見出し画像

自称「漕艇学部」卒業です

4年前にお世話になったエッセイ教室に、今年からまた通うことになりました。隔週で1本約1200字。こちらでもボートのことを書いています。

 ◇◆◇

卒業は今から48年前になります。社会人になり自己紹介などで、「ところで学部はどちらで?」と聞かれて「自称・漕艇学部です」とよく答えていたことを思い出しました。

最初に入社した会社の副社長面接では、いきなり
「君はボートをやっていたそうだが、何番を漕いでいたのかね?」
と聞かれ、
「はい4番ないしは6番でした」
「それはどういうポジションなのかね?」
「クルーのエンジン、パワーポジションです」
といったやり取りをしたことが記憶に残っています。
この面接が功を奏したのか、それからは営業最前線でのサラリーマン生活を過ごし、あっという間に20数年の年月が過ぎました。

50歳の区切りを迎える時に、諸々あって早期退職する決断をしました。その時、親身に相談に乗ってもらったのは、漕艇部の艇庫で共に生活をした3年上の先輩でした。先輩とは退職後20年を迎えた今でも、何かあるとあの時と同じように連絡相談しています。

人生2度目の会社では「漕艇学部卒業」のおかげで、体力充分と見込まれ、製品の販売促進に繋がる社を挙げての取り組みで、ヨーロッパや中国へ出張をしました。その時にお世話になったドクターや上司とは、今でも会うと楽しい思い出を語り合ったりします。

還暦を過ぎ組織人最後の3年間は、兵庫県の外郭団体で県内の林道の観光資源化のための基礎調査そして林道ツーリズムを計画したりしました。今でもその時に完成した山や森の情報満載の「県全域林道ツーリズムマップ」は私の貴重な宝物の1つです。採用面接時に橋渡しをしていただいたのは年次で16年下の漕艇学部後輩でした。彼とは今もHAT神戸でのボート普及活動のボランティアを共にしています。

思えば人生の節々で「自称・漕艇学部卒業」という学歴に救われてきました。

ボートと関係して多くのことを経験し学んだ中で最も私を勇気付けてくれた格言があります。それはアメリカの鉄鋼王と言われ、カーネギーホールとして名前を残している、アンドリュー・カーネギーの言葉です。

「わたしは人生のすべての事をボートから学んだ」

彼はこの言葉を残すとともに、母校プリンストン大学に川をせき止めた湖・カーネギー湖を遺贈しました。その湖でプリンストン大学ローイングクラブをはじめアメリカナショナルチームが今も練習しているのです。

彼の言葉に触れ、母校への寄贈湖の話を知った時、カーネギーのボートマンシップに深く感動、納得し、ボート普及活動の励みにするとともに、ボート競技を知らない人に積極的にご紹介するようにしています。
何時かこんな素晴らしい物語が日本にも生まれる日が来ることを深く願っています。

2022/03/01
アストロケン

前回「スーラ描く「グランド・ジャット島の日曜日の午後」を夢見て

感動エッセイはこちら


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?