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太陽の時間

illustrated by スミタ2023 @good_god_gold

 国立天文台で電波干渉計のリアルタイムデータを観測していた宅羽やけばは、画面上のグラフにこれまで一度も見たことのないパターンが存在していることに気づき、思わず首を傾げた。
「太陽からこんなに規則正しい電波が放射されるなんて」
 常識では考えられない。
 急いでパソコンのキーを叩き、専用のビデオチャットルームに入ると、すでに世界中の天文学者たちがこの謎の放射パターンについて議論を始めていた。
「こんな現象はありえない」
「もちろんだ。だが、ありえなくとも、事実、そのように観測されているのだから受け入れるしかない」
 いくら議論を重ねても、この不思議な太陽電波の正体を解明できた学者は誰一人としていなかった。
 観測された太陽電波は、ごく短時間放出されるものと、その二倍ほどの時間をかけて放出されるものが一定の間隔で繰り返されている。繰り返すたびにパターンは少しずつ変化するが六回で最初のパターンに戻っていた。このような放射が偶然に起きる可能性はほとんどない。まだ誰も口にはしないが、人為的なものだと考えるのが理に適っていた。
「まさかとは思うのですが」
 若手の研究者がおずおずと口を開いた。
「もしかすると、これってモールス信号のようなものじゃないでしょうか」
「太陽からモールス信号だと? 誰かがあそこでキーを叩いているというのかね。君はバカなのか?」
 顔の下半分が白いひげに埋もれているベテラン学者が声を荒らげる。
「もちろんモールス信号ではないでしょう。でも、それに類する信号の可能性はあります」
 若手は顔を真っ赤にして食い下がる。たとえ相手が超一流のベテラン学者であっても対等に発言できるのが、こうしたチャットルームの良いところだ。学会ではなかなかそうはいかない。
「たしかにその可能性はありますね」
 宅羽が若手に助け船を出した。
 もしもこの電波が人為的なメッセージだとすれば、発信された理由があるはずだ。 
「この際ですから、調べるだけ調べてみてはいかがでしょう?」
 宅羽の提案を受けて、さっそく観測データが世界各国にある言語系の研究所と、軍や諜報部で暗号解析を担っている部門に送られた。
 
 ほどなく電波の正体がわかったと、ある国の諜報機関が連絡してきた。
「やはりメッセージだった」
 担当者がそう言うと、ビデオチャットに参加していた他国の軍人や言語研究者たちも大きく頷いた。どうやらそれぞれ解析を終えていたらしい。
「本当ですか?」
「電波に特定の複合処理を施すと言語が現れたのだ」
 チャットルームの画面上で、諜報機関の担当者は驚きを隠せずにいた。
「待ってください。壁に点が三つあれば顔に見えるのと同じように、言語を読み取ろうとすればどんな信号からでも言語を読み取ることができます」
 宅羽はパソコンの前で腕を組んだ。
「間違いなく言語なのですか?」
「まちがいない。少しずつ変化していたパターンは、それぞれ国際機関で使われる六つの公用語に対応していたのだよ」
 ガシャン。
 スピーカーから何かが割れる音が聞こえた。
 前のめりになった学者の一人がマグカップをパソコンの画面にぶつけたのだ。そうなるのもしかたがなかった。人類がはじめて受信した宇宙からのメッセージなのだ。
「内容は?」
「それが、たいへんなことになった」
 それまでじっと黙っていた諜報機関のトップが青ざめた表情で答えた。

 すぐさま各国の安全保障担当者がジュネーヴのパレ・デ・ナシオンに集められた。満席となった国連総会ホールの壇上には、例の白ひげ学者が立っている。
「それではメッセージの内容をお伝えします」
 重々しくそう言って舞台袖に向かって頷くと、背後の巨大なモニターに短い文章が映し出された。六つある公用語のすべてに翻訳されている。

 ――閉店のお知らせ。太陽は今月末をもって閉店いたします。長年のご利用ありがとうございました――

 しばらく場内は水を打ったようにしんと静まり返っていた。やがて端からざわざわと波音のような雑音が広がり、ついに大きなどよめきに変わった。
「今月末って、あと十日ほどしかないじゃないか!」
「本当にこれが宇宙からのメッセージなのか!?」
 各国の担当者たちは争うように携帯電話を耳に当て、それぞれに怒鳴り声を上げ始める。
「太陽の閉店とはどういう意味だ?」
 大声で壇上の天文学者に問いかける者もいた。
「我々にも意味はわかりません。もちろん文字通りの意味であれば太陽が消滅するのでしょうが、観測データから判断する限り、今月末に消滅することはありえないでしょう」
「ですが、いつかは消滅する?」
 一人の男性が手を上げながら聞いた。
「もちろんです。あらゆる恒星はいずれ燃え尽きます。我々の太陽も、あと五十億年ほどで黒色矮星になると予想されています」
「そのことではないのか?」
 会場から別の声が上がった。
「つまり、そのメッセージの言う今月末とは五十億年後のことを指しているのではないのかね?」
「わかりません。ともかく我々は受信した電波を公表しただけで、内容の解釈はこれからの研究に委ねられます。このメッセージが何を意味しているかは、あくまでも不明です」
 白ひげの天文学者は淡々と答えた。そう答えるしかなかった。

 今月いっぱいで、太陽が閉店。
 各国のメディアがセンセーショナルな見出しをつけて報じると、関心を煽られた人々はたちまちのうちにこの話題に取り憑かれた。もう今月末まで一週間あまりしかないのだ。テレビやネットのニュース番組では、識者たちによって、このメッセージが実際には何を意味するのかという様々な解釈がなされ、宗教家たちはいよいよ世界の終わりを迎えるときが来たのだと信者たちに説いた。
「けれど、今月末ってメッセージは変じゃないか? どうして人間が使っている暦を太陽が知っているんだよ」
「そりゃ、あっちが元だからだろ。太陽のまわりを地球が公転する周期が元になって暦はつくられているんだから」
「あ、そうかも」

 ついに月末が訪れた。解析した言葉をそのまま受け取れば、今日が終わった時点で太陽は閉店する。もっともメッセージの言う「今日の終わり」がグリニッジ標準時で考えるべきものなのか、あるいは日付変更線を挟むサモアやニウエ島で考えればいいのかはわからない。地球は丸いのだ。

 天文学者たちのチャットルームでは数時間前から頻繁にやりとりが行われていた。
「Xクラスのフレアが何度か発生した模様だ」
「プロトン現象がかなり激しくなっている」
「地磁気や電離圏もです」
 かつてないほどの勢いで太陽活動が活発化し始めていた。閉店するのなら沈静化してもおかしくないのだが、なぜ活発化するのか。
 どうやら空調の調子が悪いようで、天文台の中には妙な熱がこもっていた。とはいえ今は空調のことまで構ってはいられない。目の前の現象を追うだけで手一杯だ。宅羽は汗が背中を伝って垂れていくのを感じた。
「まさかこのまま一気に赤色巨星化するのではないでしょうか」
 またしても若手の研究者がおずおずと口を開いた。そうなれば、地球は巨大化した太陽に飲み込まれて蒸発するだけだ。
 宅羽はスマートフォンでビデオチャットを立ち上げると、そのまま天文台の屋上に出て、頭上に目をやった。たしかに太陽がいつもより一回り大きくなっている気がする。この暑さはそのせいなのだろうか。
「君は何を言っているのだ。一気にとはなんだ。恒星が赤色巨星化するには五億年はかかるのだぞ。バカなのか?」
 白いひげのベテラン学者が声を荒らげた。
「太陽活動が急速に沈静化を始めました」
 ずっとリアルタイムで太陽を観測していた研究者の一人が焦燥した声で叫んだ。
「フレア活動がほとんどなくなっています」
「地磁気も弱まっているようです」
 宅羽は慌ててもう一度顔を空に向ける。さっきよりも太陽が小さくなったように思えた。
 やはり太陽は今日で閉店するのか。あのメッセージは文字通りの意味だったのか。
 宅羽はそっと目を閉じた。悲痛な表情で大きく首を振る。

 太陽の光がほんの僅か弱まっただけで、気温が下がり始めたようだ。
 都市部では、不安げな表情で空を見つめる人々が、あらゆる道に溢れかえっていた。身動きできないほどみっしりと集まった群衆たちは、誰もが怯えた目をしてただ空を見上げていた。ビルの窓にも人々の顔がずらりと並んでいる。農村地域でも山岳地帯でも、普段は点在している人たちが一処に集まり、手を取り合って太陽を見ていた。大きな火をおこし、太陽に向かって祈りを捧げる者たちもいた。
 しだいに薄暗く肌寒い終りのときが、ゆっくりと世界を包み始めている。だがまだ終わってはいなかった。太陽が消滅すれば世界は完全な氷と漆黒の世界に変わる。それどころか、公転の中心を失った地球がどうなるか。いずれにしても数時間も経たないうちに多くの生命が消えることになる。

 しばらくぼんやりと屋上に立っていた宅羽はやがて我に返った。すっかり冷えた体をブルッと震わせてから室内へ戻る。もう研究など何の意味もないが、最後の瞬間にいったい何が起きるのか。せめてそのデータだけはリアルタイムで見たいと思った。
「ん?」
 電波干渉計のグラフに目が留まった。思わずスマートフォンに向かって大声を上げる。
「またパターンです。メッセージです」
 世界中の観測機関がすでに新たな電波放射をキャッチしていた。
「すぐに解析を」
 最後の最後にお別れのメッセージでも送ってきたのだろうか。お詫びの言葉でも並べるのだろうか。
「ふう」
 宅羽は溜息をついた。ほんの少しだけ体の寒さが取れたように感じた。何気なく外気の温度を示すモニタに目をやる。
「あれ?」
 気温が僅かに上昇している。宅羽はコンソールデスクに飛びつくようにして、観測データを映し出すモニタに太陽の情報をまとめて表示させた。
「太陽活動が!」
 さっきよりもさらに大声で叫んだ。
「はい! 戻ってきています!」
 チャットルームで若手研究者も叫んだ。
「フレア活動が再開されたぞ」
「地磁気も正常です」
 宅羽は屋上へ飛び出した。どこか薄暗くなり始めていた世界は、いつしかすっかり元通りの明るい世界に戻っている。見上げた太陽が眩しかった。すぐその前を渡り鳥の群れが飛んでいく。
 いったい何が起きたのかはわからないが、とにかく太陽は閉店しなかったのだ。宅羽の頭上にはいつもの太陽が燦然と輝き、全世界に光と熱を降り注いでいた。果てしない命を降り注いでいた。

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