「彼女と交わす取引と、そして普通を望む化物の学校生活」第22話

「……ここ、かな?」
 瑞香がやって来たのは世帯者向けのマンションだった。
 1人暮らし用に比べて明らかに部屋数が多い。
 しかし、オートロックなどは無くいわゆる高級住宅では無い。
 瑞香は頓着していなかったが、医者が住んでいるにしては貧相な場所だった。
 番号から鈴谷の部屋を探し出した瑞香は扉を開ける。
 一歩部屋の中に入ると、鈴谷は足を止めた。
 険しい顔で部屋の中を見渡していく。
 室内はシンプルなものだった。
 履いてすぐの扉はおそらく水回り、正面にはリビングが見える。机の上に何らかの紙が無造作に置かれている。
 ゴミが散乱しているわけでも無く、逆に物がない訳でも無い。至極真っ当な部屋だったが。
「……匂うね」
 瑞香の鼻はその香りを捕らえていた。
 人間はおろか大半のフリークスは気付かないだろう微かな血の匂い。
 瑞香のはすぐに鈴谷が口にしていた彼という言葉を思い出す。
 不幸にも鈴谷に手を出してしまったフリークス。
「すんすん。こっちかな?」
 靴を脱がずに鈴谷は家の中に入って行く。
 鼻を鳴らしながら廊下の歩き抜けた。
 左にはキッチン。右にはリビングとその先に部屋が2つ存在していた。
 鈴谷は左の扉まで近づき、ドアノブを回した。しかし。
「ん? あれ?」
 ドアノブは回るも扉は開かない。軽い力で押しているも扉は引けなかった。
 鍵がかかってるのか、と瑞香は理解した。
 瑞香はキーケースを取り出して鍵穴と見比べる。
 それには複数の鍵が束ねてあり、これのどれかが正解の鍵だと推測できたが。
「ま、いいか」
 瑞香はそのままドアノブに手をかけた。そしてどれほど意味があるのでは定かではないがドアノブはねじる。
 そのまま扉や壁の破損を気にかける事無く引き付ける。
 そしてドアノブだけがえぐり取られた。
 瑞香が思わず手に残った金属の塊に視線を落とす。
 そんな彼女の目の前で扉が部屋の中へと開いていった。
 押戸だった事を瑞香は今更ながら理解する。
「け、結果オーライオーライ」
 色々な事から目を背けて、瑞香はドアノブを床に投げ捨てる。
 そして部屋の中に足を踏み入れた。
「……うわっ」
 しかし数歩進んだだけで顔をしかめて動きを止める。
 広さは4.5畳ほどの寝室だった。部屋の内側には防音用の緩衝材が張り詰められている。
 そして瑞香の目の前にはベッドがあり、その上には以前の彼女のように拘束され目隠しをされている男がいた。
 ベッドサイドには点滴がつるされ、彼の左腕に何かの薬品が滴下されている。
 瑞香の時と違うのは彼が全く動いていないことだ。
 微動だにすることなくベッドに横たわっている。
「……全く、どっちも可哀そうに」
 彼に襲われた鈴谷、そして鈴谷を襲ってしまった彼の両方に同情しながら、瑞香はベッドに近づいていく。
 瑞香の指が首元に触れてもその男は身じろぎすらしなかった。しかし彼女の指先に僅かながらも血管の拍動が伝わってくる。
「まだ生きてるんだ」
 瑞香はこれからどう行動したものかと考える。
 このままこいつを逃がすか、小町に引き渡すか。殺すのは少し嫌だな、と彼女は腕を組んで思案する。
 しかし彼女はおもむろに相手の拘束に手を伸ばす。
 そのまま相手を開放しようとしたのだが。
「むっず!? あぁ、もう!! なんなのこの病的な縛り方!?」
 それは病院で抑制帯を使用する際の一般的な縛り方であり、当たり前だが簡単には解くことができない。
 結局彼女は自分の時と同じように引き裂く事にする。
 しかし全ての拘束を開放してもやはり彼は動き出す事は無かった。
 目隠しを解くと相手の瞼は固く閉ざされている。
 眠っている、というよりは気を失っているていた。度重なる失血で意識を保つ事ができていない。
「おーい。早く目を覚まさないと狩人の怖いお姉さんが来ちゃうぞ?」
 瑞香は男の肩を叩きながら反応を求めるも何も返ってこなかった。
 彼女はため息を吐いて周囲を見渡す。
 そして彼女はベッドサイドに無造作に放置されていた小ぶりの変形したナイフを見つける。
 それが何に使用されていたかなど彼女は考えたくも無かったが、背に腹は代えられず手に取る。
 そして軽く左手の親指の腹を傷つけた。
 赤い血の玉が指先から流れ出す。すぐに傷口はふさがってしまったが、血を流すには十分だった。
 滴り落ちた血が瑞香の親指から男の口へと落下する。
 乾燥した唇の間から血が相手の口腔内に取り込まれた。
 すると数秒も無いうちに男から反応が返ってくる。
 瞼がぴくぴくと痙攣しだして、開かれた瞳が瑞香ととらえた。
 次の瞬間には男の身体が跳ね上がるがしかし。
 そのまま後ろに飛び下がろうとしたのだろうが、ぎこちない動きでベッドから落下するだけにとどまった。
「あー、大丈夫? だいぶ血を失ってるみたいだから無理しない方がいいよ?」
「く、くそ……!? お、お前一体……?」
「一応貴方を助けたんだけどね? それからお仲間だよ。だから飛び掛かってこないでね? 面倒だから」
「……フリークスか?」
「だからそう言ってるでしょ?」
 瑞香は穏やかにベッドを挟んで男と会話する。
 そうすると男の視線から徐々に恐怖と警戒が薄れてきた。
「こ、この家に居た女は?」
「さぁ? 多分もう死んだんじゃない?」
 小町に任せて来た向こうの状況を想像しながら瑞香は返答する。
 小町先生ならば鈴谷に負ける事は無いだろうと、瑞香は考えていた。
 だから、どれだけ時間がかかるか分からないが小町がこの場所に来るのも時間の問題だった。
 ゆえに問題はこの男の処遇だった。
 どうすべきか瑞香は考えを走らせる。
「そ、そうか……」
 自分の生死を考えている瑞香の眼前で男は安心して息を吐き出す。
 その動作だけでこれまでどのような扱いを受けてきたのかが目に浮かぶようだった。
 しかし、次の瞬間に男の視線が瑞香を捕らえる。
 何か疑問を考える様に男の視線が困惑していた。
 瑞香も自分が見られている事に気が付く。
「どうかした?」
「いや……、お前、どこかで……」
 そして男の両目が見開かれる。
 そこで彼は致命的な間違いを犯した。
「お、お前!? ダフネ・オ――」
 その言葉を男は言い切る事ができなかった。
 目にもとまらぬ速さでベッドを這い上がってきた瑞香の右手が彼の顎を握り砕く。
 口の下半分が亡くなった男がもんどり打って転げまわる。
 そんな彼を瑞香はベッドで四つん這いの態勢で静かに見下ろしていた。
「……そう。私の顔を知っているという事は貴方、あの場所に居たのね?」
「  !!  !?!!?」
 男が両手で口元を抑えながら必死に首を横に振る。
 しかしもう何もかも手遅れだ。
 瑞香の地雷を踏みぬいて知った哀れな男の末路はこの時に決まった。
「ねぇ、ちょっと教えて欲しいんだけど。私の情報を組織に売った奴、知ってる?」
 凍り付くような瑞香の言葉に、男は変わらず首を横に振り続ける。
 その動作が何に対しての否定なのか、誰にも伝わるものでは無かったろう。しかし今の彼女には何も関係が無かった。
 襲ってきた組織の狩人は全て叩きつぶした。あれら末端はただ上からの指示に従っただけだろう。
 後は自分を売ったフリークスと、協同した狩人の人間は誰なのかという情報だった。
「まったく、困ったものだよねー。私の血を飲めば本当の不老不死になれるとかさー。なーんか私の血は魅力的らしいし」
 瑞香は言葉だけは楽し気に話しながらベッドから降り立つ。しかしその表情は全く笑っておらず、また男から視線を外す事も無い。
 男は後ろに這いずって逃げるがすぐに壁にたどり着く。
 瑞香は男を追いかけながら持ったままのナイフで再び自分の右の親指を切り付ける。
 再び流れ出した赤色を男の目の前に掲げる。
「ねぇ、飲みたい?」
 笑顔の瑞香の申し出に男は返答できない。
 元々飢餓状態寸前だったところに、少量の瑞香の血液で活動していたのだ。
 男の息は荒く、そして視線は瑞香の指先を凝視している。
 それが答えだった。
 瑞香はそのまま右腕を男の顔面に叩き込む。壁は緩衝材事打ち抜かれた。壁の破片と共に男がリビングに放り出される。
 顔をつぶされた男はそのまま動く事は無かった。
 部屋の中から男観察していた瑞香は、しばらくするとスマホを取り出す。
 数回のコールの後に相手とつながった。
「あ、もしもし小町先生? うん、そっちは大丈夫? あぁ、なら良かった。うん、実はね。鈴谷の家に行ったら見た事ないフリークスがいてさ。飢餓状態で襲われたから、殺しちゃった。え、私? 大丈夫大丈夫。うん。それでね、先生まだ学校? うん。今からちょっとそっちに向かうね。ばいばーい」
 電話口の向こうでは小町が何か話していたが瑞香はそのまま通話を終了する。
「……そろそろ潮時かなぁ」
 そして瑞香は男の死体を放置して学校へ戻り始めた。


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