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気遣いとお節介のボーダーライン【勤務外日記】

僕が通っているジムのトイレはとても気が利く。

トイレのドアを開けるなり、便器の蓋が自動で開く。
さらに、それでは飽き足らず、なんとその直後、U字型の便座まで上にあげてくれるのだ。

男性は立った状態で用を足す、いわゆる「立っしょん」の姿勢を好む。
そこまで慮ってこのトイレは便座を上げてくれるのだ。ここまで思慮深いトイレがあるだろうか。なんと愛おしいトイレだ。

なんて考えつつ、僕は便座を下ろし、そこに座る。
残念ながら、僕は幼い頃から座って小便をするようにしつけられていたので、洋式のトイレでは座らないと違和感がすさまじいのだ。
だから、このトイレの気遣いは僕にとってはただのお節介でしかない。

しかし、不思議とこのトイレの行動に対して嫌な気持ちは湧いてこない。

そこでハッとした。

今までお節介とは負の力を持つ言葉で、悪い表現として使うことが多かった。
相手が気遣った結果、それが自分のためにはなっておらず、お節介が生まれてしまう。

そう思っていた。

しかし、トイレが僕のために「こうしたら、喜んでくれるだろうな!」と考えて行動したという事実は変わらない。

自分のためになった気遣いはそのまま気遣いとして承認して、自分のためにならなかった気遣いはお節介に変換する。

なんと自分はエゴイスティックな人間なんだ。

トイレよ、僕に学びを与えてくれてありがとう。


これからは、自分のためにならないお節介も愛していこうと思う。


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