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古いタイプの自動販売機は

illustrated by スミタ2022 @good_god_gold

 頭上から降り注ぐ強い日差しは天豊の体力を奪い続けていた。額に浮かぶ汗が顔中を濡らし、びっしょりと湿ったワイシャツは透けて体に張り付いている。体から噴き出す熱気をズボンのベルトと靴下のゴムが押さえ込むせいで、下半身のあちらこちらが痒くてたまらない。
 上着はもうとっくに折り畳んで腕に掛けているが、布の内側に熱がこもって腕だけサウナに置いているような感覚になった。
——水、水が飲みたい——
 天豊の頭の中にはそれしかなかった。喉は痛いほど乾いていて、口の中にはねっとりとした白いものが溜まっている。
 なにせこの田舎道である。両側を田畑と工場といくつかの住宅に挟まれた細い道は、遠くまで目をこらしてもコンビニなどまったく見当たらない。
 「はあ」
 足を止めた天豊は熱い息を吐いてから、ハンカチで額を拭った。ずり落ちそうになっている鞄をもう一度肩から掛け直す。
 どこからか蝉の鳴き声が聞こえているが、周囲を見回しても蝉がいそうな木は見受けられなかった。
 さっきの商談を終えたあと、一度車に戻ればよかったのに、近いからとそのまま次の訪問先まで歩こうと考えたのが失敗だった。
 車まで引き返せば、飲みかけのペットボトルが助手席に転がっているが、さすがにここから戻っていたら訪問先との約束時間に間に合わない。ここまで来たらもう先へ進むよりほかなかった。
 頭を垂れ、うつろな目で少し先の地面を見ながらゆっくりと足を進めていく。あまりの日差しに道が白く見える。背の高い建物の前に差し掛かったときだけ、一瞬、この眩しい光から逃れることができた。
 大きな廃工場の影で天豊は再び足を止め、汗を拭った。顔を上げて道の先を見やると百メートルほど先に訪問先の建物が見えている。農機具の販売所だ。
 「ようし、もう少しだ」
 そう独りごちて歩き出そうとした矢先、天豊は今いる廃工場のすぐ脇に古い自動販売機が置かれていることに気づいた。
 近づいてみるとぼんやりと明かりがつき、中の電子回路がジジジと音を立てている。
 今時めったに見かけないほど古いつくりの自動販売機だが、それでもどうやらまだ動いているようだった。
 動いているとはいえ、古い自販機はトラブルが絶えない。カードも電子マネーも受け付けてくれないくせに、新しい硬貨は使えず、しょっちゅう釣り銭は不足する。選んだものとはちがう商品が出てきたり、炭酸飲料が激しく落下してきて、開けたら中身が噴き出したりと、とにかくあれこれ問題が多い。そもそもこの手の古い自動販売機には安全性や正確性への配慮がまだまだ足りていないものも少なくないのだ。
 それでも天豊にはもう古い自販機を警戒するだけの余裕は残っていなかった。
 欲しいものはただ一つ。
——水、水が飲みたい——
 ほとんど無意識のうちに天豊は小銭入れを取り出し、投入口へ投げ入れた。ショーケース下に並んだボタンのランプが一斉に点灯する。
 躊躇うことなく水のボタンを押した。
 が、それきり何も起こらない。
 「あれ?」
 もう一度ボタンを押すが、やはり何も起こらないままだ。天豊はさらにもう一度強くボタンを押し込んだ。
 やがてガタンガタンと自販機の中で何かが倒れるような音が鳴り響き、続いて
 「はーい、はい、はい。ちょっと待って。今行きますからね」
 と、だるそうな女性の声が聞こえてきた。やや嗄れた感じのいわゆるオバサン声である。声だけでは判断しづらいが、おそらく天豊より遙かに年上に思えた。
 ゴタンッ。
 取り出し口にいきなり水のペットボトルが転がり出てきた。天豊はすかさず手を伸ばして商品を取り出す。
 「うわっ」
 持ち上げたとたん思わず手を離しそうになるほど熱かった。もはや水というよりは湯、しかも熱湯に近い。天豊は首をひねった。わざわざ暖めないと、ここまで熱くはならないんじゃないか。
 「これじゃ、飲めないよ」
 つい責める口調になる。
 自販機の中で再びガタと音が鳴り、取り出し口から女性が顔をぬっとのぞかせた。真っ赤な口紅と鼈甲柄の太い眼鏡フレームが、顔の印象をあやふやにしていた。
 「ごめんなさいね、冷えてるのがなくて」
 口では謝っているが表情は淡々としている。
 「あ、いえ」
 「麦茶なら冷えてるんだけどねぇ」
 自販機のショーケースには水の隣に麦茶のサンプルも飾られている。値段は同じだった。こっちを選んでいれば今ごろは喉を潤せていたに違いない。うっかり水を選んだばかりにまだカラカラのままだ。
 「じゃあ麦茶にする?」
 女性が聞いた。
 「え?」
 「麦茶に交換する?」
 「いいんですか?」
 「はいはい、いいですよ」
 女性は口をひょいっと突き出してそう言うと、自販機の中へ顔を引っ込めた。どうやって交換するのかと天豊が訝しんでいると、やがて取り出し口からにゅっと腕が飛び出してきた。右手だ。けっこうな皺があるから、さっきの年配女性の腕なのだろう。
 「あ、ここにお渡しすればいいんですね」
 特に何の返事もなかったが、天豊はこちらに向けられている手のひらに水のペットボトルを乗せた。くいとボトルをつかんだ手が自販機の中へ吸い込まれるように戻っていく。

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