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人類はASKAとかいう才能を知らなさ過ぎる件について

やあみんなこんにちは。

先日note公式が以前書いたサマソニの記事を取り上げましてですね、お陰でいろんな有識者の方々から「アクモンの初登場は2007年じゃなくて2006年だ」と突っ込まれましてね。

完全にわいのリサーチ不足がいけないんだけど、note公式が取り上げたせいでまぁ凄え言われんのよ笑。

この場をお借りしてアクモン及びアクモンファン、ならびにサマソニを愛する全ての音楽ファンに、間違った情報を伝えたことをお詫び申し上げます。

なおこの記事を書いた三代目齋藤飛鳥涼とかいうホラ吹きに関しましては、アクモンの出演年を間違えた罪として、PDFファイルとして圧縮してこの世の藻屑となる予定なのでお見知り置きを。

前置きが長々となってしまったが、今日の本題に入ろうと思うぞい。

小室復活おめでとう

先日乃木坂46が新曲「Route 246」を発表した。この新曲、引退宣言をしていた小室哲哉の作曲をしており、90年代を代表する天才ヒットメイカーの復活として大きな話題となった。

冒頭の「小室復活おめでとう」は、小室哲哉と同じ90年代を駆け抜けた天才のツイートからの引用である。その天才こそ

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元CHAGE and ASKAのASKAである

90年代初頭に「SAY YES」「YAH YAH YAH」といったヒット曲を世に送り出したスーパーグループのメインボーカルにして、作詞、作曲、イケメン担当にして歌の上手い久保建英でもある。

とはいえ最近の人からすると、もはや薬物やらギフハブやら、定期的に何か騒動を巻き起こすトラブルメイカー的な感じで見られてるのも事実なわけで。そのせいかテレビの音楽番組なんかでも微妙にアンタッチャブルな感じで扱われる傾向がある。

そして評論家筋の人間からも、完全にメインストリームのヒットメイカーとして扱われるため、そういった音楽評論の流れでも無視される傾向が強く、結果としてどの層からも真っ当な評価をあまりされてないのが実情だ。

最近邦楽の歴史を調べていてですね、ちょうどJ-POPのWikipediaのページを見ていた時にこんな記述があって

このジャンルは、マスメディア側が先導する形で音楽カテゴリーのひとつとして誕生し、それにふさわしい音楽を売り手側が分類しているという点において、グラム・パンク・グランジ・オルタナティブ・ロック・ヒップホップなどといった他の音楽ジャンルと異なる、大きな特徴といえる[8]。斉藤によれば当初の部類は多分に感覚的であり、演歌はだめ、サザンオールスターズや松任谷由実はOK、アリスやCHAGE and ASKAは違う、などとされていたが、明確な根拠などはなかった。しかし洋楽の何かに影響を受けたとわかる音楽、洋楽と肩を並べられる音楽が選ばれたと言う[9]。

どうやらチャゲアスは当初のJ-POPの概念からすると、J-POPですら無いらしい。どう見てもミリオンバブル創成期のアーティストなのに、J-POPですら無いって言われるあたり、どんだけ雑な扱いを受けてるんだこの人たちは。

まあ明確な根拠は無いって書いてあるけど、なんとなくこの扱いの感じからなんとなく分かったはずだ。

チャゲアス、なんかダサいアーティスト認定されてるんじゃないか説

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全盛期のビジュアルとか見るとね、確かにね、なんかダサいとは思うよ。うん。ASKAのゴツい肩パッドとか、CHAGEのバンダナの上に帽子とか。「GUYS」ツアーの時の青のズボンにトレーナーをシャツインとか最高にダサいし。

でもそれって音楽的なとこじゃなくて、あくまでうわべでのイメージによるところが大きいと思うんですよ。これってチャゲアス並びにASKAの活動スタイルの影響によるところが大きいと思うんですよね。

これはデビュー当初のチャゲアスなんですけど、バブルの遺産って感じの音楽性とは思えないくらい純朴なフォーク青年なんですよね。しかもそこに演歌的エッセンスも入れていて、デビュー当初からかなり音楽性が変化してきたことが伺えます。

そこから数年経ち80年代後半に入るとシンセポップ。80年代末から90年代初期はデヴィッドフォスターからの影響を受けたAORサウンドで、バブルを代表するヒットメイカーに(イメージが強いのはこの時期)。90年代中盤からは男臭いフォークロック。90年代末にはクラブサウンドを取り入れたオルタナ系と、時代に合わせてコロコロとスタイルを変えており、それを高い次元で表現できるところがASKAの凄さなわけなんですよ。

このような激しいスタイルの変化が続いたことによって、一番ヒットを飛ばしていた90年代初期のイメージで時を止めてる人が多く、それ以外の時代に何やってたかわからないって現象に陥っているんですよね。

上記のような現象のせいで、10年代後半のシティポップリバイバルの時にガッツリ無視されていたのもなんだかなぁって感じがします。「恋人はワイン色」とか「DO YA DO」なんてめちゃくちゃシティポップって感じの曲調なのに。

とはいえここまで多種多様なジャンルを水準以上のレベルでやれるのが、ASKAの圧倒的な音楽センスを裏付けている証拠です。

まずはWALKとLOVE SONGを聴こう

ASKAが過小評価気味だということがわかってもらった上で、じゃあ何から聴けば良いのという話になるのだが、個人的にはこの2曲こそチャゲアスの本質的な部分を突いた曲だと思ってるので聴いて欲しい。

まずは1989年発表の23枚目のシングル「WALK」だ。まだ「SAY YES」で大ブームを巻き起こす前の曲なのだが、この時点で完成度はハイパーインフレを起こしつつある。

ASKAの伸びやかな歌唱力もさることながら、音の余白をフル活用した空間的なサウンドは邦楽の中でも珍しくはないだろうか?

また歌詞も複雑なAメロ、Bメロから一転して、サビでシンプルなものに変わることで、核心的な要素は確実に伝えるという巧妙な作り。

そしてなんといってもこの美しいメロディだ。天性メロディメイカーASKAの極致ともいえるメロディなのだが、こんな素晴らしい楽曲が今世間では埋れかけているのが勿体なさすぎるのだ。

続いて紹介するのは24枚目のシングル「LOVE SONG」だ。この曲と「WALK」はデビュー10周年にリリースされたアルバム「PRIDE」に収録されている。

そして両者ともラブソングという体をなした、ファンへの感謝を綴った楽曲だ。複雑な楽曲構成から成り立つ「WALK」に対して、「LOVE SONG」は一転してシンプルだ。

だがそのシンプルさからはASKAの絶対的な自信を伺うことができる。彼はこの曲の中で「半オンスの拳が受けてる」と歌う。

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これは当時のバンドブームで出てきたバンドたちへの皮肉であり、あえて時代の流れを無視し、ストレートに我流で勝負する意思表明でもあった。 2年後「SAY YES」「はじまりはいつも雨」でスターダムを駆け上がるのだから、まさに論より証拠を体現したとも言える強いエピソードである。

NEVER END

ここからはおすすめアルバムの紹介なのだが、一枚目はASKAのメロディメイカーとしての部分を堪能してもらいたいのでこのアルバムから。

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95年発表ソロ3作目「NEVER END」だ。

チャゲアスの活動の合間を縫って作られた本作は、それまでの企画色の強かったソロとは打って変わった、本格的なソロアルバムとしてリリースされた。

曲自体は「ひとりチャゲアス」と言われるほど90年代中盤のチャゲアス色が強いが、歌詞の方は一転してネガティブなものが多いのが特徴だ。

実は「YAH YAH YAH」を出したあたりからASKAは世間のチャゲアスブームに対して危機感を持っていた。それは「RED HILL」という曲の中で自らへの警告という形で現れている。

そしてASKAの予想は的中し、「YAH YAH YAH」リリースの翌94年ミスチルが「Atomic Heart」で大ブレイクを果たし、小室哲哉がTRF、篠原涼子といったアーティストのプロデュースで台頭し、変わりゆくシーンにチャゲアスは取り残されることとなる。

そんな逆境の最中にリリースされたのが今作だ。リード曲の「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」はそのポップなメロディと相対して、栄枯盛衰を描いた強いメッセージをはらんでいる。

そのほかにも多忙な現代社会を憂う「I'm busy」「月が近づけば少しはましだろう」、十八番とも言えるの失恋ソング「next door」、少年の自殺のニュースからインスパイアされた「はるかな国から」と暗いテーマが並ぶ。

だがそんなネガティヴさを吹き飛ばしてしまうほど、ASKAのメロディメイカーとしての才能が爆発している。歌詞とメロディのギャップこそ今作最大の魅力であり、ポップミュージシャンとしてのASKAの魅力が最大限詰まった一枚だ。

GUYS

2枚目はチャゲアスの最高傑作とも称されるこのアルバムだ。

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92年発表15枚目のアルバム「GUYS」。

前年91年のASKAはマリオのスターでも食ったんか?ってぐらい無双状態に入ってて、元から高かったソングライティングのクオリティに、やっとセールスが追いつくようになりました。

ようは世間がASKAの凄さに気付いてしまったって感じです。ちなみに91年のチャゲアス及びソロでのセールス実績がこんな感じで

シングル
はじまりはいつも雨(ソロ) 116万枚
太陽と埃の中で 50万枚
SAY YES 282万枚
僕はこの瞳で嘘をつく 81万枚
アルバム
SCENE II(ソロ) 110万枚
TREE 235万枚

もう米津玄師じゃん

数字のインフレがやべえ。一年でこれだからな。しかも93年には「YAH YAH YAH」でまたまたダブルミリオン獲得するからね。

シングルのダブルミリオンが2作あるアーティストはチャゲアスとミスチルだけみたいで今のところ不滅の記録です。ちなみにグループとソロの両方でミリオンを取ったことがあるのはASKAと桑田佳祐と香取慎吾だけらしいです。捕鯨すげえ...

さあそんな無双状態に入ったASKAは、ロンドンに赴むき本作をレコーディングします。時間と予算をめちゃくちゃ費やして、ロンドンでも屈指のスタジオミュージシャンたちを呼んで作られた結果、美しく洗練されたサウンドが全編にわたって展開されるアルバムとなった。

Wham!やSpandau Ballet、Swing Out Sisterなどとの共演経験があるキーボーディストJess Baileyをプロデューサーに迎えたことで、ASKAが紡ぐ天才的な楽曲群と見事な化学反応を起こし、彼が80年代末から志向していたデヴィッドフォスター流AORが完成するに至るのです。

この化学反応の最大の恩恵を受けたのが、今作の先行シングルとしてリリースされ、日本一地味なミリオンとも言われる「If」だ。

シングルでリリースされた時は割と普通なJ-POP的アレンジが施されており、完全にチャゲアス人気でなんとかミリオンになった感が強かったこの曲。

しかしアルバム版では、より美しい洋楽的なアレンジとなっており、ゆったりとしたメロディに本場AORのエッセンスが散りばめられた神秘的な美しさを内包する一曲となった。

そして「no no darlin'」、これがとにかくやべえ。「美しさ」がこのアルバムの最大の特徴なわけだが、そんな美しいアルバムの中で最も美しい曲って言ったらやばさが伝わると思う。というか伝われ。てか聴け。

ASKAの伸びやかかつ鼻にかかった癖の塊のようなボーカルはどこまで響き渡り、サビになるとCHAGEの富士山が生み出した天然水ばりに透き通ったボーカルはどこまでも優しい。

「WALK」で芽生えたチャゲアス流AORは、「SAY YES」という特大ヒットで世間に見つかり、「no no darlin'」で完全なものとなる。

その完璧さは聴くものを圧倒すると同時に、チャゲアス自身もこれを超えるAORを作ることは不可能であることを悟らせた。

事実翌年からチャゲアスは都会的なサウンドを捨て、より大衆的なポップ路線へとシフトする。そしてそれが前述の「RED HILL」という自らへの警告となって現れることとなったのはある意味皮肉なのかもしれない。

余談だがこのアルバムにドラムとして参加しているニールコンティは、80年代UKインディーシーンを代表するバンドPrefab Sproutのメンバーでもある。


KICKS

チャゲアスならびにASKAは前述の通り、「SAY YES」「YAH YAH YAH」「はじまりはいつも雨」「パラダイス銀河」というヒットを世に送り込んだバブル期のヒットメイカーとしての側面で語られることが多い。

そのため90年代中盤以降から逮捕される10年代中盤までの約20年、何をやっていたか知らないという人がほとんどのはずだ。

チャゲアスはアジア人アーティストとして初めてMTVアンプラグドに出演した96年から3年間、事実上の活動停止に入ることとなる。

ちなみにこのMTVアンプラグド、レギュラー放送自体は99年に終了している。その後2001年にMTVジャパンが出来てからは日本版MTVアンプラグドとして不定期放送されている形となっている。

つまりチャゲアスはレギュラー放送に唯一出演したアジア人アーティストなのだ。これかなり名誉あることだと思うんだけど、やはりチャゲアスというだけあって無視されてるんですよねぇ。残念。

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脱線してしまったがチャゲアス活動休止後、各々がソロ活動に入るわけだが、この頃からASKAが薬物に手を染めてしまう。

そんな時期に発表されたソロ4作目「ONE」は、あのASKAの作品とは思えないくらいサウンドの重厚さは減り、全体的に軽やかな作風となった。

ただ問題なのはこのアルバムの最後の曲「ID」だ。


えぇ...

みなさん分かっているとは思うが、この曲を作った人間は「SAY YES」というJ-POPでも屈指の甘ぁぁぁあいバラードを作った人間と同一人物だ。同じ人間が作ったとは思えないくらいシリアスな楽曲だ。

しかもこの曲のやべえところはネット社会の蔓延による匿名文化を予知するような歌詞世界となっているのだ。早くから作曲においてパソコンを導入してたからこそかけた歌詞なんだろうけど、この思考が後のギフハブ騒動に繋がると思うとなんかヤバいよね笑。

しまいにはこれをシングルとしてリリースするという暴挙に出るとこまでセットなのがこの曲の恐ろしいところだ。絶対売れないし、売れたら世の中おかしいぞ。

だがここで終わらないのがASKAという男の恐ろしいとこであり、凄いところなんですが、翌98年に本来一年で終わるはずの活動停止期間をさらに一年延長。その勢いのままに作られたのが、最後におすすめするアルバムです。

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ソロ5作目にして通称問題作こと「KICKS」だ。

このアルバムを一言で説明するなら

聴いてみな、飛ぶぞ

このアルバムには世間がよく知る甘美なメロディに載せ、うっとりするような癖の強いボーカルを聴かせるASKAはいません。

代わりにいるのはハードロックサウンドとクラブビートのエッセンスを導入し、時にはしゃがれたシャウトを飛ばすオルタナティブミュージシャンのASKAです。

ASKAがオルタナ???って思うかもしれないが、騙されたと思って聴いて欲しい。このアルバムのASKAはマジでぶっ飛んでる。

似たようなパターンでこの時期に逮捕された槇原敬之も「Hungry Spider」という問題作を出しており、こちらはかなり知名度がある曲だ。とはいえこの曲自体はサウンド自体は奇天烈さはあるが、まだ槇原敬之流のポップスという体裁は保っている。

「KICKS」のやばいところはそれまでのASKAの音楽性という体裁すら守れてないところだ。似た感じで言うと「深海」「BORELO」期のミスチルに近いかもしれない。ただこっちは薬物を使ってる上に、激しいライブ活動を重ねたせいで喉までダメにしてるから、とてもまともだとは思えない。

こんなこと言ったらファンに怒られるかもしれないが、「KICKS」は人間の破滅を詳細に描いたドキュメントに近い。ただそれが日本屈指の音楽IQの持ち主が作ったことにより、とんでもないモンスターアルバムと化したのだ。

自分がこのアルバムに強烈に惹かれるのは、このアルバムが放つ破滅的な美学によるところが大きい。そしてこの時点で20年近いキャリアを持つアーティストが、新たな音楽を貪欲なまでに吸収しようとし、チャレンジする姿勢に魅了されるのだ。



いかがだろうか。この3枚を聴き終えたら次に何を聴けば良いの?と思ったあなた。個人的には88年から99年までのチャゲアス、ASKAのアルバムにハズレは無いのでそこら辺を中心に聴くことをお勧めしたい。というわけで今回はこの辺で終わりしにします。




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