する。

「お星さまにはどうしてあゝ赤いのや黄のや緑のやあるんでせうね。」(『【新】校本 宮沢賢治全集』第九巻、筑摩書房、1996年 『土神ときつね』、248頁)

きつねはこの樺の木の問いに次のように答える。

「星に橙や青やいろいろある訳ですか。それは斯うです。全体星といふものははじめはぼんやりとした雲のやうなもんだったんです。・・・」(同上、248頁)

ところがこのあと、星雲の話になり、そして望遠鏡の話になり、結局は次のようになる。

「あゝさうさう、だけどそれは今度にしませう。僕あんまり永くお邪魔しちゃいけないから。」 (同上、249頁)

ということで、樺の木は星の色が何を意味するかわからないままになってしまったのである。この童話が書かれた当時は、星がなぜ輝くか、よく理解されていなかった。そのため、星の色がどのように決まっているのかも不明だった。したがって、きつねに落ち度はない。

ゴッホと賢治になってみたい

星の色が物理的に何を意味するかわかっていなかったが、賢治は星にさまざまな色を見ていた。その意味では、ゴッホと同じである。彼らは星に何を見ていたのだろうか?

ゴッホのみならず、賢治の眼力も私たちの理解を超えたものだったと思うしかない。彼らの五感+第六感は私たちのものとは、まったく違うのだろう。考えてみれば、だからこそ彼らの作品は私たちの興味を惹き、胸を打つのだろう。

近い将来、芸術も生成AIの活躍の場になるのだろうか? その場合、生成AIの五感+第六感は私たちのものとは、まったく違うことが要請される。果たしてそれは実現可能なのだろうか?

 さて、今日はいい天気だ。考えるのはこの辺までにしておこう。

そして、今夜は星を見てみよう。星の色が見えるだろうか?
一晩ぐらい、二人に憧れてもいいだろう。

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