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革命の旗

illustrated by スミタ2022 @good_god_gold

 二十三世紀の半ばに始まった人類と寿司との全面戦争は、およそ四百年の時を経て、まもなく寿司側の勝利で終結を迎えようとしていた。
 もちろん長年の戦いは人類だけでなく寿司をも疲弊させていたが、それでも寿司の力は圧倒的で、人類の技術と叡智を集結させても、もはや寿司に勝てる可能性は殆ど残されていなかった。
 昨年末に寿司側から示された和平条約は、人類にとってはあまりにも屈辱的なものだったが、国際連合はこれを受け入れるべく既に各国間での調整を始めている。
 しかし、未だ寿司に屈していない一部の人間たちは起死回生の一矢を放つべく、革命軍となって密かに地下での活動を続けていた。
「サビ」
「ヌキ」
 ギブリン鋼製の巨大な扉に空けられたスリットに向かって合い言葉を唱え、認証パネルに掌を乗せると、扉が音もなく左右に割れた。扉の奥にはゆるやかにカーブした暗い廊下が続いている。認証パネルがあるのだから合い言葉が必要とは思えないのだが、長年の習慣になっているので誰も異議を唱えることはない。
「お帰りなさい、大佐。ご無事で何よりです」
「楽にして」
 警備兵たちの敬礼に街野彩は軽い会釈で答える。
 廊下の端に立つと床が自動的に動き始め、あっというまに彩の身体を数十メートル先へ運んだ。目的の部屋の前で彩は自動床から中央の固定床へ足を載せ替える。どこまでも続くゆるやかなカーブは一周しているため、このまま立ち続けていれば、何度でも同じ場所を繰り返し通ることになる。
 回転式コンベア。敵の運搬技術を応用した移動手段だった。
 小さな部屋には欄間の下に格子の入った窓があり、人工太陽の光が畳に影を落としている。彩は土間でコンバットブーツを脱ぎ、一段上がって畳に尻をつけた。腰に巻いたガンベルトにずらりとはめ込まれたランチャームが、互いにぶつかってカツカツと音を立てる。スナイパーだけが持つ武器だ。魚を形取ったランチャームにはそれぞれ種類の違うムラサキが仕込まれている。
「ふうう」
 緊張が解けたのか、ここで彩はようやく大きく息を吐いた。知らず識らずのうちに呼吸が浅くなっていたようだった。
 卓袱台の下には大きな窪みが設けられているため、畳の上でも椅子に座っているのと同じ姿勢をとることができる。
「これは掘り炬燵というの」
 先に腰を下ろしていた砂原が言った。革命軍の司令塔である。かつては寿司屋の女将として寿司たちと深く交流していたが、長引く戦争の中でやがてその交流は途絶えたどころか、敵側のスパイだとの疑いまでかけられ、魚市場に幽閉されていたこともある猛者だった。
 だが、今ではその寿司の知識を買われ、革命軍ではナンバーツーの地位を占めている。
 今日、彩が呼ばれたのは最終決戦に向けての極秘指令を受けるためだった。
「持ってきたのね?」
「はい」
 砂原の問いに彩は静かにうなずいた。
 砂原が卓袱台に置かれた端末を操作すると、ブンと音を立てて中央の転送環に円筒形の容器が二つ現れた。容器は土を練って焼いた素材でつくられており、熱を逃がさない構造になっている。
 彩は胸ポケットから小さな紙の包みを取り出した。
 中身がこぼれないようにそっと開き、透明の紙で包まれていた緑色の粉をそれぞれの容器に半分ずつ落とした。最後に指先で紙を軽く弾き、一粒も残さないようにする。
 卓袱台の端にくねくねと伸びている銀色のパイプの下に容器を置いて、砂原がスイッチを押すとパイプの先端から勢いよく熱湯が注ぎ込まれた。緑色の粉がどんどん溶けていく。
 砂原は容器を手にとって顔に近づけた。
「ああ、いい香り。緑茶なんて久しぶりだわ。どうやって手に入れたの?」
「それは聞かないでください」
 そう言って彩がニヤリと笑うと、砂原も静かに微笑んだ。敵地に単身乗り込み手に入れてきたものだが、その行動は軍規違反になる。もしも革命軍が寿司に捕まるようなことがあれば、和平交渉の成立に支障を来しかねなかった。もちろん革命軍は交渉には反対する立場だが、それでもこれ以上、人類が寿司の言いなりになるような状況はつくりたくはない。
「次の戦いでは、あなたが先頭に立ちなさい」
「私が?」
「今、革命軍で一番信頼されているのはあなたよ。今のあなたなら、きっと勝てる」
 いつしか窓外の陽は白から赤へと色を変えていた。人工太陽は常に同じ位置で静止しているため、季節や時間の経過に伴って人為的に色や強さが調節されている。苦しい地下での生活の中で、この太陽の存在はせめてもの救いとなっていた。
「問題は貝ね」
「はい」
 砂原の指摘に彩はうなずいた。
 白身やトロは、種類も数もそれなりに多いものの、敵の戦力としてはさほど脅威ではない。しかし貝は、その見かけとは裏腹に姑息なスシテクノロジーを駆使して人類に甚大な被害をもたらし続けていた。特に、生牡蠣の攻撃にはかなりの人類が命を奪われている。一般的に寿司ネタとして現れることはないが、サイドメニューとしての攻撃力は並外れていた。
「それと光り物です。サバに当たったときのダメージは三千ガリを超えます」
「そうね」
 得意げに報告する彩に向かって砂原は優しくうなずくが、長く寿司屋の女将を勤めてきた彼女がそれを知らないはずはない。あくまでも彩を立ててやろうとする心遣いなのだろう。
「貝は」砂原は窓から静かに外を眺めた。
「生ではなく、煮るしかないわ」
「煮るのですか?」
「ええ、そう。煮貝にするの」
「鮑や蛤は何とかなりそうですが、牡蠣はどうすれば?」 
「生姜よ」
「生姜?」
「たっぷり生姜を使って時雨煮にすればいいわ」
 彩はごくりと息をのんだ。まさかの提案だった。生姜を使うとはおそらく寿司たちだって思いも寄らないだろう。これなら貝の力を過信している寿司に大きな打撃を与えられるかも知れない。
「はい」声が震えていた。
 砂原の司令はすぐに極秘通信を使って板前たちに伝えられた。密かに寿司の中に紛れ込んでいる工作員たちだ。彼らがしっかりと仕事をしてくれたら、革命軍にも勝機はある。
「板さんたち、頼みますよ」砂原は遠くを見つめながら静かにそう呟いた。

 小高い丘を越えると、まるで世界を二分する地平線のような長いカウンター席が、目の前に広がっていた。視野を端から端まで横切るカウンター席の後ろには、大量の寿司が控えているのが、丘の上からも見て取れる。あれをすべて倒さなければならないのだ。
 彩はビノキュラス・スコープを覗き込んだ。白い割烹着を着た板前が、こちらに向けてそっと親指を立てるのがはっきりと見えた。どうやら貝もサバもきっちりと処理されているようだ。彩は力強くうなずいた。彼らこそがこの戦いの立役者だ。なんとしてでも板前たちの苦労に応えなければならない。ネタの仕入れからシャリ炊きや酢合わせといった仕込みまで、すべては彼らがいなければこの戦いは成立しないのだ。
 彩は小型のホバークラフトに乗り込み、腰のランチャームをもう一度確認した。すべてのランチャームはムラサキでたっぷりと満たされていた。これならば、途中で醤油不足に困ることはないだろう。それに。
「板さんたちが本気で仕事をすれば、醤油はいりません」
 砂原の言葉を信じるならば、このランチャームを使う必要さえないはずだ。
 彩はすっと頭を上げた。静かに振り向き革命軍の戦士たちをじっくりと眺める。何があろうとも彼らと共に寿司との戦いを勝ち抜いてみせるのだ。

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