1月11日 広い意味での芸術、それが持つ力
僕は音楽と文学が好きだ。この2つは明確に芸術の一つだと言えると思う。
他には絵画とか書道、ダンスとかが分かりやすい芸術として挙げられる。
僕がタイトルに広い意味での芸術と書いたのは、アイドルやアニメやYouTubeも芸術の一つだと思っていて、それを強調したかったからだ。
芸術とかアートとかいう言葉を使うと何だか高尚な感じがするけれど、僕はどちらかというと英語の「ART」が持つ語感に芸術の本質を感じている。
「人が織りなすもの」という語感だ。
僕は言語学者じゃないから厳密に正しい言葉の定義を知っているわけではないので、そこを突っ込まれたらすみませんというしかない。
とはいえ、人が人のために成すものは全てアートなのだと思っていることを伝えたかったのだ。
そんな芸術が人間にとってどれほどの力を持つだろうと考える。
ある人は芸術は人を救うというし、ある人は芸術に力はない、無駄なものだというかもしれない。
まあ色んな意見があると思うけど、僕はここに少々詭弁めいた意見を投じたい。
芸術を軸に人間を論じる時点で芸術は力を持っているのだと。
僕が言いたいのは芸術には力がないとか言っていたとしても、既に芸術と人間を相対化させており、その関係性を持ってあなたのスタンスを明確化させているということだ。
人というのは不確かな存在で、完全に独立して生きていくことは難しい。
そこに芸術という支柱を建てることで、あなたは自分の存在を確かめることができる。
芸術の根源的な力はそこに集約するんじゃないかなと思う。
僕はずっと持病を抱えて、無職で、生きづれえなあと日々思っている。また、音楽や文学がその状況を変えられるとは思わないし、現に何も変わっていない。
けれども、音楽や文学に触れることで少なくとも自分の生を実感できる。
時には生を肯定することもある。
まあでも全ての芸術に生を肯定することを求めるのは求めすぎだとは思う。
最も大事なことは生を実感することなのだ。
だから、例えある芸術が気に入らなくても、それをクソだとか言ってみても、そう言えることそれ自体があなたという人格を掘り起こしている、あなたという存在を芸術が浮かび上がらせていることを意味しているのではないか。
それが芸術の力、愛おしさなのだと僕は思う。
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