『Zone存在しなかった命』【2013/日本映画/117min/劇場公開作品】

私が自主制作した福島原発事故に伴う半径20キロ圏内の強制避難区域に取り残された動物たちを記録した映画『Zone存在しなかった命』が満を持してYouTubeに於いて無料配信された。

 公開から五年。全国2,800ヵ所以上のTSUTAYAやゲオにリリースされてから三年半。そのリリースに向けて尽力くださったのは昨年『カメラを止めるな!』で空前の大ヒットを飛ばした本編カメラマンの曽根剛さんだという事実はここだけの話(笑)

 もっと多くの方にこの現実を理解してほしいという願いから、この度無料配信に踏み込んだわけです。 

 よく画面が荒れて観づらい部分が多かったというご指摘がございましたが、それもそのはず何故なら警戒区域の中での撮影では、私は殆どカメラファインダーを覗かず撮影していたもので。私も初めて警戒区域に入るまで、中で撮影してはいけないという規制など知らなかったのです。当初は業務用の少し大きめのカメラを用意していたのですが、そちらは目立つので殆ど使えず、たまたま予備で持って来ていた小型のハンディフルハイビジョンカメラがメインに活躍することになりました。20キロ警戒区域に入るには勿論、検問所がそれぞれの道路に設置されていて、私はその都度様々な方法で中に入りました。中にも日本中から駆り出された警察官が被曝しながら常時パトロールしているわけで、もし撮影記録しているのがバレたら逮捕されます。まぁ、私自身が逮捕勾留される分には一向に構わないのですが、一番危惧していたのが協力者さんに迷惑がかかるという想いだったので、撮影中はカメラレンズを被写体に向けてはいるけれど、私の視線は常に辺りをキョロキョロし、いつパトロール中の警察官に遭遇しないかに留意していました。そのせいで画面が一部観ずらい箇所があるのです。
映画ではカットしましたが、何度か警察官と遭遇しカメラを隠したりしているシーンなどが実は存在します。

 思い起こせば、当時東京23区のゴミ収集の運転手として働いていた私が、この映画を製作するにあたってはいろんな思いが馳せられる。若い頃は、劇場用の35ミリ映画をたった一人で完成することができるかという無謀な発想から26歳からほぼ10年かけて白黒長編映画を製作したりしていたが、所詮プロの映画監督になる意思も、業界で下積み生活を送るつもりもなくただ漠然と映画を作っていただけなので、その後同棲中の彼女が自殺したこともあり、自然に自主映画も撮らなくなり(一時は路頭に迷い、当てのない放浪をしていたこともあるが)、2011年の震災時は普通に勤労生活を送っていた一介の運転者だった。(その話はいずれ書きたいと思います。)

 東日本大震災の三日目、原発が水蒸気爆発を起こし放射能が撒き散らされたかもと日本中が迷走し騒がれていた時も、私はどこ吹く風で、池袋の映画館で韓国映画『悪魔を見た』を鑑賞しながら韓国映画の水準の高さにただただ感服し、パンフレットを読みながら悦に入っていたのを覚えている。原発が爆発してもどこか遠い場所での対岸の火事のようだった。

 そんな私でも徐々に事の深刻さを理解し、特に原発事故から数ヶ月が過ぎた頃、テレビニュースで警戒区域に取り残された動物たちは全て救出されたような報道で安心したような記憶がある。日本は先進国だし、むかし『南極物語』が空前の大ヒットを飛ばしたように動物に対して優しい民族だし、日本はそういう国だと信じていたが、更にその数か月後にあるネットに書かれていた「実は警戒区域には多くのペット・家畜が取り残された儘である」という誰かが書いた記事には、正直驚かされた。

 一体、その真相を知るにはどうすればいいのか? やはり自分の目で確かめるのが一番だろうか? 預金口座にはそれなりの余裕もあった。 マジで行こうか? 被曝するぞ! また自主制作で映画ごっこを再開させるのか? お前がやらなくても他に同じ考えの人間がわんさか居るよ! ドキュメンタリーなんて作ったこともないだろ? 放射能数値が高すぎてカメラの撮影データには記録されないかも? そんな自問自答が数日続いた。そんなウジウジした自分が嫌になり意を決し、後戻りできないように数十万する高価な、前述の業務用カメラを購入したのもその頃だった。これで、もう行くしかない!(若い頃は映画はフィルムだった。私が30代半ば頃からデジタル化が進み、デジタルテープで記録する時代で止っていたので、初めてSDカードで記録する方法に当初は躊躇したが…)

 片っ端から警戒区域に通う方々に連絡し、中に入る協力をお願いした。どこの組織にも属さないし何の経歴も無い、ただただ胡散臭いしどこの馬の骨かもわからない人間からそんなお願いをされても、当事者たちも困っただろうが、意外と皆さん結構協力的で、私の取材依頼を断わりを入れてきたのも一例くらいだったろうか? ということは、皆さん必死でどんな媒体でもいいからこの惨状を発信してほしいという願いがあったのだろう。SNSを利用し始めたのもこの頃。

 実際、ある農家さんからこの原発20キロ強制避難区域にカメラを持ち込み記録しているジャーナリストは誰もいないから是非、記録に残してほしいというお願いをされたことがあった。その言葉に気付かされた。「ほんとうだ! 誰も記録していない…」 時々、警戒区域の写真や記事を見掛けるが、ほんの一過的なもので、警戒区域を一つのストーリーとして描く必要に気付かされた。交通費だけでも毎回3~5万円かかるが、地道に通いながらこの警戒区域の朽ち果ててゆく姿を最低でも五年間は記録に収めていこうという想いだった。

  最初は、この先進国日本がこのような残酷な仕打ちをして、しかも大手のマスコミが挙ってそれらを報道しないなんて有り得ないと信じていました。しかし、現実はそうではなかった。中に入り、最初の第一印象は『ああ!全て騙されていたんだ!』という想いでした。映画ではカットしましたが、私が一番最初に出会ったのはたった一頭で何処かの農家の納屋に佇んでいた馬でした。いろんな想いが巡ってその場でボロボロに泣いたのを覚えています。誰もいなくなり生活音が全くしない村、そこにポツンと寂しく一頭だけ取り残されたポニー。私を中に入る協力をしてくださった地元民の方は、そんな私に『もうあんまり泣くなよ…』と優しく声を掛けてくれた事も思い出した。

 そんな平日は東京で仕事し、週末の土日に福島に通う日々が何か月も続くと当然の如く、数百万あった預金も全て使い果たし、平日の夜勤に2t車での新聞輸送の副業も掛け持ちして、まさしく死に物狂いで生活していたことを思い出します。映画の中盤に登場するボランティア活動の女性が独り言のように呟く『こんなに生活破綻するまで続けるとは思いもよらなかった』と愚痴をこぼすシーンがありますが、私自身がまるでミイラ取りがミイラになるが如く、この福島取材によってとことん生活が破綻していきました。

 この『Zone存在しなかった命』製作時にはまだ残された動物がいるとレスキューするという大義があり、それなりに達成感もあったのは事実で、本当に私自身を精神的にズタボロにさせたのは、この後に製作した姉妹編『みえない汚染・飯舘村の動物たち』でした。こちらも昨年末から無料配信を開始しましたので、是非ご覧くださればと思います。その映画では、そこに悲惨な動物たちがいるのに何もできないという法治国家であり放置国家そのものの日本に心底失望し、東京と飯舘村との果てしないギャップで離人症のような症状に悩まされて以降心から笑うこともなくなりました。(こちらの映画はまた改めてご紹介したいと考えています。)

 話を『Zone存在しなかった命』に戻します。朽ち果ててゆく警戒区域を五年単位で記録してゆくという当初の予定は、映画の後半に突如として現れた一匹の柴犬との出会いで大きく舵を切ることになりました。あまりにもボロボロの姿で発見されたその犬(のちにキセキと名付けられ私が里親として引き取った。)に「五年も悠長なことを言ってる暇はないぞ!」と教えられたような衝撃だった。他の出演者さんも皆、早く仕上げてほしいという要望もあり、撮影取材は八ヶ月ほどで打ち切り編集作業に入ることにした。とはいうものの撮影データは優に150時間を超えた。

 知り合いの格安映画編集者の元へ電話し、編集を依頼したが今はもう編集業務を廃業した旨を聞かされた。仕方なく、また別の知り合いの学生の子に編集をお願いし、構成プランを打ち合わせし、データを渡した。だが膨大すぎるデータを前に、泣きの連絡が入り私自身、途方に暮れながら撮影だけ済ませておいて、編集のことを一切考えていなかった現実に心底、己を恨んだ。一体、どうすれば完成できるんだ?

 パソコンもろくに扱えず、文字変換さえできなかった私が一念発起して編集ソフトを購入し、自分で編集し仕上げるだという思いに駆られたのもそういった背景からだった。Wordすら使ったことがないのに、いきなりプロ並みのフルハイビジョン動画編集である。日々、説明書と睨めっこして数ヶ月かけて完全独学でマスターした。人間の執念とは凄いものである。一日二箱吸っていたタバコをやめた! 酒も完全断酒し編集に没頭した。(お酒の方はその後また飲むようにはなったが)様々な、活動家さんや農家の方々、取り残された動物のために一所懸命に走り回る人々、切っても切っても撮影素材は残った。結局、3時間3分で完成し、すぐに英語字幕を入れ20ほどの海外国際映画祭のコンペに応募した。だが、どれも落選した。やはり長いか? そして現在の117分に仕上がるまで、更に一時間以上を泣く泣く切った。当初の五年間記録していたら、いったい何時間の映画になっていたことか?

 しかし、この時の編集に於けるピンチがなければ永遠に自分で編集ソフトをマスターしなかっただろし、編集技術を得たからこそ次回作の『みえない汚染・飯舘村の動物たち』や、最近作の『アジア犬肉紀行』http://www.adg-theater.com/asiandogs/ への製作にと移行する事が出来た。ちなみに若い頃に映画の専門学校で映画フィルム編集の勉強は少しだけしていたのだが中退しました。日本映画の編集の世界では大御所の鈴木晄先生の元で、同期で大親友だった西原昇氏は現在、大阪の住之江区長を務めています。

 そんな完全自主ドキュメンタリー映画の『Zone存在しなかった命』ですが、各方面でも話題になり名古屋大学の論文にも取り上げられたりもしました。映画の内容自体は女優の杉本彩さんがご自身のブログにてご紹介してくださっているので、映画のタイトルと杉本彩さんを検索していただけると出ると思います。こちらですね。 https://ameblo.jp/sugimoto-aya/entry-11835040555.html

 そうそう、前述した柴犬のキセキは私が引き取って6年半が過ぎましたが、今でも元気で暮らしています。

 それでは、どこのマスコミでも記録されることのなかった福島強制避難区域ZONEへ、ようこそ!
是非、ご覧になってください!

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