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ノルウェーで合気道、そして考えたこと

ノルウェーで合気道を始めた話

身体を動かすことは子どもの頃からずっと好きだったけど、日本の武道に触れることはほとんどして来ませんでした。体育の授業ですら触れたことはなかったかもしれない...😱

日本の「道」と呼ばれるもので、唯一やったことがあったのは書道だけ。
書道は、座って墨の香りを吸い込みながら墨を磨る時間、書くことだけに集中する時間が大好きでした。

そんな具合の私が、今ノルウェーで合気道を教えてもらっている。日本人として、外国人に日本のことを教えてもらっている。

不思議なことです。🤗

今ここ・この瞬間に集中する、自分を観察する、自分とつながる

「道」のつくものはみんなそうだと思うのですが、
● 見て真似る
● できるまで何度もやってみる

が基本かと思います。だから合気道でもノルウェー語が理解できなくても大丈夫。先生のされる動きを見て、真似て、ただ何度もやってみるしかないのです。

受け身の練習など、私は畳の上でドテッとひっくり返ってるだけな気がする...😂 みんながやってるみたいに美しくできない。😑
それでも「あ、できた!」という感覚を得た瞬間がとっても楽しくて!!
そうして「あ、できた!」を何度も掴んでいくことが稽古であり、日本らしさだなぁと感じます。

合気道は、両足に重心を置いて”腹(hara)”を意識すること、そして身体に力を入れないでリラックスすることで、安定した動きができるようになるようです。

今のところ私は、子どもの頃にクラシックバレエをやっていた影響で、両足に均等に重心をかけるのと、力を抜いてリラックスするのがまずとても難しい。バレエは重心を左右どちらかに移しながら踊るし、頭のてっぺんからつま先までどこに力を入れてどこは力を抜くか、常に意識を巡らせることが前提だから、やっていることが合気道と全く逆のように感じられるのです。

合気道との出会い

なぜ合気道??
って感じですが、ノルウェーでの合気道との出会いは、なんともロマンチックでした。

一緒に過ごしていたノルウェー人の友達の姿勢がとても綺麗なのが気になって「すごく綺麗だよね!」と話をしたところ、合気道をやっていることを教えてくれました。

さらに、
・合気道の精神
・”腹(hara)” ”気(ki)”をつかうとはどういうことか
・相手も自分も傷つけずに自分を守るとはどういうことか

についてもたくさん語ってくれました。
他にもいろんな話をする中で、友達もなぜか私と同じような経験をしていて、考え方も似ていることに驚いて。自分も持っている感覚を共有できたのが、とてもうれしかった。
生きてきた環境も年数も全く違うのに、人生って不思議なご縁があるもんだなぁと、心底思ったのでした。

そしてちょうど「自分で自分を守る」というテーマを自分の中に持ち始めていたタイミングだったのもあって、合気道が本当に自然なタイミングで私の人生に入ってきたように思えたのです。

そういう意味で、ロマンチックな出会いだったと思っています。🥰

「自分を守ること」から「人を尊重すること」へ

詳しいことはここには共有できないけれど、最近「自分で自分を守れていない」という自覚ができたところでした。

ノルウェーで身近にいる友達を見ていると、私より10歳前後若いにも関わらず、私よりもしっかり自分を守る術を知っていると感じます。一緒にいてつい感心してしまうし、見ていてすがすがしいほど。

知らない人が声をかけてきたときの対応の仕方。
友達が自分にとって嫌なことを言ってきたときに「それはNo」と伝える毅然とした態度。

ちゃんと、自分で自分を守っている。
相手への人としての信頼があるから、誰かが自分を傷つけてきたからと言って、傷ついたことにいつまでも文句を言ったり、傷つけられたことが原因で関係が壊れたりすることはありません。

もし文句を言うことがあるとすれば、相手が嫌がらせをやめず執拗に続ける場合だろう… けど、「嫌だ」と伝えられてやめないほうが社会的にNGなので、よっぽど何かない限りやめない人はいないだろう… 通常は。

考えてみると、私が子どもの頃から身近な大人に「やめなさい」と言われたときに、その言葉から受け取ってきた大抵のメッセージは、注意する本人が「自分がNo」なのではなくて、
「(あなたの周りの人がこう思うから、周りの人に迷惑がかかるから)やめなさい、やらないほうがいい」
というもの。

この考え方が擦り込まれていると、相手を尊重することも自分を尊重することも難しくなります。なぜなら、常に相手がどう思うかを気にしなければならないから。自分がどうしたいのかがわからなくなっていきます。

関連して、フィンランド人の子どもの叱り方に、なるほど、と思った記憶がありました。

例えば、大人がテレビを観ている部屋で子どもが大声で騒ぎ始めたとします。スーパーで駄々をこね始めた場合でも良いのですが。

すると大人は、
「今は私たちがここでテレビを観ているから、うるさい声は出さないで。そういう声はうるさく聞こえるよ。テレビの音が聞こえなくて困る。大声を出すならあっちの部屋に行ってね。」
「ここはたくさんの人がいるスーパーだったね。私はそういう声は聞きたくないよ。」
と、どんな小さな年齢の子どもに対しても静かに諭します。

そういう大人が多いからか、フィンランドでは大声を出して騒ぐ子どもをおそらく見たことがありません。(実際、フィンランドは騒ぐ子どもが少ないことでちょっと有名です。ちなみにノルウェーでは、たまにいるように見受けられます。)

respect(尊重)は earnする(自ら手に入れる)もの

もし何かやめてほしいことがあるのなら、その人自身がどう感じるかを伝えた上で、その後どうするのかは相手に選択してもらう。フィンランドでもノルウェーでも感じるのは、こんなスタンスです。

他人からのリスペクトを自分で手に入れる。
リスペクトは信頼と同じで、ただそこに存在していれば、手に入るものではありません。

ノルウェー語の練習のために参加している外国人向けのオンライン会話セッションでも、私にとっては象徴的な出来事がありました。

積極的にノルウェー語の会話の輪に入ろう!と思っていても、わからないときはつい黙りがちになります。というのも、話を理解するのにあまりに必死すぎて。😂
でもさすがにわからなさにストレスがたまってきて、え〜もう英語でもいいや!さぁ勇気を出して!と自分を奮い立たせ、みんなの会話を遮り、
「遮ってごめん、そしてさらにごめんだけど私、今みんなの会話の40%くらいしかわかってないの!」
と伝えたら、みんな私が話を遮ったことなど「全く問題ないよ!むしろ歓迎😊 」と受け入れて、どういう話をしていたかをゆっくり簡単なノルウェー語で説明し直してくれました。それから「これについて、日本ではどうなの?」と私に質問までしてくれたのでした。

もし私が黙っているだけだったら、やる気がないとか、具合が悪いとか、話したくない気分だとか、何か事情があって黙っているものと捉えられます。当たり前のことです。相手も無理にやらせようとは思いません。(外国から来た人たちであっても、特にノルウェーにいる人たちは強引に他人に踏み込みむことはしないので。)

だから、反応を示す。自分も聞いてるよ、わかってるよ、もしくはわかってないよって伝えておく。これが自分で respect を earn する方法の1つなんだと学んだ出来事でした。

自分で自分を守る方法

ノルウェーで過ごす日常で、自分で自分を守っている友達を身近に目にして、私は「これまで友達や知り合いが自分に言ってきた際どい冗談やからかいも、私は受け入れちゃいけなかったんだ」ということにも、突然 気がつきました。

そうか... 考えてみれば、自分(私)を見下したい欲を持っている人の欲をあえて満たしにいくことを、私は自覚的にやっていた。

それでこの人が満足するならいいや、それで攻撃されないならいいや、自分が相手の欲を満たしてあげるくらいなんてことない。
今回は無視しておけば、適当にやり過ごしておけば、この時間は過ぎ去る。

だから適当に話を合わせるか、とりあえず苦笑いをするか、聞いてなかったフリをするか、下手(したて)に出ていることを示すために理由もなく自分から謝るか。最終的には嫌だという意思を思いっきり態度で示す。

でも、こちらがどれだけ態度で嫌悪感を示しても、やっぱり言葉で伝えなければ仕草や表情だけでは相手に伝わってなかったんだ。と今更ながら(苦笑)

まったく!そんなふうに思っている自分こそが、最も相手を見下しているんだけども。
相手も見下されてることが心の底ではわかってるから、不安や恐怖心から攻撃することもあれば、冗談やからかいがエスカレートすることもある。

私の場合は、嫌われるのが嫌だからNoと伝えないのではなく、Noと伝えたら次にどんな攻撃がやってくるかわからない。でも相手の自尊心・欲を満たせば、攻撃がやってくる可能性は断然低くなる。
そうやって自分を守ろうとしてきたんだとは思います。でも、守る方法を間違っていたのだと理解しました。

これは私だけじゃなく、多くの女性や障害を持つ人、社会的な弱者が無意識的にやっていることなんじゃないかと思います。すべては自分を守るため。道化を演じるのと同じ。

でもそれでは一生リスペクトは得られない。

だからと言って自分たちの権利のために声をあげよう!とか、私の場合はそういうことを言いたいわけではありません。

「自分を尊重してくれ!!!!!」
といくら世界に対して大声で叫んだとしても、叫んだだけでは人は「あら、そうなのね」と通り過ぎていってしまう。
冷たく聞こえるかもしれない、けど自分が本当に尊重を得たいのであれば、相手に向かって自分から一歩踏み出して、なぜ尊重されていないと感じているのか、自分にとって何がNGだったのか、どう扱って欲しいのか、理由や自分の状況を伝えていくしかない。

自分から相手を疑うことは、相手からすれば十分な攻撃であると知っておくこと。
相手を気にかけ大切にしよう・信じようとしている純粋な気持ちが、本当は自分の中にあると認めること。同じように相手の中にもあると信頼してみること。
人としての信頼をベースとしたコミュニケーションにチャレンジしていくことが、結果的に自分を尊重することになり、相手を尊重することにつながるのだと思っています。...なかなかできないからこそ、みんな悩んでるんですが。😂

自分がチャレンジした結果、本当に攻撃が飛んできてしまったときは、すぐにその場から立ち去ろう。声を大にして伝えたい。そんなときはあなたの問題ではなく、相手の問題。
立ち去る勇気もまた、自分を守るためには必要。

1人1人が自分を尊重するチャレンジを続けていけば、他人を尊重できる社会にきっと変わっていく。子どもたちにちゃんと教えていけば、少なくとも次の世代は変わっていく。

そうやってフィンランドもノルウェーも変わってきたと、聞いたから。
小さくても、時間はかかっても、全然変化が感じられなくても、無意味に思えても。まずは自分から挑戦するチャンスがあることにワクワクしています。

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