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エジプト旅行⑨ アスワン イシス神殿 2024-02-22

船は深夜にアスワンに到着
朝からバスで アスワン・ハイダムへ
アスワン・ハイダム 中学の時に覚えた言葉 なんか大きなことが起こった というだけの記憶でしたが、毎年起こっていたナイル川氾濫の防止、発電、灌漑まで含めた大規模なダム。当時ナセル大統領は有名でしたもんね。ダム湖の名もナセル、そのナセル湖がまた大きい!琵琶湖の8倍だそうです。

とても大きいナセル湖の始まり

アスワン・ハイダム

先にできたアスワンダムは既に橋になりその上流に造られたアスワンハイダム

ダムよりナイル川を眺める
ここも犬がたくさんいて 休憩中の母犬 
発電所とずーっと続く送電線
ナセル湖だと思ってたけど、行くのはナイル川 ボートでイシス神殿のある島へ向かう
みんな同じところ向かってますね!

もともとはフィラエ島という聖なる島
アスワンダムで半水没、その後アスワンハイダムをつくる時に隣の島に移設されたという

イシス神殿

イシス神殿が見えてきました!
比較的新しい クレオパトラの父の頃プトレマイオス朝(ギリシャ時代)に建てられたもの
だんだん近づいて レリーフ見える
よ〜こんな大きなもん移したわ というのが率直な感想
このあともっと大きい 移設された神殿 アブシンベル神殿にも行きますが
こちらには猫が門番を
ネクタネボ1世のキオスク と書いたパネルのところの建物
キオスク? このヘビの頭のようなものは守護という意味があるらしい…
ハトホルの顔が柱の上に
大きな柱が並ぶ
イシス神殿の塔門
このレリーフも彫りが深い 何年もかかったのかなぁ

神殿のレリーフ

左上から時計回りに
バステト神 (ライオン〜ネコの頭をもつ人間)とてもリアルな顔立ち
キリスト教徒によって上書きされたレリーフ
このヘビ(コブラ)の顔が可愛くて…
真ん中はハトホルの顔のはずだが、神の顔がキリスト教徒によって削られている
当時の生活のわかる細かいレリーフ
この下の、色が明るくちょっと柔らかめの石に彫られた文字
はくせんこ「白雪糕(はくせんこう)」に見える
(干菓子です 落雁みたいなものです)
こちらも食べ物いっぱい!
左右の神は消されても 食べ物は残る
こういう窓の空いた壁好きなので
今までの神殿にあまりなかったと思う
ナイル川が見える
古代の柱と 特徴的な雲

ナイル川もナセル湖もとても大きいが、乾燥地であるため蒸発する量も半端なく多いらしい だから発生する雲なのか…?

ボートで戻り、バスで古代の石切場

今でも大きな石が並ぶ
ここで切り出した石をナイル川から各地に届け、神殿やピラミッドを造ったという

切りかけのオベリスク

ハトシェプスト女王が造らせたオベリスクの切りかけ 
エジプト最大の42m!のオベリスクになるはずだったという
向こう側(てっぺんの方)にヒビが…

木をテコのように使い、あとは水を使うだけで石を割っていたとのこと
ここで取れるのは花崗岩
上に乗る黒い石はそれより強い石で、それを見せるための道具のようでした


次の行き先に向かう道で
赤い花がぼたぼたと車の上に落ちている
拡大してみると羽根つきの羽根みたいな黒い丸いものが付いていて、木に残っている
みなさん布を垂らしている 
何用かな


学校帰りの制服の3人 リュックが可愛い!
そしてパンツでもスカートでも良い


船に戻りランチ

実は前日も巻き寿司に似たようなものが出ました
前の席の方がそれを食べようとすると水分が飛び出る! 冷凍したものが溶けて 分離しただろう水分が噛んだら出た という感じなんだけれどそれが何かわからない 冷たかった というだけで
米部分が上の写真のように見えず、"す"が入ったもののよう 巻き寿司風冷凍物の失敗作?ご飯の代わりに何を使ったんでしょうか
結局私は食べなかったけれど… そして写真なくて残念
こちらの写真は普通にご飯を使った巻き寿司

ランチは船で いつも似たようなものですがこれは前菜 
巻き寿司がありました
ニンジンとハム的なものが巻かれている
こちらのハムはビーフかチキン


ナイル中洲のエレファント島にあるアスワン博物館へ

古代より移動で使われていた帆掛船(ファルーカ)に乗り向かいます

ファルーカ これに乗って向かう
頭の上をのぞいてみると…  まだ帆は広げられていない


アスワン博物館 

ちょっと西部劇のセットっぽい
発掘品と研究者っぽい人たち
遺跡と よく現れる 流れる鱗のような雲
まだまだ発掘中
島内で発掘された遺物
青緑っぽいファイアンス?の入れ物やガラスのようなもの

ナイルメーター(ナイロメーター)

毎年洪水が起こる季節にナイル川の水位を測定するもの(水位計)。
ナイル川は毎年7月後半から8月にかけて、周囲の平野を水浸しにする。その後9~10月ごろに水が引くと、農作物の栽培に欠かせない肥沃な"シルト"が残った。
浸水が不十分だった場合、しばしば飢饉がおこる
逆に、水位が高過ぎれば、家などが流され、農作物も駄目になる。

この肥沃なシルトができる水位=豊作を示している場合、税は高く設定されたという

水際からメモリが付けられている
この3枚では右上が1番上
まだその上にも続いていた


アガサクリスティが『ナイルに死す』を執筆するために泊まったカタラクト・ホテル
ハワード・カーターも泊まったとか

ソフィテル・レジェンド・オールド・カタラクト ホテル


このあとファルーカに乗って、風まかせの50分遊覧 

風まかせのファルーカ  左は遊覧ボート
向こうに見えるのは岩窟墳墓群(貴族の墓)らしい

船を操るヌビア人の民族楽器…(と聞いていましたが、透明で現代のパーカッションみたい)のリズムに合わせ、皆がつながって輪になってダンスしました 自分も入ってるので写真撮れないー
ということで、同じツアーの方に写真をお借りしました!

みんなどんどん繋がって輪になっていきます 


その後船で土産物の販売もありました。ヌビア人、商売上手!



博物館のある島 エレファント島に咲く花
左下はトゲトゲの草
アスワンにいたスズメ
頭の上、羽の外の一部がグレー
アスワンのカラス背や腹がグレー
胸元の模様が変わってますね!

絵葉書を出したかったので郵便局に寄ってもらいました

絵葉書は一枚80エジプトポンドの切手が必要
この頃1エジプトポンドが5円くらいなので400円ほど!

右上の緑のものは道端に停めてあるバンの郵便局(移動するわけではなく夜もそのまま停まっていた)
左が40エジプトポンド切手 一枚は記念に
下はこの切手がバンでは置いてなかったので訪ねた郵便局
ここから出したので間違い無いでしょう!

アスワンはヌビア地方。ヌビア人(エジプシャンでもアフリカンでもないヌビア人ということに誇りを持った人たち)のファルーカに乗り、夜はヌビアンショー
楽器(手に持つ小さな太鼓だけでなく大きな太鼓も)や歌で独特な踊りを見せてもらったり、みんなで輪になって踊ったり
その後ステージでヌビア人のこの派手な格好をしたおじさんだけになり、次は何人かが呼ばれ、この人の真似(めちゃめちゃな言葉?やふり)をするように言われる 
もうみんな大爆笑


アスワン 晴れ時々曇り 17〜30℃            日の出:06:16     日の入り:17:47ナイル川 ソネスタ・ナイル・ゴッデス号泊

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