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「麒麟がくる」に見る経営者の悲哀

いよいよNHK大河ドラマ「麒麟がくる」が佳境に入ってきました。明智光秀の視点、松永久秀の視点、羽柴秀吉の視点、帰蝶の視点。先週の「松永久秀の平蜘蛛」は色々な役柄によって色んな見方が出来る、とても面白い回でした。十兵衛謀反フラグも色々と立ってきていましたが、いよいよ信長との亀裂が広がり、本能寺へ向かっていく印象を与える内容でした。

それぞれの視点での考察を書きたいところですが、話があっちこっちに行ってしまいますので、今回は「織田信長の視点」で見る「松永久秀の平蜘蛛」について。

経営者は孤独

もうこの一言に尽きます。これが見事に描かれていてとても深かった。便宜上経営者と表現しましたが、トップに立つものあるある。いわゆる「王様は裸」状態。これはいつの時代もそうであり、今現在も経営者達は孤独です。

私自身、極めて小さな零細ベンチャーでしたが、孤独感は多少なりとも感じました。ただ、まだまだ小さな組織でやっていましたので、目の前には仲間が居ましたし、大きな組織の経営者とは比較にならないくらい孤独感は少なかったと思います。と言うのも、私を支援してくれていた方がいわゆる大きな組織の長までのし上がった方。私自身そう思っていましたが、こういう方は外から客観的に見ると周りには仲間や支援者に囲まれていてとても充実していて、煌びやかな印象を受けます。そう、安土城の天守に鎮座する信長がそう見えるように。ですが、中に入ってみると実際はまさに麒麟がくるで描かれている信長状態。人は山の高みを目指している段階は良いのですが、実際に登ってしまうと周りには何もない、誰も居ないことに気づきます。誰も指摘もしてくれない。そして高みまで登り詰めた自信からか、指摘を無下にしたりもします。上から下の指示は出し続けますが、下から上への進言は聞かない。自分のやりたくない話は力でねじ伏せる。そういうことをすると、どんどん離れていきます。このことは現代のワンマン経営者もほぼ全て当てはまると思います。ダメな経営者の典型例のようですが、実に多くの経営者がこの状態に陥っています。みんなの輪の中で協調しながら事業拡大している例はほとんど聞いたことがありません。勿論、稀有な例として無くはないのでしょうけれど、99%以上は大なり小なり信長状態だと思います。少なくとも、私が見てきた経営者は100%そうでした。

経営者はそういうものという覚悟が必要

今回はその経営者の悲哀がとても分かりやすく描かれていました。では、経営者を目指す若者はどうすればいいのか?信長的ではないやり方はないのか?

私自身、それを模索し続けています。例えばダイソーの社長はネットで見る限り極めて理想に近い、新しい経営者像を提示しているように見えます。実際は存じ上げないため内実は分かりません。こうした稀有な例から学んでいく姿勢は大事でしょう。

ですが、99%以上の経営者がそうしているように、そもそも経営者とはそういう者だと覚悟を決めてしまうのが手っ取り早いかもしれません。1%になるより99%になる方が圧倒的に楽ですから。事業拡大すればするほど人は離れていき孤独になっていくものだと覚悟を決めた上でそこに生き甲斐を求める生き方。これが一番手っ取り早い方法だと考えています。

幸福な生き方=経営者なのか?という問い

そこで、私の投稿でいつも書いている「幸福論」との関係性がポイントになってきます。そもそも、自分にとっての幸福とは何か?これをまず定義付けしたほうが良いと思います。この定義は時に変わっても良いと思います。今現時点で思うもので良いと思います。

例えば、私であれば家族です。妻や子供と他愛もない会話や遊びを楽しんだりする。そのことに最高の喜びを感じています。出来る限り、この時間を優先したいと思っています。

そういう人間にとって、登り詰めて孤独になっていくことは幸せでしょうか?そうです、地位や名誉やお金を得ることと幸福感は必ずしも相関しないのです。いやむしろ負の相関関係にあると言っても過言ではないのです。ですので、私の現段階の結論は、経営者に再挑戦して不幸になるリスクを負うより、(今は)現在の幸福を大事にしたい、ということです。

経営者であれ、芸能人であれ、収入の多い人は総じて多忙です。そういう多忙な中の空き時間を家族との時間にうまく活かしているような方も居ます。これはこれで凄いことですが、収入の大して多くない私より家族に割ける時間は絶対的に少なくなります。私はこれを両天秤にかけた時に、少なくとも今は家族の時間を優先したいと考えています。

私もかつてそうでしたが、昔の仲間は名だたる大企業勤めや官公庁、医者等をやっている人が沢山居ます。彼らと収入レベルを比較したらおそらく私は最底辺です。ですが、幸福感で言うと(勿論他人の幸福度は知り得ませんが)負けていない自信があります。負け惜しみに聞こえるかもしれませんが、今はそれで十分だと思っています。たまたま行き着いただけですが、幸福の核心をついているような感覚を覚えています。

私はかつて経営者を目指し、事業拡大を狙っていました。いつかまた再チャレンジするかもしれません。先のことは何とも言えませんが、過去と今を比べて、挫折した後の今の方が遥かに幸福感が強いです。これはあまり誰も教えてくれません。なぜなら、こういう思想はともすれば競争力を失うからです。国家単位で考えればそうですが、一個人単位で考えれば、やはりまずは自分の幸せだと思います。大きな夢や目標を掲げ、その山の高みを目指して邁進するのも勿論素晴らしいことですが、一旦俯瞰的に考え、そうすることによるデメリットも理解し、最終的に自分の幸福感はどっちに向くのか?そういう仮説をしっかり立ててから、行動された方がいいかもしれません。孤独になろうがなお、地位や名声やお金を得ることで見える世界もあります。それを優先する覚悟が持てるのであれば、是非チャレンジすべきだと思います。そこの考察を自分の中でやってから行動したほうがいいのではないでしょうか、という提案です。私のように、無鉄砲に夢を追い、挫折し、幸運にも幸せな場所に落ち着く、ということもあるかもしれませんが(人生はつまるところ運)、決してスマートなやり方ではなかったと反省するところもございますので。。

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