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真の愛を追求するアホ 〜ヤリチンがモテる理由〜

恋愛する人が減り、精神が未熟な子供おじさん(おばさん)が増えた。
決して恋愛しないことや、推し活やオタクが悪いわけではない。だが、自分の現実逃避のために都合よい対象を見つけて、独りよがりに陶酔している人間はどこか異様だ。


今回はついに「恋愛論」の続きを書いていこうと思う。気分がノラなかっただけで、忘れていたわけじゃない(うそ)。

前回「恋愛とは温泉のようなもの」ということをすこし書いた。


最初の記事は『世界のペ○スのデカさランキング』っていうとんでもないタイトルだけれど、恋愛でもっとも重要なのは社会的な地位や評価やペ○スのデカさでもなく、「陶酔能力」だという話。

温泉に入った時のような多幸感、今にも意識を失いそうな高揚感、世界(相手)と自分との境界が溶けてしまうような感覚、それでいて溺れてしまわないように自分を保つ強い意志。

それが陶酔能力。

疲れ切った心身で入る時の温泉。ぽかぽか暖かく、まるで母親の子宮に戻ったかのような幸せ。いまにも眠ってしまっいそうな心地よさ。

だけど全身の力を抜いてしまえば溺れてしまう。苦しくなって大抵は反射的に身を起こして目が覚めるけど、そのまま溺れていれば文字通り、死んでしまう。例えるならそんな能力だ。


陶酔能力がいまいち想像出来ない人は、過去動画「なぜかマジメな人がモテない理由」で話しているので観てほしい。

橋本治は「陶酔能力」はドラマを描く能力だとも説明する。
恋愛という物語を生み出し、そこに陶酔し、最大限の快楽(生きる意味)を引き出す能力である。また、他者に対して自己を閉ざし守ってきた「ガード」をはずす能力でもある。


橋本治が30年近くも前に提示したこのテーマ、「陶酔と自分を見失わないこと」という問題は、現代では「承認欲求」の問題として、より先鋭した形になって現れている。

と言うようなことを、二村ヒトシさんか誰かが解説していた。


「陶酔と自分を見失わないこと」。これが私が「恋愛とは温泉である」と言った理由だ。


陶酔能力がない人は恋愛ができない。人を好きになれないし、なってもらえない。自分は恋愛ができていると思っている人も、相手にガードがなかなか外せず陶酔能力がない人もいる。そして、陶酔能力があったとしても、自分を保ち「自分を見失わないこと」が出来ない人は恋愛が成就しない。


メンヘラ(ヤリチン)の恋愛を想像すればわかりやすい。

彼らは一見モテるが、その恋愛は確実に破滅へ向かっていく。モテるのは陶酔能力はあるからだ。ただ、相手にドロドロに溶けるだけ溶けて(相手をドロドロに溶かして)、自分を保つことができない。どちらか壊れるまで依存し続ける。

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