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あかりとインドのヨガ日記②/日本編-繰り返し続きしことに宿るということ-

今日歩いてて、久々にやることなくて暇やなーと思って、数字見る遊びした。ほんまに久々に、ただ数字眺めるやつ。あの配列いいなー、とか、あーーあれはバランス良い。とか、結局27は綺麗なのよなーとか。やっぱ2好きやなーとか、それにしても5とか9って色が難しいよなーとか。思いながら、歩きながら。

この数字と色の話はちょっと不思議で
それだけでも結構好きやのに

そうやって歩くのが好きやのに
久しぶりにしたなーー数字見ながら歩くやつ

とっても不思議なことに
でもきっと必然的なことに

いろいろ、つながってるなーって感じた


最近、なんとなーく
生活の基盤の、ベースの部分が適当になっていた感覚があって
でも、なんか、どうしていいかあんまわからんくて

ほころびている感覚はあるけど、
それをどう整えていいのかあんまわからず
なんとなく上っ面でふわふわしてる感じがあって

なんかこう、どうしよう、いやどうしようもない
うーーーんってなってたんやけど

ようやく、理由がわかった、遅い〜〜

毎朝続けてたヨガをサボり始めていたこと
ヨガもストレッチもしてたときから
ストレッチだけしかしないようになり、
ストレッチも怠るようになっていて

その分、睡眠時間は増えてたはずやのに

どーーーーーーしてか全然
なんかこうぱっとせんくて、いやーー不思議

寝てるのに、余裕あるはずやのに、
なんでなんでってなってたけど

ほんまにびっくりやけど
まるで宗教やなとさえ思ってしまうけど
朝にヨガをすることが大事だと改めて

身体を通して知った

ヨガっていうか、太陽礼拝
ほーーんまに、あれは、長年(いや多分、長年とか素人が言っていいレベルではないくらい、長い間)引き継がれて、受け継がれてきたものには

シンプルに健康とか、そういうもの以上の価値が宿っているんやと思う


思わざるを得ないという気持ち

「歩く」とかもそうかもしれん
古来から、どんなに文明が発達しても、ずっと続けていることにこそ、
きっと、見えている価値や意味以上のものがあるのかもしれない

起きる、太陽を浴びる、ご飯を食べる、人と話す、歩く、寝る

そういう繰り返しの、当たり前の、普通の、普通すぎて見えないくらいのものたちにきっといろんなものが宿ってる

色と数字、全然関係なくなった

ほんとはつながってたんやけどなー
ちょっとまあいいかってなったな。うん。

は〜〜寝よう寝よう

なますて。

世界に色が増えるように、色ペン1本購入します。