見出し画像

夏休みの宿題についての私なりの考え

新型コロナウイルス感染症の感染者数が夏休み直前に激増し、「この後どうなってしまうのか、貴重な夏休みがまた『自粛、自粛』となってしまうのか」など不安が多かったところではありますが、ニュースを見る限り、昨年よりは旅行者数も増えたようで各々が素敵な夏休みを過ごせたのであれば大変喜ばしいことと思います。
もちろん、感染されたり、不安を感じられたりして描いていた夏休みを過ごせなかった方々にとっては辛い日々であったと思います。早くのご快復をお祈り致しますと共に、早く皆様が安心して過ごせる日々が訪れることを願ってやみません。

今回のテーマは「夏休みの宿題」について

なぜ、夏休みに宿題が必要なのか。

私は中学、高校の教員ですが、以下のような宿題を出すことを好んでいます。
1. 本を読みましょう。(感想文は出さない)
2. 映画を観ましょう。

以上です。

まず、「教科書ばかりが必要な知識ではない」ということから考えたものです。
世の中には学校の教科以外に必要なものは無数にあり、特に学校ばかり通う生徒にとっての世の中が学校であってはならないと思っています。

まず1.の読書ですが、たかだか6インチ程度の画面に1行十数文字のサイズで読みやすく改行を繰り返すものばかりを読んでいては、正しい段落のまとまりや読み解き方は身につかないのかと思っています。

一方で、SNSやこのnoteで発信するときには、そのときに合わせた「書き方」があるわけで、フォロワー数を伸ばすという目的のためにはそれに適した「書き方」を身につけるスキルは必要ということになってしまうわけですが。そのスキルはもしかしたら今の10代にはより重要なのかもしれません。

では、どうして「本を読め」というのか。

私の答えは、小説であれば1つストーリー、新書・ビジネス書であれば1つの仮説や人生のヒントとなるものを読者へ伝えるために紡ぐ言葉は、twitterなどのSNSでは語りきれないものなのだ、というものです。
140字で要約することのスキルやテクニックをSNSでは必要なのかもしれませんが、もっとずっと深い思いや考えは、やはり140字では語り「尽くせない」ものですから、人間の葛藤や悩みや苦悩などは小説だからこそ語り「尽くせる」ものとなり、読者自身の他人と共有できなかった苦しさを溶かしてくれるものになり得るのです。
人の人生を一言で語り尽くせないものですから、やはり本を読むということは中高生の小さな光になるものだと思います。私の中では、この光は蛍のような淡い光であって、トンネルの奥から差す光ではありません。本はフットライトのような進むべき道を作るものとして見るのではなく、道は自ら作らねばならないと思っています。
蛍の淡い光は道しるべではなく、今まで感じたことのない感動や非現実的な光景に興奮と穏やかさを与えてくれるもので、本もそんなものと思っています。

次に2. の映画鑑賞ですが、映画はその時代の人間が何に興味や関心があり、何に苦悩し、何におびえていたのかなどがわかるものと伝えています。

たとえば、ノストラダムスの大予言に恐怖を感じていたときには隕石や宇宙からの侵略者におびえたり、シンギュラリティに対して恐怖をおぼえたときはコンピュータやAIなどの危険性を想像し描いたりしたわけです。

映画は、制作費〇億円など莫大な費用と期間を必要として、DVDで売れれば良いのではなく、映画館で多くの人が観てくれることを望んでいるわけで、誰をターゲットにし映画にすれば(日本では)約2時間1,800円の支払いをしてくれるのかを当然考えて製作されているわけですから、時代を映しているコンテンツとしては最良と思っています。


そのように考え、私は読書と映画鑑賞を「英語の宿題」として課しています。これらの宿題について話す際も上記のように理由もきちんと生徒に話します。理由を理解することで生徒は取り組んでくれるものですので。
逆に、英語の冊子を解く宿題の意義のほうがよっぽど説明しにくいです。

文法や単語を覚えることは授業内でやるで十分であり、宿題で何十時間も搾取するより、それ以外に学び、知ることのほうが重要であり、その機会を紹介、実践できる時間を与えることに重要な意義があると思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?