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京都市立美術館裏で「きみたちは泥棒と同じや!」と言われる
私のホームランド、京都
コロナのこともあって毎年最低でも2度は帰省していた京都に約4年ぶりに帰省し、年末年始を実家で迎えることができた。
元旦に姉夫婦と一緒に平安神宮に初詣でに行った。元旦の平安神宮詣では私の帰省時の恒例の行事である。そこには実家から10分程度で行けるのが嬉しい。
平安神宮に向かう右手前に京都市立美術館がある。看板を良く見れば「京都市京セラ美術館」となっている。なるほど、京都市も金欠状態でスポンサーが要るのだと思ったりした。京都市もここ2-3年はコロナにより観光収入が間違いなく減っている。このことによるのだろうと。
そういえば、数年前、もっと前かな、京都会館もロームシアターとなっている。コロナ前から財政難だった?
その京都市立美術館、いや京セラ美術館の荘厳な建物を見て遠い昔のことを思い出した。
私が小学校5年か6年の頃、美術館裏の敷地で発掘作業が行われていた。その敷地の整備をするにあたってたまたま発掘したのか、もとより発掘が目的で結果として整備をしたのかはわからない。
その発掘をしているというニュースをクラスの友達が持ってきて「一緒に発掘現場に行こう」という流れになった。私を含めて4人のクラスメートで日が落ちてから学校の校門前に集まり、皆で美術館に向かった。学校からは10分もかからない。
美術館の裏側にある庭園の北側にあたるその場所にはロープで囲いが施されていた程度で、なんなく入ることができた。そして、出るわ出るわ、日常に使われていたという陶磁器類のかけらである。我々はそれらの価値はわからない、ただ古いお皿や茶わんを発見したということである。
それなりの収穫もあったので、皆で帰ろうとした折、「こらこら、きみたち!」という声が聞こえた。おまわりさんである。「ここで何をしているのだ」、「なにそれは、きみたちはそれらを盗み出したのか」という厳しい口調。「きみたちの行為は泥棒といっしょなんや」というお叱り。
そこから、職質が始まった。といっても、住所氏名と学校名を控えられただけだが、せっかくの収穫品を手放すこととなった。陶器のかけらをもとの場所あたりに戻して、皆それぞれ肩を落として家路についた。
翌日、登校しクラスの席に着くと、担任の先生が皆の前で、昨日の私たちの出来事について報告を始めた。おまわりさんから、つまり警察から学校に連絡が入ったと言うことだ。
いつもトレパンのようなズボンをはき、子供たちに元気づける言葉を発してくれる先生は私たちをしかりつけなかった。女性の先生で40歳は過ぎていたと思われる。彼女はむしろ歴史に興味を持って行動を起こしたことに評価してくれるような口ぶりで事の経緯をクラスの皆に話しだした。
それを聞いたある生徒(小学生だから児童と呼びのが正しいだろうが)が「ぼくも昨日そこに行って、陶器をいくつか発見して持って帰った」と。
先生がよくよく尋ねてみると、それらの陶器の破片はわりとかたまっていたので、簡単に発見できたということだった。
なるほど、つまりそのクラスメートは私たちがおまわりさんからおしかりを受けた後にやってきて、我々が置いて行った、つまり返却したものを持って帰ったのだと思われた。
その経緯を把握した先生はその子に、「その持って帰ったものを皆に(私たち4名のこと)分けてあげてください」と予想を超えたお言葉。
つまり、盗んできたものを返さずに皆でわけよう、ということである。大岡裁きに匹敵する、なんと素晴らしい判断なんだ!というような思いと同時に、それで良いのかなという思いも沸き上がりもした。
実際、翌日その子はいくつかの茶わんや皿の破片を持ってきて、私たちと分けることとなった。その子はどんな気持ちだっただろう?
後で知ったことだが、これらの陶器は冷泉家のものであったと聞いている。ただ、この美術館があるこの地は平安時代には法勝寺や六勝寺のような大きな寺があったところである。正確なところはわからない。
なお美術館裏の敷地はもともと池のある日本庭園が施されており、その北側の発掘現場はその後ちょっとした憩いの場所として整備されている。
ちなみにこれらの陶器(破片だが)は私が高校にはいったおりにはすでに手元には残っていなかったように思う。どこに行ったのだろう?
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