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弱った者は

illustrated by スミタ2022 @good_god_gold

 昼食を摂りながら雑誌をめくっていると、急にパチパチと何かが弾けるような音が耳に飛び込んできたので、砂原は思わず窓の外に目をやった。
「あっ」
 あんなに晴れていたのに、いつのまにか雨が降り始めている。
 砂原は半分ほどかじったサンドウィッチを皿に放り投げ、すぐにサッシを引き開けてベランダに飛び出した。慌てて洗濯物に手を伸ばす。
 天気予報では夜から降ると言っていたのに、どうやら神様の気が変わったらしい。
 大きく広げていたタオルは、さすがにいくぶんか水を含んでしまっているので、このまま部屋干しにするが、軒下のピンチハンガーに吊していた下着や靴下はまだ濡れてはいなかった。午前中の光をたっぷり吸い込み、しっかりと乾いている。
「おお、よかった」
 砂原は取り込んだ洗濯物を手早くたたんで、箪笥たんすの中へ次々と押し込んだ。いちいち綺麗に畳んだり順番を入れ替えたりするのは面倒くさいし、どうせ取り出すときに引っ掻き回すのだからこれで構わないのだ。
 靴下にしても、似たような柄のものがたくさんあるが、同じものを見つけて一つにまとめる気など砂原にはない。履くときに選べばいいのだし、少しくらい左右の柄が違っていたって誰も気づかない。そもそも靴下はなぜか片方だけ失くなるもので、むしろ、きちんと揃っているほうがおかしいのだと砂原は思っている。
 手からこぼれた靴下が一枚、はらりと床に落ちた。かなり傷んでいる。口ゴムは伸び切っているし、爪先のかがりもほつれて何本もの黒い糸がひょろりと飛び出していた。拾い上げると親指のあたりには小さな穴が空いていて、かかとの生地もかなり薄くなっている。
 さすがにこれは捨てようかと一瞬思ったものの、もう一度履いて完全にダメになってからでもいいだろうと考え直し、砂原はその傷んだ靴下をそのまま箪笥の中へ投げ入れた。
 
 不意に目を覚ました砂原は腕を伸ばして枕元の携帯に指を触れた。ふわっと灯る画面に時刻が表示される。午前四時。
「んー」
と、声にもならない唸り声を上げ、砂原は寝返りを打った。ぼんやりとした頭が何かを感じ取ったらしく、しだいに意識がはっきりとしてくる。
 カリカリ。カリカリ。
 どこからか、引っ掻くような音が微かに聞こえていた。
 ゆっくりと布団を除けてベッドの上で上半身を起こすと音はぴたりと止まった。耳を澄ましても、もう何も聞こえない。それでも砂原が動かずじっとしていると、やがてカリカリという硬い音がまた聞こえてきた。砂原は首を左右にゆっくりと動かし、音の聞こえてくる方向を確かめる。どうやらこの奇妙な音は箪笥の中で鳴っているようだった。
 そっと起き上がりベッドから足を下ろすと、その僅かな動きに気づいたように音が再び消える。なんだか根比べをしているようだ。
 砂原は静かに箪笥へ近づき、抽斗を引き開けた。
 押し込まれた服の一番上に、あの傷んだ靴下が乗っていた。踵から足の甲にかけて糸が引き抜かれたように薄くなっている。あちらこちらに大小の穴が空き、布が引き千切ちぎられていた。ゴム口から足首は形すら残っていない。
 傷んだ靴下のすぐ横に同じ柄の靴下がいた。こちらはあまり傷んでいないようだ。
 砂原が息を潜めたまましばらく抽斗を覗き込んでいると、やがて傷んでいないほうの靴下はぐったりしている靴下に近づき、爪先からゆっくりと食べ始めた。
「うわあっ」思わず声が出た。

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