あの夏のパねえわたし
小学生のある夏、わたしはめちゃくちゃ本を読んでいたのだった。
暑く長いなつやすみ。
40冊くらい読んだ。
よくある伝記ものと、ものがたりを中心に、とにかく読んでいた。
そして1冊ずつそれぞれの感想文も書いたはずだ。
模造紙に書いて貼って、なつやすみの作品として出したと思う。
そう、それは読書感想文としてではなく「作品」になっていた。夏休み読書感想文マラソン、とでもタイトルつけたい感じだった。
だって、模造紙を複数枚貼り合わせたもの一面に、短冊に書かれた作品名、作者名があって、隣に縦書きの感想文が1枚。
そのセットが、びゃーーーーーーーっと貼ってあるのだから、圧巻だ。
なーにをそんなに夢中になっていたのか。
たしかに戦国時代の武将や、世界各国の、努力を惜しまずに大成した偉人たちの人生を読むのは面白かった記憶がある。冒険ものや主人公が時間を行き来するファンタジーにも夢中になった。
それにたしかにこどもの時からインドア派で本を読むのはきらいじゃなかった。けど。
けどねえ。
1日1冊は読んでいる計算になる。
そんなことできっか?
なぜその夏だけ、わたしの読書量ハンパねえって!になっていたのか。
そんなことを考えていて、どうしてなんだろうとつぶやいたら、母が言った。
それってわたしが肺炎で寝ていたときだね。
そうか。
そんなこともあったかも。
その夏、母が肺炎で倒れていた。
そこまで重くなかったのか、入院せず家で静養していたのだが、寝込んでいた。
昼間、母が寝ている部屋をのぞいたときの、外の明るさとは対照的な、閉め切ったカーテンのうす暗い赤の色がよみがえる。
父はモーレツサラリーマンだったし、今と違って、妻が動けなくても仕事を休むような時代ではなかったので、北海道から母の父、つまり祖父がこども二人の面倒を見にやってきていた。
祖母ではなく、祖父。祖母が暑い内地に行くのをためらったので、炊事もできる祖父が来てくれていた。
母が具材に選ばなかった茄子の入った味噌汁や、ごまを楽しく一緒に擦ったことを思い出す。
そのころ町にできたハンバーガーショップにも初めて連れて行ってもらい、いもうととよろこんで食べた。
祖父はコーヒーを飲みながら、にこにこしてわたしたちを見ていたが、それしか頼まないことを不思議に思ったりした。
祖父といもうとと楽しく過ごしたなつやすみ。
なぜなんだろう、そういう記憶だった。
だけど、具合の悪い母をおいていちにち遠出はもちろんできないし、家にいる時間が長かったのだと思う。いもうとのように、外で遊ぶのはもともとすきじゃないし、かといって普段のように家に友達をよぶわけにもいかず。
そして、いま思えば、本に熱中することで寂しさや不安を紛らわせていたところがあったのだろう。
壁にもたれて、じっと本を読むわたし。
思いがけなく思い出して、なんだかせつなくなってしまった。
だいじょうぶだよ、おかあさんはすぐによくなるし、そんなきもちもすぐわすれちゃうくらい、こころからたのしいこともこれからたくさんあるよ。
と、あの夏のわたしをぎゅっと抱きしめてあげたくなった。
暑さもこれから。みなさまも無理なさらず。
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