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普通ってなんだよって話

昨夜こんな呟きをしたわけですが。
最近、普通とはなにかと考えさせられる機会が何故か多く、いろいろモヤモヤしているわけです。

人は時を経れば変わっていくものだし、特に日本人はどこかで「みんなと同じ」を求めていたり、強要されたりすることが多いので、それに囚われない人をおかしな人として見てしまうのかもしれないけれど、そんなことでなにが分かるんですかね。

金髪、長髪、メイクが濃い、ファッションが派手、ライブハウスなんてアングラな場所を好む、それはおかしい。

うるせぇ。

なんで読書や映画鑑賞が趣味の人は普通で、インディーズシーンを応援する人がおかしいと言われるのか。

人生かけてやりたいことを貫くことは、そんなにおかしなことですか?
そもそもやりたいこともライフステージによって変わってくるんだろうけど、自分の変化を他人に押し付けるのはそれこそおかしな話だと思うし、どこまで親密になろうと他者は他者。
自分では無い人間の人生やポリシーを否定すること自体、烏滸がましいと思うのです。

先日中学時代の友人から「そろそろさー、なんか、もう少し普通の見た目になったら?」と、かなり気を遣った様子で言われました。

そういう時、きっと昔のわたしだったら「そうだよね、わたし変だよね」って笑って、自分をすり減らして平穏を作っていたんでしょうが、もういい大人です。
自分のことは自分で決めます。
「別に誰にも迷惑かけてなくない?」と言い返したわけです。

まぁ、おそらく良かれと思って助言してくれたつもりの彼女には"話が通じないやつ"だと思われたでしょう。

でもそれでいいんです。

わたしは学生時代から接客業ばかりしています。
見た目が奇抜なことは、接客業においては不利なことかもしれません。
ただ、見た目で仕事をしている訳では無いし、所謂"普通"の人達よりもミスが少ない自負があります。

それは見た目通りおかしなやつだと思われたくない自分のプライドであり、同じように肩身の狭い思いをしている人々への評価をさげないためでもあります。

とにかく。
他人のことを気にしている暇があったら自分の人生を後悔なく生きれば?
とね。

少し憤っております。
人間関係において大切なのは"余計なことは言わない"だと思うので、わたしも無意識に人に嫌な思いをさせていないか、また改めて考えてみようと思いました。

そう思わせてくれてありがとう。

というわけで、見た目の様子がおかしいくせになにもやってないと思われるのも癪なので(これは後付け)秋頃ライブハウスのステージに戻ります。

またお知らせするので、"普通"の皆様もぜひお越しくださいませ。
そして"普通"じゃない人間の生き様を感じて帰るといいよ。



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