ルール違反
金属製の大きな筒を取り囲む特殊部隊のチームをかきわけるようにして一人の男が前へ進み出た。隊員たちがみな防護服とヘルメットで身を固める中、男は一人だけアロハシャツに短パンという場違いなほどの軽装だった。手にしている黒いボストンバッグに描かれているロゴマークだけが、唯一彼も特殊部隊のメンバーであることを示していた。
「これか」
自分の身長ほどもある筒を上から下までじっくり視線で撫でたあと、男は傍に立つ部隊長に向かってうなずいた。服装には似つかわしくない真剣な表情だった。
「まさかこんな辺鄙な場所だとは、思いもよりませんでした」
隊長は苦い顔をして首を左右に振った。
郊外にぽつんと取り残された廃墟ビルの地下駐車場に彼らはいた。湿った空気に黴の匂いが混ざり、陽の差さない地下室特有の饐えた刺激臭が鼻をついた。
「こんなところに仕掛ける意味がわかりません」
「しかたがないさ。爆弾野郎ってのは予想外の行動をするもんだ」
そう言って男はボストンバッグを床に降ろした。ドサリと重い音が地下のコンクリートに反響する。
「ともかくあなたが近くにいてくれて助かりました」
「休暇中だったんだぞ」
「わかっています。でもあなた以外にこれを解除できる人はいませんから」
「ふう」
男は大袈裟に溜め息をついた。
「まあ、やってみよう」
男はゆっくり振り返ると、不安そうにしている隊員たちに目をやった。片手を突き出して親指をぐっと立てると、それまでピンと張り詰めていた隊員たちの緊張がいくぶん弛んだように見えた。
凄腕の解除屋。伝説の処理人。
呼ばれ方はいろいろだが、男が一流の爆弾処理技術を持ち、これまで数々のテロ事件を解決してきたことは関係者なら誰もがよく知っていた。
「時限爆弾といったな?」
「ええ。犯人はそう供述しています」
「それじゃ全員この場を離れてくれ」
男はきっぱりとした声を出した。
「しかし、それは規則違反です」
「いつ爆発するかわからないんだぞ」
「それでもあなたを一人にはできません」
隊長は部下たちに命じてその場を去らせると、防護服とヘルメットを脱ぎ、そっと床の上に並べた。軽装になって男の隣にすっと立つ。
「さあ、これでいいでしょう。一人にはしません」
そう言いながらごくりと唾を飲み込んだ隊長を見て、男は眉間に皺を寄せた。
「俺には何の保証もできない。失敗することだってある」
「わかっています。でもあなたは伝説ですから」
隊長は顎に力を入れた。もともと引き締まった顔がより精悍なものになった。
「よし、いいだろう。吹っ飛べば文句も言われないしな」
男はにやりと笑い、ボストンバッグから道具を取り出した。
「これまでに時限爆弾の処理をしたことは?」
「あるよ」
「そうですか。やっぱりあと数秒で止めたとか?」
「ははは。あれは映画やドラマの話だ。いくらなんでもそんなに直前では俺だって気持ちが持たないさ」
そう言って笑ってから急に真剣な顔になった。
「残り一秒以下で止めたこともあるぜ」
驚く隊長を尻目に男は金属筒に近づくと、細かく観察してからあちらこちらを慎重に手で触れた。
「よし、開けるか」
床に這った男はドライバーを手にすると筒の底に薄いプラスティックの板を差しこんだ。口には細いマグライトをくわえて手元を照らしている。
「ここを引っ張ってくれ」
指示された場所を隊長が引くと、キンと高い音がして筒のパネルが外れた。
「さすがですね」
「問題はこれからだよ」
男は外れたパネルを筒の横に置くと、ぽっかりと口の開いた穴の内部を覗き込んだ。筒の内側にマグライトの光を当てて何かを確認している。
「こいつはヤバいぞ」
男が言った。
「ヤバい?」
「ああ、見てみろ」
男からマグライトを受け取った隊長は金属筒の中に顔を差し入れて上下を見回した。ガムテープで捲かれた黒い粘土のようなものが筒の内側にびっしりと張られている。
「これは?」
「おそらくヘキサニトロヘキサアザイソウルチタン、通称CL20だ」
穴の外から男の声が聞こえた。
「ヘキサニトロ?」
「現在、世界で実用化されている中では最も破壊力のある爆弾だよ。セムテックスやオクトーゲンよりも遙かに強力だ」
「どうしてそんなものがあいつらの手に?」
隊長は穴から顔を出して尋ねたが、男は首を左右に振るだけで何も答えなかった。
「ともかくこの量が爆発すればとんでもないことになる」
そう言って男は真剣な面持ちでぐっと腕を組んだ。
「早く解体しましょう」
「ああ」
男は再び金属筒の中へ顔を入れ、しばらく見回していたが、やがて顔を出して隊長に顔を向けた。その顔にはさきほどまでの余裕はなく、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。口元がだらしなく開き、目は落ち着きなくキョロキョロとしていた。
「どうしたんです」
「無いんだ」
男は蒼然とした顔つきのまま早口で言った。
「何が無いんです」
「タイマーだよ。ほら、映画でもドラマでも時限爆弾には普通はタイマーがついているものだろ」
「ああ、赤いデジタル表示が減っていくやつですね」
「そうそう、あれだよ。あれが見あたらないんだよ」
「そう言えば」
隊長がふと首をかしげた。
「あのタイマーって何のためについているんですかね」
「どういう意味だ?」
男は手に持ったドライバーの先を反対側の手指でつまんだ。
「だってテロリストとしてはちゃんと爆発すればそれでいいわけで、いちいち時間を表示する必要はないでしょ?」
「いやいやいやいや。それじゃ俺たちが解除するのにあとどれくらい時間が残っているかわからないだろ。タイマーがあるから、何とかあと一秒で止めたぞってドキドキできるんじゃないか」
「でもそれって爆弾を解除される前提での発想じゃありませんか。時間なんて他人に知らせる必要ありませんよね」
男は何かを考えるようにゆっくりと首を傾けた。隊長も腕を組んで同じように黙っている。遠くではトラックの走る音が聞こえていた。
「いや、こうしている場合じゃない」
男は突然我に返って、再び金属筒の中を覗き込んだ。
「まったくこれじゃ、いつ爆発するかわからないな。急ごう」
穴の中に手を差し込むと、何にも触れないようにそっとドライバーでネジを一本ずつ外していく。湿った地下はかなりの暑さだった。男の額から顎をつたって汗がぽたぽたと床に落ち、古いコンクリートを濡らした。
「これを」
男はゆっくりと穴から電子回路の基板を取り出し、そっと隊長に手渡した。回路から伸びる何本ものケーブルは穴の中の爆弾につながっている。
「これは?」
「たぶん起爆装置だと思う」
男は自信なさげに言った。
「思う?」
「あの、普通はさ、こういうのにタイマーやら謎のスイッチがついているものなんだよ」
「謎のスイッチ」
「そう。停止ボタンだと思って押したら、タイマーが一気に進んで焦るんだ」
「なんでそんなスイッチをわざわざつけるんでしょう?」
「それは俺も知らん」
男は明らかに苛々しているようだった。これまでに解除してきた数々の爆弾とあまりにも勝手が違っているらしい。
「で、どうするんです?」
「もちろん、ジャンパー線を切る」
男はボストンバッグから銀色に鈍く光るニッパーを取り出した。
「さて、赤と青のどちらを切ろうか?」
口の中で小さくそう呟いたあと、隊長から電子回路を受け取ると静かに刃先を近づけ、そのまま動きを止めた。手元の基板とニッパーの先をじっと見つめている。
「どうしたんですか?」
「無いんだ」
吐き捨てるような口調だった。
「こんどは何が無いんです?」
「ジャンパー線がないんだ」
「赤と青の?」
「赤も青も黄色も緑も黒も白もない。そもそもジャンパー線が一本もないんだよ!」
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