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差別、インクルージョン、ジェンダー:「生理的に受け付けない」をどう対応するか。

今回の記事はまとまっていないので、読みづらく申し訳ありません。

LGBTQ+やジェンダーについて生徒と話したり、生徒同士が話したりすることは必要なことだと思うので、話題にあげて時間を取っています。

インクルージョンとは、「多様な人々が互いに個性を認め、一体感を持って働いている状態」ということ。

結構、この「個性」という言葉が引っかかる。

つまり、LGBTQ+の個性についてだけではなく、LGBTQ+を受け入れられない人の個性も認めることもダイバーシティを認めることになるから。

「性的マイノリティを受け入れること」ということに皆が思わなければいけないのかということ。それは個性を潰すことにならないのか。

性的マイノリティの人が世の中にはいるし、周囲の友人にもそのような人がいる可能性もあるし、友人の兄弟姉妹がそうである可能性もある。

実際、私の友人では3人いますし、そのうちの1人はよく交流があり、相談することもよくあるし、私は抵抗感は全くありません。

しかし、生徒の中には受け入れられないと感じている生徒もいます。過激な考えを持っている生徒もいたりする。

「受け入れなさい!!」というのもおかしい。

教育は洗脳の場ではないけど、違うなと思うことは修正したほうが良いなと思う。対話をして、納得してもらいたいなとも思う。

逆に、そういう考えを持つこともアクセプトしないといけないのかなと思ったりもする。

差別、ヘイトスピーチ、どれもなくなるべきとは思うものの、受け入れられない人にどう理解してもらえるのか。

考えていくと、「受け入れられない」は個々の考えなのだと思うとまだ良いのかもしれない。「いなくなれ」「排除せよ」と思ってしまうのをどうやってトーンダウンさせていくのか、これは力を尽くさねばならない。

いろいろ考えると「個々が受け入れる」必要はなく、「そういう人もいるからそっとしておく」という気持ちをもってもらうのが今のところ落ち着くのかな。

「俺は犬派。猫派のやつら、ぶっつぶす」みたいなのはいない。
「犬派も猫派もウサギ派もいていいじゃん。まぁ俺は犬飼うけどね」っていうスタンスが人間同士でも取れたらいい。

だから「みんな違って、みんないい」と昔は言われたけど、
今の時代は「みんな違って、みんなどうでもいい」
生徒への伝え方は難しいけど、そういう感じなのかな。
差別をなくすためのマインドセット。

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