広島のおじさん
illustrated by スミタ2022 @good_god_gold
給食後の昼休みに、風介が一冊の雑誌を鞄から取りだし、拓也に渡した。
「これ」
毎月出ているモデルガンの専門雑誌だ。
風介には中学生の兄がいて、その兄からもらった雑誌をこうしてときどき学校へ持ってくるのだ。以前はみんなで回し読みをしていたのだが、いつも最後には拓也が家に持って帰ることになるから、最近は最初から拓也に渡すことにしていた。
「いいじゃん、これ。おーい、みんなで見ようぜ」
拓也に言われて男子六、七人のグループが教室の隅にぞろぞろと集まり、雑誌を覗き込み始めた。まだ雪はそれほど積もってはいないが、さすがに元気な男の子たちも十二月のグラウンドでは遊ぶ気にならないのだ。
ノボルも仲間と同じように教室の隅へ移動した。本当はモデルガンに興味などないのだけれども、そんな態度を見せようものならグループから外されるか、標的にされるかのどちらかに決まっているから、とりあえず好きなフリをしていた。いや、好きなフリをするというよりも、興味がないことを気づかれないように気をつけているのだった。五年生になって、ようやくいじめられなくなったのだ。何とかこのままグループに混ざっていたい。
「やっぱ銃はリボルバーだよなあ。カッコいいよなあ」
拓也がなぜか得意気に言うと、周りの何人かが中途半端な笑い顔で頷いた。
「何言ってんだよ。オートマチックのほうがカッコいいじゃん。スライドを引くのとか、マガジンをはめるのとかさ。メカって感じがするじゃん、な」
そう言って治夫は同意を求めるように周りの数人を見回すが、誰も何も言わないままだった。拓也の意見に正面から反論できるのは治夫くらいのもので、ほかの男子たちはたいてい拓也の言いなりになるのだ。
「お前、バカじゃねーの」
拓也は治夫の頭を拳で小突いた。
「痛ぇな、叩くなよ」
「オートマチックってのはジャムるから信用できないんだよ」
「でも、今どきのハンドガンは、ほとんどジャムらないって言うぜ」
「だから、お前はバカなんだよ。もしも敵の前でジャムったら終わりじゃん」
もう一度、拓也は治夫を小突いた。
「叩くのはやめろって言ってんだろ、おお?」
治夫が片腕を伸ばして拓也の襟元を掴むと、一気にグループ内に剣呑な雰囲気が流れた。
ノボルはめんどう臭くなって何気なく自分の足元を見た。靴紐が解けかけている。そもそもピストルを手にして敵と向かい合う可能性などまったくないのに、どうしてこんなことで言い争いをするのかまるでわからない。ノボルはしゃがんで靴紐を結び直し始めた。
「俺はコルトガバメントが欲しいわ」
不意に傅が大きな声を出した。傅はどちらかと言えば治夫派だから、話題を変えて拓也の怒りを静めようとしたのだろう。
「何だよ、お前もオートマチックがいいのかよ」
拓也がジロリと傅を睨み付ける。
「いや、コルトだったらパイソンもいいけどさ」
「だろ。やっぱりコルトパイソン357マグナムだろ」
「うん」
次第にみんなも自分の欲しいモデルを口にし始めた。
俺はベレッタがいい。S&Wだってカッコいいじゃん。リボルバーなんてダメだよ。やっぱワルサーP38だろ。はあ? お前ルパンかよ。グロックが一番カッコいいよ。
「ノボルはどれがいいんだ」
「僕もリボルバーがいいかな。357マグナム」
いきなり拓也にそう聞かれてドギマギしながらノボルは答えた。拓也と同じことを言っておけば標的にされることもない。普段はこのグループに入れてもらえているけれども、何か気に入らないことがあればすぐにグループから外されてターゲットにされるので、常に拓也の機嫌をとっておくことが何よりも大事なのだ。
治夫が傍らでぼんやりしているトシに顔を向けた。
「当然、お前はオートマチックだろ?」
「えっ、えっ」
急に振られてトシの言葉が詰まった。グループ内で定期的にターゲットにされるのがノボルと、このトシだ。
治夫はぐいっとトシの首を後ろから掴んで前後に揺すった。
「どっちなんだよ。え?」
「そりゃ、リボルバーだよな?」
拓也がニヤニヤ笑う。
「オートマチックですって言えばいいんだよ、ほら」
トシは何も言わず、ただ目を半開きにして頭を揺すられ続けている。
「なんだよ、つまんねぇやつだな」
そう言って治夫はトシの首を離した。疲れたという顔つきで、今までトシの首を掴んでいた手をブラブラと振る。
「どっちが好きだなんてトシに聞いたってしょうがないじゃん。知らないんだから」
早麦が馬鹿にした口調で吐き捨てた。
「そうだよ。銀玉鉄砲だって持ってないのにさ。聞いたらかわいそうじゃん」
トシにチラリと目をやりながら風介も言う。
「俺、クリスマスにマグナム買ってもらおう」
「オレも」
「俺はワルサー買ってもらう」
「なあ、みんな。モデルガンを買ってもらったら見せ合いっこしようぜ」
拓也が秘密を打ち明けるような口調で言ってから、トシに顔を向けた。
「ま、お前も触りたいなら、少しくらい触らせてやってもいいぜ」
三年前に父親が近所のコーヒーハウスで働いていた若い女とどこかへ逃げてから、トシは母親と弟、妹二人の五人で暮らしていた。家庭があまり裕福でないことはみんなもよく知っている。
「どうせお前ん家じゃ買ってもらえないだろうからさあ。あ、お前がコーヒーハウスの姉ちゃんだったら買ってもらえたかもな」
拓也がネチネチとした嫌味っぽい口調でそう言うと、早麦と治夫が噴き出した。
しばらくじっと黙っていたトシの顔がゆっくりと赤くなっていく。
「持ってるから」
ほとんど聞こえないほどの声だったが、確かにトシの口元からそう聞こえた。ノボルは思わずトシの顔を見る。
「はあ? もう一回言ってみろよ?」
治夫が顰め面になって斜め上の方向から見下ろすようにトシへ顔を近づけた。
「も、持ってるから」
そんなはずはない。ノボルはポケットの中でぎゅっと拳を握った。先日二人だけで帰ったときに、モデルガンなんてバカバカしいよねと話したばかりなのだ。
拓也が明らかに馬鹿にした目でトシを見た。
「トシ、お前モデルガン持ってんのか?」
「嘘つくんじゃねーよ。お前ん家で買えるわけねーだろ」
拓也の不満を察知したのか、傅がすばやく動いてトシの胸を突く。
よろけたトシは後ろに倒れそうになって、椅子に背中をぶつけた。
「ほら、トシ君、それってモデルガンが欲しいってことだよね?」
痛そうに背中を丸めているトシに向けてノボルは明るい声で尋ねた。うっかり見栄を張ってしまったときには早めに謝って終わらせるのがいい。
トシは黙ったまま上目遣いにノボルを睨みつけた。
なんだよ。お前、バカじゃないのか。ノボルは腹の中でトシを怒鳴りつけた。せっかく助け船を出してやったのに、なんで墓穴を掘るんだよ。
拓也が大きな声で笑うと周りの男子たちも一緒になって笑った。
「本当に持ってるんだな?」
治夫が聞くと、トシはコクリと微かに首を縦に振った。
「なんでお前がモデルガンなんて持ってるんだ? え?」
「そうだよ。誰に買ってもらったんだ?」
拓也が畳みかける。
「えっと、だから、おじさんが」
トシが目をキョロキョロさせながら答えた。
「ふーん、おじさんが買ってくれたんだ?」
「お前、おじさんなんていたっけ?」
風介が首を傾げる。
拓也が舌なめずりをするような笑みをニヤリと浮かべた。
「じゃあ、見せてくれよ」
「えっ」
トシの顔があきらかに引き攣った。助けを求めるような目でノボルに顔を向けたが、ノボルは思わず目をそらした。
ふうと大きな溜息をわざとついて、ノボルは近くの席に腰をかけた。拓也たちの機嫌を損ねたくはないが、だからといってトシをいじめるのは嫌だ。なんとかうやむやなところで上手く距離を保ちたかった。
「ほらな。嘘なんだよ」
拓也が吐き捨てるように言うと、ほかの男の子たちがトシを取り囲む。
「嘘つきだ、トシは嘘つきだ」
「嘘つきトシ、嘘つきトシ」
目を真っ赤にしてしばらく奥歯を噛んでいたトシが口を開いた。
「う、嘘じゃない」
座り込んだトシの前に拓也が仁王立ちになった。すぐ隣には治夫も立っている。
「オレ、嘘はつかないよ」
「じゃあさ、何を持ってんだよ?」
「えーっと」
「そうそう、リボルバーなのかオートマチックなのかどっちだよ」
風介が雑誌の特集ページを開く。
「ほら、どれだよ。どれを買ってもらったんだよ」
「その、だから、り、両方」
聞き取れないほど小さな声でそう言ってからトシは顔を伏せる。
「へえ、両方持ってるんだ。だったらよけいに見たくなるわ、なあ?」
「見たいね」
「オレも見たい」
拓也がニヤニヤ笑いながらみんなを見回すと、男の子たちもニヤニヤと笑いながら同意の頷きを繰り返した。
「ノボルも見たいだろ?」
教壇の前で大笑いしながら互いを叩き合っている女子たちをぼんやりと見ていたノボルは、急に自分の名前が呼ばれて、なんだかプールから空気中へいきなり引き上げられたような気がした。
「え? うん?」
よくわからないまま、みんなに合わせて頷いた。トシはじっと俯いたまま耳まで真っ赤になっている。
「そうしたらさ」
パンと治夫が手を叩いた。
「今日さ、放課後みんなでトシの家に行こうぜ」
「え?」
「だって持ってるんだろ。だったら見せてくれよ」
「いや、だから今は家にはなくて」
それまで真っ赤だったトシの顔からしだいに色が消えて。どんどん白くなっていく。
「何でだよ」
「だからおじさんが」
トシは両腕を後ろに回し、逆手で机に手を乗せた。体がゆっくりと後ろへ下がる。
「おじさんが何だよ?」
「あの、それは、広島のおじさんだから」
「それがどうしたんだよ?」
傅と早麦がトシに近づく。
「えっと、だから、その、広島のおじさんの家にあって」
「へえ、おじさんがお前に買ってくれたモデルガンが広島にあるんだ」
「ふーん、そりゃ残念だなあ。見せてもらえないのかあ」
治夫がわざとらしい声を出してニヤニヤ笑う。
「広島のおじさん。広島のおじさんねぇ」
風介が繰り返すと、トシの目がキョロキョロと忙しなく動いた。
「本当にいるのか? それも嘘じゃないのかよ?」
「い、いるよ。広島に。おじさんは」
「だったらさあ」
傅が芝居がかった口調になる。
「広島から送ってもらえばいいじゃん?」
「だよなー」
「だよねー」
「だよなあ」
あらかじめセリフが決まっていたかのように、男の子たちの声が揃った。
ノボルはわざと窓から遠くの景色を見て、みんなのやりとりが耳に入っていないようなフリをしていた。
トシが家のことを揶揄われて、つい見栄を口にしてしまったことくらい、みんなだってわかっているはずだった。
「それじゃ、いつか見せてくれよ」とでも言って軽く流してやればいいのに、拓也たちはどこまでもトシを追い詰めるつもりでいるようだった。拓也たちは残酷だ。少しでも弱みを見せた相手には容赦しない。
トシが嘘をついていようがいなかろうがノボルにはどうでもいいことだった。そもそもノボルはモデルガンに興味がないのだし、だいたいトシの嘘を暴いたところでほかの誰かの何かが変わるわけでもない。それなのに拓也や治夫がトシの嘘にこだわる理由がノボルにはよくわからなかった。きっと、弱みを見せた相手を攻撃することで、自分たちは弱くないのだと確認しているのだろう。
隣の席から椅子を引っ張って、トシは腰を下ろした。
「どうなんだよ。嘘じゃなきゃ送ってもらえるだろ?」
「そうだよ。小包で送ってもらえばいいんだもん」
男の子たちは腰を下ろしたトシを囲んで見下ろした。
「わかった」
トシは彼らを見上げて、か細い声を出した。
「何がわかったんだよ」
「だから、送ってもらう」
「いつだよ?」
「今日、帰ったら電話する」
「わかってんだろうな? リボルバーとオートマティックの両方だぞ」
拓也はすっと手を伸ばしてトシの顎を摘まんだ。トシが激しく首を左右に振って拓也の手を振り払うと、男の子たちが再び一斉に笑った。
五時間目の授業中、ノボルはずっとトシの後ろ姿を眺めていた。トシは先生に二回当てられて二回ともうまく答えられず、しばらくその場で立たされた。そんなトシを、拓也のグループの男子たちは相変わらずのニヤニヤ笑いを浮かべながら見ているのだった。
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