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好きな本レビュー第5回目『宮部みゆき/火車』

自分の中であまりに大きな存在で、これについては安易に、上手に書ける気がまったくしない作品のひとつ。
平成に生まれた名作中の大名作、令和になってもその次も今後の時代にも絶対に残り続ける作品だろうと勝手に思っている、そういう自分の中で大きいものについて書いてみようと思います。



『宮部みゆき/火車』



休職中の刑事、本間俊介は遠縁の男性に頼まれて彼の婚約者、関根彰子の行方を捜すことになった。自らの意思で失踪、しかも徹底的に足取りを消して――なぜ彰子はそこまでして自分の存在を消さねばならなかったのか? いったい彼女は何者なのか? 謎を解く鍵は、カード社会の犠牲ともいうべき自己破産者の凄惨な人生に隠されていた。山本周五郎賞に輝いたミステリー史に残る傑作。

新潮社Webサイトより


画像を見て、お分かりいただけるだろうか・・・。これ、もう何度も何度も読み返していて、過去には学校や会社の休憩時間用に持ち運び、時には旅行の移動中のお供に持ち歩いたりして、
ついにはカバーがぼろぼろに破けとても本をcoverするものではなくなってしまったので捨ててしまいました(笑)そういうわけで現在私の手元にある本は丸裸状態です。


かつてはきちんとこういうカバーに覆われておりました・・・。


この出会いは、というか宮部みゆきという作家との出会いは中学生の頃。初めて読んだのはこれではなく、「レベル7」という作品でした。
このレベル7で宮部みゆきさんの作品に潜む伏線と後半にかけてそれらが見事に回収される物語、人の細かな心理描写、ツイストに次ぐツイストな展開に大きくドキドキしてあっという間にファンになり、次に手に取ったのがこの「火車」でした。

初めて読んだ時、読み終わった時はぼーっとしてしまったのをよく覚えています。中学生の私にとってはあまりに怖すぎて。

学校の図書館で出会った14歳からこれまで何度読んだのだろう、その都度年齢とともに読んできた。
重ねてきた年齢分、これを読んで見えたり考えたりすることも少し変わってきたけれど、根底の、怖い、悲しい、やり切れない、この気持ちが全然変わらない。


印象的なセリフがあって、

先生、どうしてこんなに借金をつくることになったのか、あたしにもよくわかんないのよね。あたし、ただ、幸せになりたかっただけなんだけど。

幸せになりたかっただけ。
このセリフが大人になってしまってから読むとまったく違う響き方をします。

主人公がたどっていくことになる女性の人生、カード社会とお金の仕組み、そういったものによって、皆が追い求める「幸せ」が、存在自体あやうくて、遠く霞んだところにありながら私たちを操る虚像のように思えて怖く、深く考え込んでしまいます。

生きながら幸せを求める私たちの生活の中で、より豊かで、簡単に願いが叶う仕組みでありながら、それに振り回されついには人生ごととって喰われるような落とし穴。
懸命に人並みに、自分の人生を、人によっては誰かのために「幸せ」をつくろうとした「普通の人」が、そうした落とし穴にはまって人並みの人生を失うことがある。

幸せとはなんだろう。

「あのね、蛇が脱皮するの、どうしてだか知ってます?」
「皮を脱いでいくでしょ?あれ、命懸けなんですってね。すごいエネルギーが要るんでしょう。それでも、そんなことやってる。どうしてだかわかります?」
(中略)
「一生懸命、何度も何度も脱皮しているうちに、いつかは足が生えてくるって信じてるからなんですってさ。今度こそ、今度こそ、ってね」

べつにいいじゃないのね、足なんか生えてこなくても。蛇なんだからさ。立派に蛇なんだから。
だけど。蛇は思ってるの。足がある方がいい。足がある方が幸せだって。
(中略)
そういう蛇に、足があるように映る鏡を売りつける賢い蛇もいるというわけ。そして、借金してもその鏡が欲しいと思う蛇もいるんですよ。

「あたし、幸せになりたかっただけなのに。」


この小説とは時代は今かなり変わって、なんとなく今は、いい車、大きな家、綺麗な洋服、ブランドものの時計、バッグ、靴、そういったものを目の色変えて追い求めている人は少なくなってきているような気がする。
そういう他人から見た形よりも、「推し活」のように自らの精神的な幸せを求める時代となっている感じがする。

それでも幸せとは何かと考えていることは変わらない。
求めることが変わってきていても、幸せを求めることが変わらない。
形が変わっただけで、何かを犠牲にして、他人を潰してでも望む幸せを手にしようとする人も変わらずにいる。

時代が変わってここに描かれている現実とは違っても、根っこは変わってない。
人は変わっていない。

幸せとはなんだろう。

幸せを根底に求め、生きることになった凄惨な人生の描写が怖くて悲しい。とても悲しい。

「死んでてくれ、どうか死んでてくれ、お父さん。そう念じながら、ページをめくってたんです。自分の親ですよ。それを、頼むから死んでいてくれ、と。僕には我慢できなかった。そのとき初めて、そういう姿を浅ましいと感じてしまった。それで、僕の堤防が崩れちまったんです。」
頼むから死んでいてくれ。
彼女の肘のすぐそばで、新着図書の推理小説を読んでいた若い女性は、百科事典をひいていた小学生は、雑誌の暴露記事に目を丸くしていた老人は、そういう立場を理解できたろうか。肘の触れ合う距離に、声の届く範囲に、そういう生活があることを想像できたろうか。


「幸せ」というものを前にして、私たちは常に危うい。
真剣に求めるには大きくて曖昧すぎる。

幸せとはないものを無理に追い求めるよりも、とりあえず今あるものを守ることで生まれるものかもしれない。
保守的でつまらないかもしれないけれど、このくらいに思って生きていけたらそれは「幸せ」かもしれない。

そういう風に思いました。

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