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ゴッホの見た星空(6) 《星月夜》の渦巻は渦巻銀河M51なのか?

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《星月夜》の渦巻

ゴッホの名作《星月夜》は不思議な絵である。なぜなら、夜空には大きくうねる渦巻模様が描かれているからだ(図1)。誰しも、夜空に渦巻を見ることはない。

図1 ファン・ゴッホの《星月夜》(1889年)。ニューヨーク近代美術館に所蔵されている。 https://www.artpedia.asia/work-the-starry-night/

この渦巻はいったいなんなのか?

note「ゴッホの見た星空(2) 《星月夜》の星空」(https://note.com/astro_dialog/n/n7e5788762bc9)で紹介したように、次の六つの説がある。

1 天の川
2 渦巻銀河M51
3 太陽
4 幻覚
5 宗教観
6 セーヌ川

ここでは「渦巻銀河Modified51」説を紹介しよう。

ロス卿は星雲に渦巻を見た

まず、重要な疑問がある。それは「ゴッホはなぜ渦巻銀河M51の姿を知っていたのか?」という疑問だ。

渦巻銀河が認識されるようになったのは米国の天文学者エドウイン・ハッブル(1889-1953)が「アンドロメダ星雲が天の川銀河とは独立した銀河である」ことを発見した1925年のことだ。ゴッホが生きていた時代(1853-1890)、渦巻銀河の存在は知られていなかった。

第3代ロス卿(ウイリアム・パーソンズ;1800-1867)は口径183センチメートルの反射望遠鏡を製作し、天体の精密観測に挑戦した(図2)。その中で、彼は渦巻星雲M51のスケッチを残した(図3)。実は「渦巻星雲」という言葉を初めて使ったのはロス卿だった。

図2 (左)ロス卿、(右)ロス卿が製作したリヴァイアサンと呼ばれるニュートン式の反射望遠鏡。まるで巨大な大砲のように見える。これだけの施設を作るには財力だけでは駄目で、頭抜けた知恵が必要だったはずである。 ロス卿の写真 https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィリアム・パーソンズ#/media/ファイル:William_Parsons_Earl_of_Rosse.jpg リヴァイアサンのイラスト https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィリアム・パーソンズ#/media/ファイル:BirrCastle_72in.jpg
図3 (左)ロス卿の残したM51のスケッチ(『星雲の観測(Observations on the Nebulae)』に掲載された)、(右)ハッブル宇宙望遠鏡が撮影したM51。 ロス卿のスケッチ。 https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/exhibition/051/ https://library.nao.ac.jp/kichou/archive/SC117/kmview.html ハッブル宇宙望遠鏡による子持ち星雲の写真 https://www.spacetelescope.org/images/heic0506a/

このロス卿の発見を一般に紹介した人がいた。フランスの天文学者カミーユ・フラマリオン(1842-1925)である。彼は著名な天文学者であると同時に、天文学の啓蒙書もたくさん書いた人だ(図4)。

 ロス卿のM51のスケッチを紹介した啓蒙書本の名前は『Merveilles Celestes: Lectures Du Soir』、日本語にすれば『不思議な宇宙:夜の講義』になる。パリの友人が探し出してくれた本だ。パリの古書店で買ったとのことだが、値段はなんとわずか10ユーロ(約1500円)だったそうだ。

図4 (左)フランスの天文学者カミーユ・フラマリオン、(右)ロス卿のM51のスケッチを紹介した啓蒙書『Merveilles Celestes: Lectures Du Soir(不思議な宇宙:夜の講義)』の表紙。 https://ja.wikipedia.org/wiki/カミーユ・フラマリオン#/media/ファイル:Camille_Flammarion.003.jpg

ロス卿のM51のスケッチはクエスチョン・マーク(?)に似ていたので、巷で話題になった。ゴッホもその話題に惹きつけられたのだろう。結局、渦巻星雲M51の姿が《星月夜》に反映されたと考えられているのである。では、ゴッホはロス卿のスケッチをどのように《星月夜》に反映したのだろう。

見破られた渦巻

ここで、美術史家の宮下規久郎による『不朽の名画を読み解く 見ておきたい西洋絵画70選』(宮下規久郎、ナツメ社、2010年、190頁)に出ている文章を見てみよう。

色彩と筆触が共鳴する情念の風景

うねる波のように渦巻く空に、まばゆいばかりの月と満点の星がきらめく。その夜空に向かって、炎のように燃え立つ一本の黒い糸杉が描かれている。煌々と輝く星が大地を照らしながらも、空の不穏な動きはゴッホの不安な心を表し、糸杉は深い闇となって、彼の心を覆う。すべてを呑みつくし、滅ぼすかのような恐ろしいまでの強大なエネルギーを放つ星雲の逆巻く夜に、ゴッホは、宗教と自然の相克、病の発作への恐怖、不安や孤独に苛まれる自らの悲痛な心を重ねた。これは、彼の情念が捉えた幻視の夜景である。その一方で、深いしじまに瞬く星や月、その輝きがもたらす自然の神秘さと壮大さに魅せられ、なんとか己を保ち、行きたいとの生への希求を塗り込めた。

ここで着目したいのは“強大なエネルギーを放つ星雲の逆巻く夜に”という文章だ。根拠は示されていないが、宮下は《星月夜》の絵に星雲を見たのである。また、星雲は逆巻いているという指摘がある。実は《星月夜》にある渦巻星雲の姿はロス卿のスケッチとは逆に描かれているのだ(図5)。このことはドナルド・オルソンとラッセル・ドウシャーが指摘した(Sky and Telescope 1988, October, 406-408)。

図5 (左)ロス卿のM51のスケッチ、(右)ゴッホの《星月夜》。渦巻の巻き方が逆になっていることがわかる。

宮下は《星月夜》について次のように述べている。

宗教と自然の相克、病の発作への恐怖、不安や孤独に苛まれる自らの悲痛な心を重ねた。・・・「生」と「死」の苦悩という宗教的感情を自然の風景をモティーフに表そうとした渾身の一作である。(『不朽の名画を読み解く 見ておきたい西洋絵画70選』宮下規久郎、ナツメ社、2010年、190-191頁)。

宮下は《星月夜》を“見ておきたい西洋絵画70選”のひとつに選んだ。ゴッホの描いたたくさんの絵の中から一枚だけ選んだ絵。それが《星月夜》なのだ。美術史家から見ても《星月夜》は特別な一枚になっていることを知った。

 一枚の絵に学ぶことは多い。

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