CyberAgentの新卒選考落ちから5年後、年間MVP獲得に至った経緯とこれから

0.自己紹介

こんにちはこんばんは、東信之介(あづましんのすけ)と申します。今年28歳で、CyberAgentのグループ子会社CyberACEで勤めています。出身は石川県の金沢市(金箔や兼六園が有名なところ)で、高校は星稜高校、松井秀喜や本田圭佑の出身校でもあります。実家を出て10年、社会人になって5年が経ったので、節目ということで、自己紹介と宣言の意味も込めて文章に起こしてみます。せっかくなので、タイトルにある通り、絶望から始まった就職活動の後、何があって、いまに至っているのかの経緯も書いてみます。

1.CyberAgentとの出会い

高校3年の頃、僕はAKB48が好きで、特に指原(さっしー)が好きでした。さっしーが"Amebaブログ1日100回更新"というチャレンジをやっていて、それを見て、自分も真似して更新するくらい好きでした(笑)。名古屋まで握手会に行って"自分もアメブロやってます!"と伝えてみたり…アメブロを通じてのCyberAgentとの初めての接点でした。朧げではありますが、あの頃の自分にとって、好きなタレントや仲の良い友達と繋がれる空間、場所・立場・職種・年齢など関係なく、それができるサービス。行動の起源はアメブロでした。それが凄いな、いいな!と思っていました。時は立って大学4年就活生になり、そのことを覚えていた僕は、アメブロの会社である会社の説明会に行くことにしました。当時の大阪オフィスは学生の僕にとって、なんて華やかで、働く人もかっこいいんだと思わせてくれました。勇気を出して人事の方に声をかけ名刺交換していただき、後日、大学近くでカレーをご馳走になりながら、会社の話を伺いました。CyberAgentとの距離が少し縮まった瞬間だと思いました。が、しかし、この後、いとも簡単に1次面接で選考落ちしました。60社以上受ける中で、特に憧れた、きっかけをくれた会社に一瞬で落ちしてしまい、当時は理由もわからず、絶望しました(笑)。

2.転職

結局、特にやりたいことも明確になかったので、無難に地元の銀行に就職して、なんとなく偉くなってやるんだ(半沢直樹1期を見て)と思っていました。1年半ほど経ったころ、広告でリクルートの転職サイトが出て、それがきっかけでCyberAgentの中途採用を受けることになりました。1次、2次と面談が進むにつれて、出てくる社員さんの目の輝きや語る内容に真剣さを感じて、自分も自然と本音で話すようになりました。この時、僕は将来ゲストハウスがやりたいんだと面接で豪語していて、なんで広告営業として採用頂けたのかはいまだにわかりません。笑旅行好きなのでゲストハウスがやりたいというのは、本当なのですが、、高校時代の自分にとってのAmebaブログのように、新しい経験や行動のきっかけを提供できる場所が作りたいと思ってました。最終的に、就活時代の人事の方にもサポートいただき、ご縁を頂きました。翌週、何故か、赴任地が九州・福岡に決まりました。

3.九州で出会った主人公たち

福岡の赴任初日、出会う全員が漫画の主人公だと思うくらいオーラがありました。現CyberACEの代表である西島大さんもその筆頭格です。ワンピースで言うと、覇王色の覇気をまとっている人たちに囲まれます。「こんな環境で本当にやっていけるかな?」当時の僕には、そう思うくらい前職とのギャップが大きかったです。そもそも営業もやったことがない、ノリもわからない、酒も飲めない、タイピングこそ自信はあったものの、ろくにパワポも使えない。考えている暇もなく、何とかくらいついて、いつのまにか1ヵ月、3ヶ月、半年と過ぎていきました。とあるお客様の大きなプロモーションをきっかけに、チームや営業活動を通じて成果を上げる感動や楽しさを知ります。超絶難易度の高い目標に対して、どうすれば達成するのか考え、その筋書きを幾つも用意する必要があり、到底、1年そこらの営業に回答が用意できるものではありません。沢山の人の助けやお客様の助けを味方に、何とか乗り越えました。でも、挑戦した結果、たいていが失敗して終わり、悔しい想いをしたり、アポ中に、いい年の男が、泣いたり、怒鳴ったりしていました。

4.一か八かの賭け

2年たった頃、新規営業に必死になっていて、このころ、いまあるお客さんや売上は、過去の誰かの成果であり、自分で獲ってきた成果物しか、成果ではないと思うようになっていました。仕事にも慣れて、やっぱり「自分でゼロから何か作りたい、生み出したい」みたいな気持ちが芽生え始めていたのでしょうか。そんな時に、東京への異動の話があったので、チャンスだと思ってぜひ!と即答しました、が、翌日に「やっぱり子会社で大阪の立ち上げをしないか」という誘いを頂き、組織の立ち上げはチャンスでしかないと、これも行く決断しました。これは当時の自分にとっては一か八かの賭けで、環境を変えたり、誰かに期待されている以上、ここで成果を出せないと厳しいなと思っていて、期待以上の実績を出そうと、決めていました。口には出さないものの、何かしら分かりやすい形で、成果物を残しておきたいなとも思っていました。

5.成果を出し続けることの難しさと楽しさ

その決断をして、子会社のCyberACEに入って1年半がたち、担当するチーム・仲間、上司に恵まれ、お客様にも恵まれ、CyberACEで2020年の年間MVP社長賞までいただきました。支えてくれた皆さん、本当に有難うございます。僕なりに、ない頭で考えたところ、成果を出し続ける上で、大事なことは"しつこくアクションし続ける"ことだと確信しました。シンプルですが、これにつきます。どんなに優秀な人が集まったとしても、100人で始めたことは99人の人が途中で投げ出してしまいますので、ほんの小さな力でも走っているだけで、チャンスが最後の1人にきます。まだまだ、たった5年の社会人経験なので全く偉そうには言えないですが、特に2020年はコロナ下で沢山の厳しいシチュエーションに出会いました。でも、苦しい判断や辛い状況こそ、のちに好転したことが多かったです。

・何度も断られた新規アポは、半年後にとれて受注できた。

・負けたコンペは、のちに半年後、開拓できた。

・もうだめかと諦めかけたメンバーは、のちに表彰されるくらい活躍した。

どれも、どれだけ時間がたっても、諦めずに粘った結果の産物でした。もちろん数字や売上が前提だとは思いますが、この積み重ねを評価頂いたと思っています。

6.これからの野望

冒頭であったように、僕はやっぱり、"新しい経験や行動のきっかけを提供できる場所づくりや、人生を変えるきっかけを与えられる人になりたい"と思ってます。そしてそれが"会社作りでもいい"ということにも気づきました。アメブロやゲストハウスだけに固執する必要はなかったです。なんなら、より大きく人生を左右するのは仕事であり、会社でした。僕はCyberAgentグループに入って、人生が好転しました。いま所属するCyberACEという会社は沢山の境遇を持つ方が集まっています。だから、今はそんな人の人生を、大きく変えることができる場所を更に大きくしていくことに楽しさを少し感じられるようになりました。そして、2020年の後半からは、考える時間も増えて、自分自身が会社経営や社長業経験をすることに、興味を持ち始めています。理想は、自分の人生を変えるきっかけをくれた、CyberAgentグループの中で社長業をやってみたいなと思っています。これは宣言しておかないと、いつでも逃げれるくらいみんな優しいので、書いて残しておきたいです。(決してCyberACEを離れる訳ではないです笑)なにより、自分の最も近い所でCyberACE代表の西島大さんが、もともと凄いのにも関わらず、社長経験をして、更に覚醒し続けている姿を見ているので、そこに刺激を受けたのもあります。多分、大さんは、遊戯王カードをやっても、麻雀をやっても、50m走をやっても強いのですが、そんな主人公を超えたいなと思ってます。そして僕は新卒選考落ちで、中途採用でチャンスを頂き、入ったからこそ、中途社員の方のお手本的存在になりたいと、思っています。中途社員が活躍できる環境作りや、お手本になるべきだと、勝手ながらこれは役目だと思って頑張ります。

7.最後に

まだまだ本当に志半ばではありますし、これから沢山チャレンジしますが、ひとまず怒涛の2020年を支えて下った方、有難うございます。アメブロをきっかけにCyberAgentを知って、新卒で選考落ちしてから5年、人生は本当に何があるかわからないです。CyberAgent、CyberACEに入社する方はもちろん、いま仕事がうまくいかない方や、落ち込んでいる方、悩んでいる方、少しでも勇気づけになればと勝手ながらに思います。最近、CyberACEには中途入社の方が猛スピードで増えていて、「何を考えているかよくわからない」と言われるので(笑)、自己紹介と宣言がてらに書いてみました。

最後まで読んでいただいて、有難うございました。

人生1回きり、仕事も自分も楽しんでいきましょう!

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