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個性に合わせた教育を考える

「個性を大事にする」
「個性に合わせて教育を行う」

このような言葉が聞かれるようになって久しいですが,この教育を行うためにはどのようにすべきなのか,考えていきたいと思います.

「個性」とはその人の性格や能力や気質,資質といったものを総合的に見たときに現れてくるものです.
そのため,算数や理科の「成績が良い」から理系である,とか両親や兄弟姉妹に優しく接するから「優しい」性格であるという一側面で判断できるようなものではありません.
以前受け持った生徒に,5段階評価で,国語「4」社会「2」数学「1」理科「3」英語「2」の成績の生徒がいました.
この生徒は「理系というより文系かな」ではなく,「本が好きなので文章を読むことにストレスはなく,ただ数字の計算をするという作業は苦手で,理科で事象を体系的に理解することはできるが,社会で年号を覚えるなどは苦手で,英語はそもそも読めない」という人でした.
この5段階評価で見えてくるものはその生徒の知識・技能・能力といったもので,単純に論理的思考がある・ないということでもなく,どのように物事を考えるのが好きか,得意かということは見えてきます.
性格は非常に穏やかで当たりは柔らかく,他の生徒もそのあたたかさのある性格には一種の癒しを感じていたようです.

個性を考えるために必要なことはその生徒の思考方法を理解する必要はあります.感覚的な人,論理的な人,熟考する人,判断を早まる人,1つの事象で決めつける人などさまざまです.

そして,大事なことは教える側が上に立たないということ.
「正解主義」と揶揄されることもありますが,私見ですが「9教科で学習者の資質を決めつけてはならない」という考えを持っています.
教える者が上に立つと,それに合わない者(学習者側)はつぶれていきます.正解を教えつけられ,たとえば,「他の事象を挙げてくれたら解決できるのに」「もう少しじっくり考えさせてくれたら理解は深まるのに」と教える者が先に進もうと先導してしまうと,学ぶ側はそれに必死についていくことが学びの優先事項となってしまいます.これは個性も何も生まれない(活かされない)学びとなってしまいます.

当然,知識として学ばなければならないことは多くあり,すべてをのんびりと待つことはできませんが,今の学習内容の「肉」をもう少し削いでいくことは必要なことなのかもしれません.

今ある8教科や9教科は今後もありつづけて良いものですが,これからの学びの中にはオープンエンドな問いを考え続け,溜めていき,いくつか書き溜まれば読み返して修正して,そのように人は成長していくように感じます.

オープンエンドだからこそ正解がなく,
オープンエンドだからこそ議論や対話が深まり,
オープンエンドだからこそ称え合える学びが生まれてきます.


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