ゴッホの見た星空(1) 《ローヌ川の星月夜》の星空
フィンセント・ファン・ゴッホ
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890;ファンは苗字の一部なのでファン・ゴッホとするのが正しいが、このnoteではゴッホとさせていただく)。フランスのポール・ゴーギャン(1848-1903)やポール・セザンヌ(1839-1906)らと共に、ポスト印象派を代表するオランダの画家である。
ゴッホと言えば、思い浮かぶ絵は《ひまわり》かもしれない。また、《自画像》も有名である。しかし、顕著な特徴を持つ作品をゴッホの絵に見出すことができる。それは星空が描かれた絵である。有名なところでは《星月夜》、《夜のカフェテラス》、そして《ローヌ川の星月夜》などだ。
ゴッホは星空に何を見たのだろうか? また、どんな星空が好きだったのだろうか? ゴッホの研究者らも、これらの問題には関心を持ってきており、いろいろ議論されてきている。
天文学者は絵の研究をしているわけではないが、ゴッホの絵に関心を持っている人は多い。かく言う私たちもそうだ。星空の絵は天文学の研究対象ではないものの、ゴッホがどのような星空を描いたのかは気になるところである。そこで、ゴッホの気持ちになって、南仏の星空を楽しむことにしたい。
まずは、《ローヌ川の星月夜》である(図1)。
《ローヌ川の星月夜》
この絵を最初にとりあげたのは、たくさんの星が明瞭に描かれているからである。しかも、見覚えのある星の配置が目に飛び込んでくる。その配置とは北斗七星である。
アルルは南仏にある町だが、緯度は思ったより高い。北緯43度40分に位置しているのだ。日本でいうと、札幌(北緯43度4分)よりやや北の位置になる。そのため、北斗七星は沈むことなく、一年中見ることができる。秋の夜空の場合、北斗七星の高度はかなり低くなるが、それでも地平線の上に見える。「ローヌ川の星月夜」にある風景は、まさにその様子を見ていると考えてよい。
北斗七星は「おおぐま座」の中にある七個の星々が作る柄杓型の模様である(脚注1を参照)。ゴッホが《ローヌ川の星月夜》で描いた星空が「おおぐま座」であることは、ゴッホが弟のテオに宛てた手紙で確認することができる。一八八八年九月二九日ごろの手紙であるが、該当部分を引用しよう(手紙番号 691)。
正方形に近い三〇号の絵のスケッチを同封する。ついに星空をほんとうに夜のガス灯の下で描いた。空は青緑、水はロイヤルブルー、地面は薄紫だ。街は青と紫。ガス灯は黄色で、水面の反映は金褐色から緑がかったブロンズ色までのグラデーション。空の青緑色のひろがりには大熊座が緑とバラ色にきらめいて、その淡く控え目な輝きはガス灯のどぎつい金色と対照的だ。
(『ファン・ゴッホの手紙 II』圀府寺司 訳、新潮社、2020年、334頁)
この手紙の中に「大熊座」が出てくる。一見して北斗七星と思われたものは、やはり北斗七星でよかったのである(北斗七星は「おおぐま座」の方向にある7個の星で構成される。なお、星座名にはひらがなかカタカナを用いることになっている)。
なぜ南西の空に北斗七星が見えるのか?
これで一件落着。そう思ったのだが、実はそう簡単ではないことがわかった。ゴッホが眺めていたのは北の空ではなく、南西の空だったからである。このことは絵に描かれた川岸の風景でわかる(図2)。
ローヌ川はアルル地方では北から流れ、南西に向きを変えて地中海に至る。この絵が描かれた場所は、北から南西へと流れを変える直前の場所なのだ。ゴッホは川の東側の岸から、南西へ流れていくローヌ川を見ていたのである。
困ったことに、北斗七星は南西の空に見えることはない。では、なぜ《ローヌ川の星月夜》に北斗七星が描かれているのか? これが《ローヌ川の星月夜》にまつわる謎である。
北斗七星ではないのか?
当然のことながら、この謎については、いろいろ議論されてきている。最も簡単な解決策は次のようなアイデアである。「ローヌ川の景色は南西方向を見て描いた。しかし、夜空の様子は北の空に見えている北斗七星を描いた。」この場合に問題になるのは、なぜ敢えて北斗七星を描いたのかということである。
北斗七星は柄杓型という特徴的な星の並び(アステリズム)である。夜空に似たようなアステリズムがあって、南西の空に見えているものがあれば、それを描いた可能性がある。
秋の夜空に見える「柄杓(ひしゃく)」
秋の夜空に見える柄杓型のアステリズムは四つある(図3)。
1 北斗七星(「おおぐま座」)
2 小びしゃく(「こぐま座」)
3 南斗六星(「いて座」)
4 秋の大びしゃく(「ペガスス座」+「アンドロメダ座」+「ペルセウス座」)
これら四つの柄杓の形と見かけのサイズを比較してみよう(図4)。「秋の大びしゃく」は北斗七星の倍近い大きさに広がって見える。一方、南斗六星と「小びしゃく」は北斗七星に比べると小さな柄杓だ。
柄杓の水を掬う部分である杓の形を見ると「秋の大びしゃく」と北斗七星とでは形が大きく異なる。まず、「秋の大びしゃく」では正四角形に近い。さらに、水の注ぐ口の部分の間隔が底の間隔に比べて狭いことである。この特徴は「小びしゃく」にも見られる。柄が反り返っていることも特徴だが、「秋の大びしゃく」と「小びしゃく」は柄杓というよりは、斧のような形をしている。つまり、北斗七星とは根本的に形が異なっている。さらに、「秋の大びしゃく」は大きすぎる。北斗七星と見間違うことは、普通はない。
見える方向は違うものの、《ローヌ川の星月夜》に描かれた7個の星は北斗七星だろう。
実は、天文学者の海部宣男(1943-2019)は北斗七星と断定している。
「ローヌ川の星月夜」をつくづく眺めていたら、広い川の真上に大きく描かれていた星空に、正しく北斗七星が輝いていることに気づいた。
海部宣男(『天文歳時記』角川選書、2008年、171頁)
さらに海部は周辺の星も調査した(『天文歳時記』角川選書、2008年、171頁)。
私は念のため、自宅のパソコンでサン=レミからローヌ川越しに見た星空を調べてみた。十月はじめころなら、夜十時前後の星空にぴったりだ。北斗だけではない。ゴッホは星々を、実に正確に写していた。
(註:正確にはサン=レミではなくアルル、またゴッホが《ローヌ川の星月夜》を描いた時期は9月である。しかし、海部の調査結果に影響は与えない。)
そこで、実際に《ローヌ川の星月夜》に描かれている星々の配置を実際の星空と比較してみることにした。その結果を図5に示す。北斗七星の7個の星以外にも、実際の星空にある星々とほぼ同じ位置に描かれていることがわかる。
描かれたすべての星が実際の星空にある星と対応できるわけではないが、これだけ一致していれば結論は出る。
《ローヌ川の星月夜》に描かれたのは北斗七星の見えていた北西の夜空である。
追記:ドナティ彗星
《ローヌ川の星月夜》を眺めていたら、似たような光景を見た記憶があった。調べてみると、彗星のイラストだった。
ゴッホが5歳の頃、大彗星ドナティ(C/1858 L1)が出現した(図6)。図1の右上に見えるのは北斗七星である。まるで《ローヌ川の星月夜》と似た構造だ。
5歳の子供がこの夜空を見たら、記憶に残るはずだ。19世紀最大の彗星とも言われるこの大彗星だが、ゴッホがこの彗星を見たかどうかは不明である。
1858年と言えば、日本では江戸時代が終わろうとしていた頃である(明治維新は1868年)。ドナティ彗星は当然日本でも見ることができた。京都の岩倉にある実相院にはこの彗星の観測記録が残されているという。長い尾を引いたこの彗星が、世界のあちこちで話題を集めた証左である。
ただ、ゴッホは彗星を絵に描くことはしていない。
閑話休題。
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