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「音」へのこだわりと、言語習得についての考察

ノルウェー語を学んでみて

ノルウェーに行くと決めてからの約1年半の間、アプリやノルウェー語の先生にお世話になりながら、文法を中心に勉強してきたけれど、しゃべることに関しては全く自信がないままノルウェーにやって来ました。
特にノルウェー語の発音って難しいと感じていて。日本で教科書の音源とかを聞いていても、私は真似すらできない感じがずっと続いていました。

ただ、言語習得において自分は聴覚が優位だと認識しているので、
「これは行ってみて現地の言葉にたくさん触れないことにはどうにもならないな〜」
という感覚はずっと持っていました。

実際、ノルウェーに来て、日に日にノルウェー語の音に違和感を感じなくなっている自分がいるので、その感覚はやはり間違いじゃなかったと感じています。

私自身の「音」へのこだわり

私は何の楽器も演奏できないし、音符すらまともに読めないのですが、おそらく自分が耳にする「音」へのこだわりが強いんじゃないかという気がしています。こだわりの結果、様々な音を聞き分ける力が身についたと認識しています。
これは、幼い頃からクラシック音楽やラジオから流れる音楽、家族が演奏する楽器など「意識して聴く音」に溢れている家庭環境だったことが大きいと思います。

あまりちゃんと考えたことはありませんでしたが、良い機会なので 自分のこだわりや、普段から意識的にも無意識的にもやってることを挙げてみました。

● クラシック音楽を聞くとき
楽器を聞き分ける。幼い頃は何の楽器の音かを考えながら聴いたり父に確認したりしていた。
● 合唱団で歌っていたとき
パートを聞き分ける。自分が出す音とは違う周りの音を聞く。小中学生の頃入っていた合唱団で鍛えられた感覚がある。

↑ 多分音楽って、クラシックでもコーラスでもバンドでも、大人数になればなるほど周りの音を聞かないと成り立たないよなぁって思います。

● 普段好んで聴く音楽
・必ずリズムのある音楽。バラードは結構苦手。
・ギターが今のところ1番好きな音の楽器で、リズムを刻むパーカッション、木琴系の音も好き。なので、自分の好きな音楽を聴くときは無意識にそういう楽器の音を優先的に聴いている。
・逆にあまり好きではない音は、ピアノとバイオリンなどの弓を引いて出す音。弦楽器でも弦を弾いて出す音は好き。
・低音が大好きなので、曲の中でも低い音を優先的に聴いている。女性シンガーやボーカルよりは男性ボーカルの曲を聴くことが自然に多くなる。
・いろんなリズムやメロディーが同時に重なる曲が好き。初めのうちは主旋律を聞き、聴く回数を重ねるごとに別な旋律へと集中して、聞くところを変えて楽しむ傾向がある。

● 音に対する記憶
一度耳にした曲を覚えていることが多い。自分で曲を再現することはできないけど、どこでどんな状況でその曲を耳にしたか、情景が思い出されることが多い。「あ〜この曲、あのときあそこであの人といるときに流れてたな〜」みたいな。

鍛えられたらしい耳

他の人がどんなふうに「音」に反応したり音楽を楽しんでいたりするのか 確かめたことがないので、自分がやっていることがどれほど一般的なのか、逆に特異なのかも正直よくわかりませんが、環境の手伝いもあって、どうやら私の耳はそれなりに鍛えられたらしいということは認識しています。

結果、
★ 音を聞き分ける、聞き取る
★ 聞いた音を真似して発音する
ということが得意になりました。

これによってとても役立っているのが、
1. 外国語の習得(英語、フィンランド語、ノルウェー語)
2. 失語症や構音障害のある人の話を聞き取る力

もう少し詳しく分析すると。

1. 外国語の習得(英語、フィンランド語、ノルウェー語)

<英語>
現状、日常生活で困らない程度の会話が可能。
小学生で勉強し始めたときから英語の音が大好きだったので、ちゃんと発音したい思いが強かったし、英語の音を聞いている時間が心地良くて中学生くらいから聴く音楽はほとんど英語の曲に変わりました。
大学生になってから、2週間程度アメリカで先生宅でホームステイしながら会話を学んだ(英会話を強いられる環境で過ごした)ことにより、英語でしゃべることに一気に抵抗がなくなりました。
その後 長期の留学こそしませんでしたが、日常生活で困らないくらいに話せるようになったのは、一人暮らしをしていたときに聴く音楽や観る映画を含め、自分の家を英語環境にして1人で過ごす時間は頭も英語に切り替えられたこと、家庭教師や塾講師として中高生に英語も教えていたこと、映画が大好きでたくさん観てたことが大きいと思います。もはや会話は映画から聴いて学んだと言っても過言ではない…。😝

<フィンランド語>
現状、基本の挨拶と自己紹介ができる程度。
初めてフィンランドに行ったとき、多分 挨拶すらまともに覚えないで行ったと思いますが… 現地でホームステイさせてもらっている間に「ありがとうはなんて言うの?」「自己紹介どうやってしたらいい?」と、たくさん聞いて教えてもらったので、お決まりのセリフだけは言えるようになりました。
日本で少しだけフィンランド語を習っていたこともあります。
また、これまでに5回フィンランドに行っているので、その度に食べ物やシンプルな名詞の名前を聴いてインプットしていた影響で、今でも何かとフィンランド語の単語が頭に浮かんできてしまうことがよくあります。

<ノルウェー語>
ノルウェーに来たばかりの頃は、会話はほぼ何にもわからん!という感覚でしたが、1ヶ月過ごしてみてだいぶ頭の中がノルウェー語に対応できるようになってきました。また、ずっと難しいと感じていたノルウェー語の発音が難しくなくなりました。
ノルウェー語習得の進捗については、自分がどう変化したのか記録しておきたい理由があるので、ノルウェー語 習得メモとしてまとめることにしています。

ちなみに今はポーランド人が近くにいるので、たまにポーランド語も耳にしているのですが、ポーランド語の「ありがとう」だけはネイティブも褒めてくれるくらい上手に言えるようになりました!😎 ✌️
どうやって書くのかは知らないけどね(笑)

2. 失語症や構音障害のある人の話を聞き取る力

どういうことなのか、病気についても啓蒙を兼ねて少し説明すると。

<失語症>
脳梗塞・脳出血など、いわゆる脳卒中の後遺症や、頭部外傷による後遺症で、
【読む・書く・聴く・話す・計算する】
の機能に困難が生じます。脳のどの部分を損傷したかにより、どの機能が影響を受けるかも人によって異なるので、その人が持っている症状に合わせた生活支援が必要になります。

感覚としては
「記憶など頭がはっきりした状態で、全くわからない言葉を使う外国に突然放り込まれた感じ」
と想像するといいらしいです。わ〜 ノルウェーに来たばかりの私と一緒〜(笑)🤗
とはいえ、私は自ら放り込まれに行った点は大きな違いです。

失語症は重度になればなるほど、上記の5つの機能のどれもに困難が生じるのですが、私がこれまで仕事を通じて出会ってきた失語症の方は、ほぼ重度でした。
そのため、基本的に
●(声を出す筋肉にも麻痺がある影響で)全く声が出せない人
●「あー、あー」「おー」「それ」「はい」など特定の音や言葉は出せるけど、意味を成す文を口にすることはできない人
● 本人は頑張ってしゃべっているのだけど、周りからすると聞き取れない / 意味が通じない言葉としか受け取れないことをしゃべる人
と、何とか頑張って会話しなければならなかった... 😬

初めのうちはどうすればそういう人と意思の疎通ができるのか、非常に戸惑ったものの、表情や仕草を観察し、相手が何とか伝えようとする言葉を聞き取りながら、失語症の人と話す経験をたくさん積んだ今は、どんなタイプの失語症の人とも臆さずにコミュニケーションができる気がしています。

で、ここでも音を聞き分ける、聞き取る力が役に立っていたことに気づきました。
失語症の人としゃべるときは、相手が不明瞭 / 不可解な音を発していたとしても、その音を聞き取り、聞き取った音から私の中で言葉を構築することで、相手はこう言いたいのではないか?という見当が付きやすかったと思います。

<構音障害>
やはり脳卒中の影響で舌や声を出す器官に麻痺が残る場合や、脳性麻痺、外傷、進行性の病気など、様々な事情により発生するのが構音障害です。音をつくる器官の動きがスムーズにいかず、しゃべるとモゴモゴした言葉になったり絞り出すような声になったりします。構音障害も人によって症状が異なるので、やはり人それぞれの対応や支援が必要になります。

失語症と同じで、聞き取りにくい言葉を聞き取り、自分の中で再構築することで、相手が言ったこと / 言おうとしていることを想像しやすかった、時間をかけずに想像できたと思います。

失語症にしても構音障害にしても、コミュニケーションにおいては「この人と話そう!」という気持ちと、ある程度の慣れが大切なのは間違いないのですが、改めて考えてみて、
★ 音を聞き分ける、聞き取る
★ 聞いた音を真似して発音する
という力を、意外と使っていたんだな〜という発見でした。

ノルウェーで、ノルウェー語で生活するために

ノルウェーにいて、ノルウェー語を話そうと決めたからには、自分の耳は存分に生かさなければ。
そんな気づきもあったので、今ノルウェー語の勉強は、専らノルウェー語での会話の機会をつくるという方向にシフトしています。

でも、ノルウェーに来て、
「少なくとも英語ができて良かった〜〜〜!!!」
とは思っています。
私は英語で話すとき時制や文法をよく間違えますが、英語で言われていることがわかるのとわからないのでは、生活への支障の現れ方がまったく違うので。英語が使えることは自分の安心感にはなっています。

でもでも。
最終的には、何かができるとかできないとかじゃなくて、
ま、なんとかなるっしょ(というかなんとかするっしょ)!😎  👍  」
っていうマインドなのかなと、ノルウェーにいる人たちと一緒に過ごしていて思いました。😆

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