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ゆるめのOL、心の背筋が伸びた話

ギターをはじめまして、
毎日「早く帰って弾きたいなあ」って思う。そんな風にいつのまにか、めぐり合わせで心に近い存在になるものってあるんだなと思った。こんばんは、あかりです。

今日、ひさびさに心の形を感じたから忘れたくなくて、寝たい気持ちと戦いながらダッシュで書きなぐっている。
書きなぐるって言うけど、パソコンに打ち込んだりスマホで打つのは殴る感じではないから、なんか言語ってこうやって形だけ残っていくんだなって思った。

初っ端から脱線

ヨガが終わったあとに、だいすきすぎる先生と話すんやけど
今日はその10~15分くらいの対話(心の中で哲学対話と呼んでる)が終わったあと、すごく心の背筋がまっすぐになった

こんなに感情の部分で
「整ったあああ!」っていう感覚になったの久々やった。

心がモヤモヤしたり、苦しかったり、不安になったりするときって
恐れからきてるんじゃないかと思う

あの人に、こう思われたらどうしようとか
あの人が、こうなってたらどうしよう
自分が、ショックを受けたらどうしよう

全部、おそれからくるなあと思う

別にそれが良いか悪いかとか
恐れを手放すことが大事とか
そういうことが言いたいわけではなく

ただ、そういう恐れってあるなと思う
失いたくないとか
怖いとか、傷つきたくないとか
手放したくないとか
そういう、愛と恐れの原理みたいな

そういうのがあるなと思った

0か100か、つまり、好きか嫌いかが
はっきりしてると
嫌いなものは嫌い!とあっさり手放せる一方で
好きなものはだいすきで
すごく執着してしまうらしい

だから、こだわりがあって
それじゃなきゃ嫌だとか
これがだいすきとか
そうなるんやって

それ自体が良いことか悪いことかという話ではなく
必ずしも
めちゃくちゃ好き!とか
めちゃくちゃ嫌い!とか
それだけにすると
危うい部分もあるということらしい

だから、
たまにはちょっと違うのを選んでみたり
”どっちでもいい”をしてみるとか
そういうのも良いねという話だった

あとは、素直になんでも言っちゃうことが
結局すっきりするんじゃないかという話や

予定を決めるということ自体が
とってもとっても苦手だという話
断ったり、行く・行かないを決めたりということが
結構難しいという話

個人的には、
総じて流れに任せるしかないという結論に至ってはいるものの
なんか、こう
同じように思ってる人がいることを知って安心した

日々生きていて
もう20年以上も生きてるから
だいぶ生きることになれてきたと思ってるけど

それでも、毎日
考えたり、気づいたり
もやもやしたり、ほっこりしたり
若いなあと思う

もうちょっとで
そんな今日も終わりだ

なますて〜〜


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