三大テノール
デパートの催し物会場に三大テノールが来ると聞いて、日曜の午後、車を出すことにした。まさかこんな地方都市のデパートに三大テノールが集結するなど考えられないことだが、折り込みチラシにはきちんとそう書いてあるのだから、来るのだろう。
ガラガラの駐車場に車を止めて五階の連絡通路から本館へ入る。しばらく来ないうちにすっかりテナントの数が減って、何もおかれていない空間がいたるところにある。いや、むしろ何もない空間の中にときどき店があるといったほうが正確かもしれない。
人気のない通路を蛍光灯の光が白々しく照らし、店の中では怠そうに腕を組んだ店員たちが、ぼんやりとどこか遠くを見ているようだった。
エスカレーターで七階に上がった。かつてはさまざまな催し物が開かれ、大勢の人が詰めかけていた場所だが、今は何の飾り付けもなされていない巨大な会議室のようだった。
開場の中央はパーテーションで仕切られていて、その入り口に置かれた看板に「三大テノールはこちら」と墨で書かれた紙が貼られていた。
パーテーションに近づくと、女性店員がお腹の前で手を組み合わせ深々と頭を下げた。
「いらっしゃいませ」
デパートの店員はみなこのおじぎをする。
軽く会釈を返しながらパーテーションを抜けると目の前のテーブルに、小さなかごが三つ置かれていた。
それぞれに文鳥、リス、カメレオンが入っている。
たしかに三大テノールだった。
かごをそっと覗き込むと文鳥が愛らしい口を開けてチチチと鳴く。そういえば子どものころ実家で飼っていた文鳥もなかなかのテノールだったことを思い出した。あの文鳥はいつまで飼っていたんだっけ。
「いかがでしょう?」
灰色のスーツをきっちりと着こなした男性店員がにこやかに尋ねてきた。
「リスはいいけれど、カメレオンはどうなんでしょうね。カメレオンよりはカメのほうがよさそうじゃありませんか」
「ええ。たしかに、そうおっしゃるお客様もいらっしゃいます」
「インコもテノールですよね?」
「ええ」
「文鳥はわかりますけど、なんでこれが三大なんですか?」
「いやあ、私にもそこはちょっと。あ、失礼します」
店員は笑顔で首を軽く傾げたままその場を離れ、別の客の元へ近づいていった。
もう一度かごを覗き込む。かごの中の三大テノールは人間のことになど興味がなさそうで、それぞれのかごの中で好きに振る舞っていた。
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