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クーポン

illustrated by スミタ2022 @good_god_gold

 今日の会見はテレビ中継が行われる予定になっているので、官房長官としてはかなり気が楽だった。ふだんの会見であればメディアの厳しい批判に晒されたり、面倒くさい記者のしつこい質問に翻弄されることもあるが、テレビカメラが入るとなれば事情は変わる。とにかく間違いがあってはならないので、記者たちからの質問は幹事社を通じて事前に受け取り、それぞれの省庁の担当者がきっちりと回答文を練り上げている。

 事前に質問を提出しないメディアは入場を制限すればいいし、突発的な質問は補佐官が許可しなければいい。予め何を言われるのかわかっている質問だけを受け、予め用意された回答を原稿の通りにただ読み上げるでいいのだ。ふふふふ。茶番だろうが何だろうが知ったことか。メディア側だって事情は同じなのだ。こういうときには国民の反感を買わないよう、当たり障りのない質問をしてお茶を濁すのが今や通例となっている。やり過ぎると嫌われるのはどこの世界でも共通なのだ。

 長官は手にした回答集をもう一方の手にパンパンと叩きつけた。これさえあれば完璧だ。今日のおれに敵はいない。しかも、念には念を入れて漢字にはすべてフリガナを振ってもらっている。ふふふ。楽勝じゃないか。これを良い声で堂々と読み上げれば好感度だってぐんと上がるだろう。なにせテレビの生中継なのだ。国民がおれを見ているのだ。そう、おれを。このおれの会見を。そう考えると長官の口元はついつい緩むのだった。

「それでは、どうぞ」補佐官が最初の記者を指名した。

「読欠新聞の街野です。現在、経済界を中心に国際的な展覧会の誘致活動が行われていますが、これについて現時点での政府の方針をお教えください」
 読欠新聞が最初の質問をすることは決まっているが、事前に提出された三つの質問の中から、どの質問になるかは記者に任されていた。さすがにそこまで取り決めてしまうと、やらせ感が強すぎるだろうという補佐官の判断だった。

 長官は堂々とした態度で回答集のページをゆっくりと捲り始めた。質問の意味はさっぱりわからないが、何を答えればいいのかはわかっている。

「質問一の展覧会ね。えーっ、た、ち、てら、寺、テロ、天皇、展覧。あった、あった、展覧会。これだ」

 長官は一歩足を進めてマイクにそっと口を近づけた。

「お答えいたします。国際的な展覧会につきましては本日、総理を本部長とする推進本部を設置いたしました。また、その後の閣議において、再来年度に開催される予定の展覧会の準備および運営に関する施策の推進を図るための基本政策を決定するための有識者を選定する委員会の設立方針を確認しました」

 長官はここで一度言葉を切り、ぐるりと会場を見渡した。堂々と読み上げているが、自分ではまったく何を言っているのかわからない。聞いている記者たちもぼんやりとした目で虚空を見つめている。本当にこれで大丈夫なのか。長官はチラッと袖の補佐官に目をやった。

 補佐官が握った拳に親指だけを立ててグッドの合図を出している。どうやら問題ないらしい。とにかくおれがカッコよくテレビに映っていればそれでいい。それっぽいことをちゃんと答えているように見えればいいのだ。

 長官は大きく息を吐き、再びマイクに向かう。

「この展覧会はみんなで未来を生み出そうゴーゴーフューチャーをスローガンに、社会資本の整備、カーボン・ニュートラル、デジタル化、持続可能なエネルギー開発、健康と医療分野の取り組み、教育改革などの発信を通じて、新たな時代に求められる社会のありかたと男女参画を世界と共にオールジャパンで推進していくものです。今回確認された委員会の設立方針に基づきまして、有識者の選定を加速させるとともに、状況に鑑みながら必要な政策を策定するために、関係各省庁、展覧会の関係者、ならびに関係自治体、経済界なども含め、しっかりとお願いをしてまいります」
 よし。まちがえずに最後まで読み切ったぞ。どうだ。長官は記者に視線をやった。
「ありがとうございます」記者は納得した顔で頷いた。
 ちょっと待て。本当に今のでわかったのか。こいつ、本当にわかったのか。おれにはまったくわからんぞ。わかったフリをしているだけじゃないのか。
 長官はぐいと首を前に出し、記者の目をじっと見つめた。何かに狼狽えたように記者の目がキョロキョロと泳ぎ始める。やっぱりそうか。こいつだってわかっていないんだな。ふふふふ。再び袖に首を向けると、補佐官が両手でグッドを出している。この調子でいい。

「申しわけありません。シノブニュース編集部の井塚です」
 次の記者が指名された。

「たいへん恐縮なのですが、総理が仰っていた戦略的パートナーシップについてのご所感を、本当に申しわけありませんが、お聞かせください。すみません」そう言って井塚は深々と頭を下げた。
「戦略的パートナーシップ?」
 さ、し、シナ海、新型ウイルス、す、世界フォーラム、せ、せ、せん、いや、無いぞ。いったいどれだ。回答集を何度も捲るがどうしても見つからない。
「あああっ、すみません、すみません、すみません。弊社の事前質問の三番です」井塚は両手をつき、そのまま額を机に何度も擦りつけた。
 ふん。テレビに映っているから腰の低いフリをしているのだろう。記者がそんなに簡単に謝るはずがない。
 えーっと、三番ってことは、これか。ああ、自由で開かれた政府の戦略的パートナーシップについて、あった、あったぞ。
「自由で開かれた政府による戦略的パートナーシップについてですね」
 長官は記者を睨み付けた。ちゃんと事前質問通りのタイトルを言ってくれないと見つけられないだろう。井塚は全身を震わせた。
「本当に、本当に申しわけありませんでした」
 その場に座り込み、ひたすら頭を下げ始める。
「いや、大丈夫です。こちらのミスですから」長官は慌てて首を振った。
 やめろやめろ、やめてくれ。これじゃ、まるでおれが苛めているみたいじゃないか。テレビの中継が入っているんだぞ。ちゃんとしてくれ、頼む。
 
 長官は袖の補佐官が腕をぐるぐる回しているのに気づいた。いかん、しまった。回答を読むのを忘れていた。急いで目的のページを開き、マイクに口を寄せる。

「このたびの総理の外遊につきましては、各国首脳と会談を実施して自由で開かれた戦略的パートナーシップの下で国際関係の発展に向けた協力について議論するとともに、今後の連携についても確認いたします。これらは基本的価値を共有する諸外国とパートナーとしての関係発展のため、様々な対策を含む幅広い分野の協力について議論し、より一層の連携を強化します。これによって自由で開かれた政府による戦略的パートナーシップの実現に向けた協力や国際社会の喫緊の課題への対応について意見を交わす予定であります」
 堂々と読み上げているが、何が何だかさっぱりわからない。長官は思わず首を捻った。この文章を書いた省庁の担当者だってわかっていないんじゃないか。おれはまちがえずに読めればそれでいいが、こんなわけのわからない文章で国の政策が進んでもいいのか。誰もわからないものだから、みんな適当にやっているんじゃないか。そんなことで大丈夫なのか。さすがのおれも心配になってくるぞ。
「すみません、長官。本当に申しわけありませんでした。ありがとうございました」
 井塚記者は手にしたメモ帳に何やら書き込みながら礼を言った。そのすぐ隣では若い記者がものすごい勢いでパソコンのキーボードを叩いている。
 まさか、今、おれの言ったことをメモしているのか。おれにもまるでわからなかったあの回答を入力しているのか。お前たちは本気なのか。本気でこんな意味不明な文章を記事にするつもりなのか。国も酷いがこいつらメディアも相当酷いな。長官は静かに目を瞑り、ゆっくりと首を左右に振った。どうだろう、このポーズは。テレビで見れば何か思慮深いように写っているだろうか。
「それでは次」
「薄日テレビです。経済再生推進実行本部についての現状をお伺いします」
 ふん。薄日か。いつもは辛辣な質問をしてくるが、今日はおとなしいものだな。文句も言わずに事前提出にも応じているわけだからな。リベラルだか何だか知らないが、結局は国民に気に入られたいんだろう。
「えええっと、お応えします。本日の閣議におきまして、経済再生推進実行本部の設置についての決定が廃止されたと決定されました、と?」
 長官はおや? と回答集を覗き込んだ。自分がいったい何を言っているのかはわからないが、何かおかしなことを言ったことだけはわかる。だが、回答集にはまちがいなくそう書かれている。
「あ、これでいいんですね。失礼しました。設置についての決定が廃止、です。経済再生推進実行本部の設置についての決定が廃止されたと決定されました。えー、で、これに伴いまして、実行本部の下位組織である未来ゴーゴー諮問会議も廃止となります。一方で、経済財政担当政策会議が示す財政運営メロンパン改革の方針では、我が国の経済的な自助的な持続的な成長にむけええええええええええええ」
 長官は再び言葉を切った。待て待て待て。ちょっと待て。これはなんだ。これ、居眠りしながら書いたんじゃないのか。あきらかにおかしいじゃないか。おれにだってそれくらいはわかるぞ。なんで誰も事前にチェックしていないんだ。テレビだぞ。テレビ中継なんだぞ。
「戦略の会議の具体化をすいしんんんんんんするため、wたしを議長とする未来投資型経済成長戦略会議を本日付でせえええええええええええええええええっ置し、経済成一一六円長戦略の具体化な進め方について、有識メロンパン一九八円を伺う予定になっておりますうううううううううううううううううううクーポンんんんクーポン」
 回答を読み終えた長官はぐっと表情を硬くした。クーポン? クーポンだと? なんでクーポンなんだ? 質問した薄日テレビの記者はその場で黙ったまま、あんぐりと口を開けている。ああ、なんてことだ。しくじった。こんなわけのわからない文章を最後まで読んじゃったよ。いったいなんだよクーポンって。テレビなのに。せっかくのテレビ中継なのに。

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