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世界を救うもの

illustrated by スミタ2022 @good_god_gold

 司令部にけたたましいアラート音が鳴り渡った。通常のアラートではない。異世界からの侵入者を知らせる緊急警報である。
「レベル四とは尋常じゃないぞ。いったい何ごとだ」
 普段は冷静沈着な態度で知られる長官だが、今ばかりは険しい顔つきでメインモニターへ駆け寄り、思わず大きな声を出した。
「どうやら強力な侵入者が出現したようです」
 大小様々な計器を確認しつつ振り返った分析官の顔も長官に負けず劣らず険しい。画面の光を受けて、顔が青く染まっている。
「これは何だ?」
 長官はリアルタイム空撮映像を映し出すモニターを指した。映像の一部が黒い影のようになっている。
「どうやら超質量を持つ異世界生物のようです。周囲の物質をどんどん取り込んでいます」
「場所はどこだ?」
「第三合同省庁の南およそ一キロの地点をゆっくりと官邸方面へ向かっています。このままでは官邸どころか官庁街全体、いや、やがては全世界が、あの生物に取り込まれてしまうでしょう」
「全世界だと?」
 隊員の報告に長官は絶句した。
「どうしましょう? やっぱりまずは隊員を派遣しますか?」
 赤ら顔の副長官が揉み手をしながら尋ねた。現場を指揮する管理官は副長官だ。もしも隊員に何かあれば責任を負わされるのは彼なのである。
「あのう、私のこれまでの経験から言いますとですね」
 副長官はそう言って胸を張った。でっぷりと太った腹の肉が、金色のボタンを引き千切りそうなほど強く制服を左右に引っ張る。
 副長官の思惑はわかっていた。面倒なことは省略して、さっさと次のステップへ進みたいのだろう。次のステップは隊員の活動ではないため、そうなればすべて長官の責任になるのだ。
「いや、ここは手順どおりに進めよう」
「はあ」副長官の顔が曇る。
「私としてもすぐに次のステップへ進みたいが、ここで我々が何もしなければ、この部署は不要と見做され、来年の予算がつかなくなるだろう」
「ああ、それはいけませんな。ではさっそく隊員を出しましょう」
 副長官はパタパタとスリッパの音を立てながら、中央の指令ブースに腰を下ろした。卓上のマイクを手前にすっと引き寄せる。
「あー、あー、マイクテス、マイクテス。みなさん聞こえていますか?」
「はい」
「聞こえています」
 無線の専用チャンネルを通じて外にいる隊員たちの声が入ってくる。
「えー、みなさんお疲れさまです。先ほど、異世界からの侵入がありまして、ただいまですね、えー、レベル四のアラートが発令されております」
 モニターに映る影がジリジリと官邸へ近づいていた。長官は額に冷や汗が浮かんでいるのを感じた。もしもあそこをやられたら、国の機能が完全に麻痺するじゃないか。そうなればこの組織も私の地位もウヤムヤにされる。いや、そんな保身を考えている場合じゃない。全世界の危機なのだ。どうあっても侵入者を止めなければ。
「各方面と綿密な検討を行った結果、これは世界の危機だという結論に達しまして、我々としては、この侵入者を確保もしくは処分して、異世界へ送致することにいたしました」
 ここで副長官は一度言葉を切る。
「つきましては、手の空いている秘密戦隊員のみなさんは」
 副長官は急にあらたまった声になった。妙に芝居がかったアニメ風の口調になる。
「総員、すぐに現場へ向かい、異世界生物に対処せよッ! 世界を救うのだあッ!」
「ラジャー」
「えー、隊員のみなさんは、くれぐれも安全第一でお願いしますよ」
 司令室のドアから数名の隊員が駆け出していくの満足そうに見届けてから、副長官は再びマイクに顔を近づけた。
「えー、特殊車両と特殊航空機は出動できますか?」
「はい、いつでも大丈夫です」
「整備も問題ありませんね?」
「もちろんです。完璧に整備済みです」
「わかりました。では、両方とも出動をお願いします」
 秘密基地の別館が隠されている海岸沿いの壁の一部がゆっくりと開き、特殊航空機が飛び立った。地上も一部が左右に分かれて開き、特殊車両がせり上がってくる。
「えー、十一時二十二分、秘密戦隊が全員出動しました。車両と航空機も同時に出動しました」
 副長官がいちいち声に出すのは記録に残すためである。たとえ秘密戦隊とはいえ、今どきは透明性と法令遵守が厳しく求められるのである。特に莫大な費用のかかる特殊な乗り物の使用には最新の注意が必要なのだ。巨大ロボに至っては、あまりにも国会での追及が厳しいため、導入以来まだ一度も出動させていないほどである。
 長官は現地から入ってきた映像の映るモニターを指差した。
「あれは?」
「形状と色彩からみて、どうやらあれが侵入者のようです」
 大きさは人間の子供ほどだが、どうみても図鑑に載っている古代の恐竜そっくりである。
「大きなツノもあるし、尻尾にもトゲトゲがあるし、かなり強そうだな」
「はい。あれ、絶対にむちゃくちゃ強いヤツですよ」
 分析官が嬉しそうに言う。
「そうそう。ビームとか出しそう。マジで世界の危機ですね」
 隣の分析官も話に加わってくる。
「ねー」
「ねー」
 異世界生物が一歩足を進めるたびに、すぐ後ろにできた巨大な黒い影が、周囲のものをどんどん取り込んでいく。どう考えても、秘密戦隊では対応できる相手ではなさそうだ。
「あれは、ヤバいです。ヤバい顔をしています! 凶悪な顔です!!」
「車まで吸い込んでいます!」
「口から焔のようなものを吐いていますッ!!」
 すでに現場近くにいる隊員たちからは、引っ切りなしに無線で連絡が入り続けていた。
「副長官」
 そう言って長官は背後の指令ブースを振り返った。
「はい?」
「すぐに攻撃しよう」
「え? もう攻撃します?」
「もちろん形だけで構わない。でないと次のステップに進めないだろう」
 何ごとにも手順があるのだ。あとから追求されたときにも、我々はやるべきことをやりましたと言えるように、きちんと記録は残しておかなければならない。透明性と法令遵守である。やったことをやっていない、やっていないことをやったと、あとから記録を改竄しようとする役人もいるが、それは許される行為ではない。
「まもなく国道に交差します」
 コンピューターで進路解析をしていた隊員が報告した。
「現場のどなたか、聞こえますか? ダイナミック光線銃で生物を止められませんかね?」
「こちら現場の渡師です。ダイナミック光線銃を使うんですか? あれに?」
「はい、お願いします。それと航空チーム」
「こちら航空チームの砂原です」
 ノイズまみれの声が聞こえる。
「砂原さん、ハイパーミサイルは射てそうですか?」
「いやあ、ちょっと無理ですね。巨大生物ならまだしも、あれだけ小さいと狙うのが難しいです。周囲の建物に当たる可能性もありますし」
 砂原は冷静に答えた。
「そうですよねえ」
 副長官は納得したように大きくうなずく。
「じゃあ、危険だからハイパーミサイルはなし」
 長官も同意を示すように軽く首を縦に振る。
「こちら渡師です。できるだけ近くまで来たんですが、これ以上は難しいです。影に吸い込まれてしまいそうです」
「じゃあ、そこからダイナミック光線銃を撃ってください」
「えっ? ここからですか? 届きませんよ?」
 長官がそれでも構わないと手で合図を送る。
「はい、大丈夫です。そこから撃ってください」
 部屋の奥から隊員が声を上げる。
「生物が進路を変えるようです。交差点で曲がって国道に入るようです」
「その先には何があるんだ?」
 長官が聞く。
「まるや食堂です」
「あああ、まるや食堂! それはいかん!! それはダメだあッ!!」
 副長官が悲鳴にも似た大声を出した。
「渡師君、早く、早く光線銃を撃って」
 マイクに向かって怒鳴る。副長官にとっては、世界の危機よりも食堂の危機のほうが重大問題なのである。
「えっ? もう撃ちましたけど?」
 無線のスピーカーから戸惑った声が返ってきた。
「撃ったんですか?」
「はい。ぜんぜん届きませんでしたけど」
「わかりました。それじゃ全員撤退してください」
「了解です。全員撤退します」
 副長官が指令ブースの椅子からすっくと立ち上がった。
「長官、秘密戦隊は手を尽くしました。スーパーヒーローの要請をお願いします」
「よし、わかった。すぐにスーパーヒーローの出動を要請する」
 長官は足早に司令室を出て、七階から一階まで階段を一気に駆け降りると、そのまま隣のビルまで走り、エントランスに飛び込んでエレベータのボタンを押す。
 十九、十八、十七。エレベータはゆっくりと降りてくる。十四。十四。
 どうやら十四階で誰かが乗り降りしているのだろう。しばらく止まったままになる。
「ああ、時間がないのに!」
 長官はエントランスの端にある非常階段の扉を引いた。一段飛ばしで四階まで駆け上がり、管理課と書かれた扉の前に立った。肩で息をして呼吸を整える。
「よし」
 扉のノブに手をかけた。まだ息は切れているが一刻の猶予もない。世界の危機なのだ。
 長官は異世界生物が出現した瞬間からスーパーヒーローを要請するつもりでいた。だが、ある程度戦ってからでなければ、スーパーヒーローがいればいいと思われる可能性がある。それでは秘密戦隊の存続に関わる。秘密戦隊は秘密戦隊なのにまったく秘密ではないところに矛盾があって、ここまで我慢したのは、つまりは世論対策なのである。
「はい?」
 パソコンに向かっていた男性が顔を上げてこちらを見た。
「お疲れさまです。秘密戦隊長官の木寺です」
 カウンターの前に立って長官は静かに帽子を脱ぐ。
「スーパーヒーローの出動をお願いします」
 のっそりと立ち上がった男性は、カウンターの上に乗っているノートを広げた。ノートには鉛筆で縦に線が引かれていて、升目ごとに時刻やら番号やらが書き込まれている。
「えーっと、いつですか?」
「今からなんですが」
「いやいやいや」男性は鼻で笑った。
「それは無理でしょう。スーパーヒーローだってスケジュールがあるんですよ。一週間前までに要請してもらわないと。基本のルールはご存じでしょう?」
「ですが、異世界生物が出現して、官庁街を移動しているんです」
「それはあなたたちで何とかしてくださいよ。そのために秘密戦隊があるわけでしょう」
 そう言ってノートを閉じようとした彼の手を長官が掴んだ。
「ちょっと、何ですか!」
「このままだと、官庁街どころか全世界が消滅します」
 長官の声が耳に入ったのか、ほかの職員たちも一斉にこちらへ顔を向ける。
「いいですか、木寺さん。異世界生物が何をしようとも、うちの責任じゃないんですよ。そういうのはぜんぶそっちの責任ですから」
「街が消えるんですよ?」
「いやあ、ほらね、下手にスーパーヒーローを出動させて、逆に何かあったら今度はうちの責任になるじゃないですか」
 長官の顔が真っ赤になった。額に脈がプツプツと浮かび上がる。
「うちはちゃんと手順を踏んでるんですよ。だったら、そちらが拒否したと記録してもいいんですね。えーっとお名前は?」
「はい? 名前とは? 私のですか?」
 男性はとぼけた声を出しながら、慌てた仕草で胸の職員証を手で隠そうとする。
 が、長官の目は一瞬のうちにフルネームを読み取っていた。
「丸古三千男さん。スーパーヒーロー管理課の丸古さんですね。丸古さんがスーパーヒーローの出動を拒否したと。これは公式の対応なんですね?」
「いやその、ちょっと待ってください」
「それでは、公式に拒否すると、あなたの名前で一筆お願いします。ちゃんとハンコも押してくださいよ」
 淡々とした低い声だが微かに震えていた。硬く握った拳は真っ白になっている。
「こっちは手順を踏んで、要件を満たしてるんです。法的には何の問題もない。それをあなたが拒否するのなら一筆いただかないと。人命が失われたのは、あなたのせいだとわかるように」
「そんなの無理ですよ」
 口を尖らせて男は小声で言った。そのまま視線を逸らして壁のカレンダーを見る。
 長官の目がキュッと細くなった。
「待てよおい、どうして無理なんだよ? え?」
 口調がいきなり荒くなる。
「お前ぇが一週間前に要請しないと出せねぇって言ったんじゃねぇかよ。おい? 違うか? ああ?」
 バンッ。怒鳴りながら両手で机を激しく叩く。
「いや、その」
「だったら、それを紙に書いてハンコ押せって言ってんだよ、このボケが!」
 バンッ、バンッ、バンッ。
「街がッ! 人がッ! 世界がッ!」
 バンッ、バンッ、バンッ、バンッ、バンッ。
「一刻を争うんだよォォォッ!」
 机を叩き続ける掌が破れて、丸古の額に血が飛んだ。
「あのう、よろしいでしょうか」
 不意に部屋の奥から声が聞こえた。

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