「彼女と交わす取引と、そして普通を望む化物の学校生活」第18話

「……っ? ん、んぁ?」
 瑞香が覚醒し、まず理解できたのは眩しさだった。
 瞼を閉じていても感じる事ができる光。
 普段眠る必要のない彼女にとって初めての体験だった。
 あぁ眠るっていうのはこういう事なのか、と未だ覚醒しきらない頭で理解する。
「あら、目を覚ましたの。早かったわね」
 近くから発せられた声に瑞香は顔を右に向ける。
 そして拘束された自分の腕の先に、スピッツに保管された血液を見つめていた鈴谷蘭が居た。
 スチールの事務机に上には顕微鏡や何かの薬品、そして赤い血が並べられている。
 寝ぼけ頭の瑞香にもその血が自分のものだと理解できた。
 そしてもう一つ、彼女の両手両足と体に布が巻き付けられていた。
 瑞香は知る由は無いが、それは病院で抑制に使用される抑制帯という物だった。
 すべてがベッド柵に括り付けられており、体の可動範囲はわずかしか無い。
「ふむ。貴方より体重の多い彼はまだ長時間眠っていたのだけれど。体格以外にも何か要因があるのかしら?」
「……むしろ私は薬で気を失った方が驚いた。貴方、フリークスに効く薬を作ったの?」
「ふりーくす?」
 鈴谷は瑞香の言葉が理解できない様にオウム返しを行った。
 その反応で瑞香は目の前に相手の事を理解した。
「……あなた、まさかフリークスの事を知らないの? もしかして、ただの偶然で他のフリークスを捕まえた?」
「フリークス、……なるほど。貴方達はそんな名称なのね。ごめんなさいね、もう彼は喋れる状況じゃないから」
「……え?」
「人間じゃない事は気付けたから、薬や実験なんかをしてたのだけれど。……そう。もっと話を聞いておけば良かったかしら」
 鈴谷はそう話しながら瑞香の元に近づいていく。
 ここにきて初めて、瑞香は目の前の女の狂気の一端を理解した。
「それと、別に新しい薬なんて作ってないわよ? ただ投与量や配合を変えれば十分に効果がある。また失血が効果的なのもね。まさかこのご時世に瀉血なんてする機会があるなんて」
 この女は実験によってフリークスを解析していたのだと。試行錯誤で何が効果的なのか、どうすれば捕らえられるのかを見つけだしたマッドサイエンティストなのだと。
「……嘘でしょ? フリークスで実験してたの?」
「えぇ。けどしょうがないでしょう? 襲ってきたのは彼なんだから」
 鈴谷は至極当然のように返答する。
「人の事を捕らえて、血を吸って。だから相手の事を観察した。そして立場が逆転した。何もおかしくはないでしょう?」
「おかしく、って……」
「むしろ感謝してほしいわね。私はちゃんと定期的に餌も与えてる。この頃、妙に食べる量が多くて困ってるのだけれど……」
「……フリークスは長期に血液を摂取しないと飢餓状態になるの」
「あぁ、そうなの。ありがとう。記録しておくわ」
 鈴谷はそう言って机の上で紙に記載をしていく。
 言葉通り、新しく知った事を記録しているのだろう。
 女性を捕らえた部屋で全く表情を変えずに普段通りの動作をする。
「……あぁ、妙な気を起こさない方が良いわよ。貴方にはまだ薬品が残っているし、血液も十分に抜いておいた。動くのは無理よ」
 鈴谷はそう言って彼女の左側を指さす。
 瑞香が視線を反対に向けると、左手には点滴が行われていた。
 彼女は全身の感覚が鈍くなっていたために気付いていなかった。
 そしてそこから何が自分の身体に入ってきているのか、彼女には全く理解できない。
 状況を理解して瑞香が顔をしかめる。
「ねぇ、貴方の目的は何なの?」
「目的?」
 瑞香からの言葉に鈴谷が振り無く。
 その顔には未だ笑顔が浮かべられていたが、その視線はむしろ何も返さない虚無の様だった。
 瑞香は初めて人間を恐ろしいと思う。
「……復讐ならその男にすればいいじゃない? なんで私を狙ってるの?」
「あぁ」
 鈴谷は納得したように相槌を打つ。
「貴方の血じゃないと他の人間をフリークスにできなかったのよ」
 しかし返ってきたのは瑞香の想像をはるかに超える返答だった。
「……は?」
 さしもの瑞香も面食らって返答を返す事ができなかった。
 今この女は何を言った、と信じられない表情で鈴谷を見つめ返す。
「彼の血では他の人間に全く効果が無くてね? その時に出会ったのが貴方だった。データも彼と似ていただったからすぐに分かったわ。ダメもとでやってみたら成功しのよ」
 自分は他の人間で実験をしている、と告げた鈴谷に瑞香は理解した。
 今までの自分の理解さえ足りていなかったのだと。こいつは自分では理解できない化物だと。
 そしてあの時の男が受けていた注射の光景が瑞香の脳裏によぎった。
「……自分の病院の患者を使ったの?」
「えぇ。けど安心して。何かあってもリスクが少ない健康的な男性を選んでるし、同居人も居ないから」
 何もおかしなことは無い、と鈴谷は淀みなく返答をしてきた。
「そっか……」
 瑞香はもう既に相手に何を言っても無駄だと理解した。
 こいつは狂っていると彼女は認識する。
 鈴谷淡々と今までの研究の話を続けていた。
「えぇ、後は何故彼の血は駄目で、貴方の血ならフリークスになったのかを解明すれば」
「あぁ、それなら分かるよ?」
「え?」
 しかし瑞香のその言葉で鈴谷の表情が変わった。
 今まで浮かべていた笑顔から、驚愕と好奇心そして僅かな恍惚へ。
「私は生まれた時からフリークスだから。誰かに血を吸われてなったんじゃないの」
 そして瑞香は種明かしを行っていく。
 淡々と、粛々と。ベッドに縛られた彼女は話し始めた。
「……フリークスが出産したって事?」
「ううん。生まれる前に母親が襲われたの。だから私はそもそも人間でもフリークスでもないの」
「興味深いわね。母子感染を起こしたって事?」
「詳しい事は分かんないけど、たぶんね。だから私はちょっと他のフリークスとは違うんだ。血も吸わなくてもいいし、何なら眠ったりする必要もない」
 しかし瑞香の言葉は鈴谷に協力するための物では無い。
 相手から許しや情けを得るための物でも無かった。
「素晴らしいわね!! あなたのような生物になれればそれは」
「うん。そうだね。まぁ、あなたには無理だろうけど」
 そう言って瑞香は拘束されていた右側のベッド柵をへし折った。
 金属が引きちぎられる音を鈴谷は初めて聞く。
 しかしその音と光景を見ても、すぐには目の前の状況を理解できなかった。
「……は?」
「うっわ、なにこれ? めんどくさ!?」
 自由になった右腕で左腕の抑制帯を触った瑞香は顔をしかめる。
 リストバンド型のそれはマジックテープと太紐の2重になっており、ほどくのには時間がかかる。
「あぁ、もう」
 瑞香はぼやきながらほどくことを一旦あきらめる。そうして左腕も全力でひきつけた。
 負荷に耐えられなくなった左側のベッド柵もへし折られる。
「嘘でしょ……? あ、貴方薬は!? それに血だって!?」
「だから言ったでしょ? 私はちょっと違うんだって」
 左肘に留置されていた点滴を瑞香は力任せに引く抜く。血が一滴、雫となって腕を垂れるもそれだけだった。
 彼女が指で軽く拭うと、赤色の下には傷ひとつない白い肌しか見られない。
「いやね? 小町先生がやけに気にしてたからちょっと探り入れてみたんだけどさ。ちゃんと先生の言う事聞いておけばよかった……」
 ベッド下部の柵も同じだった。彼女の足の動きに合わせて金属が変形して行く。
 へし折られたそれを飴細工をねじ切るように、さらにこまなく分断される。
 それから瑞香は思案気に両手足首に巻き付けられた抑制帯を見つめる。
 そのどれもがきつく縛られており、一つ一つほどいていっては時間がかかるから。
 結局彼女は全て引きちぎる事にした。
「よっ、と!!」
 左腕で右手首にまかれた抑制帯を握りしめ、力任せに引っ張る。
 張力に耐えられなくなった繊維がぶちぶちと音を響かせて割かれていく。
 鈴谷はその様子を呆然と見つめている事しかできない。
 すべての抑制帯を引きちぎった瑞香は何事も無かったかのようにベッドから降り立った。
「あ、ちょっとそこどいて、危ないよ?」
「え?」
 瑞香はそれだけにとどまらず、ベッドを片手で持ち上げて振りかぶる。
 鈴谷もそれだけで今から何が起きるか理解できた。
 飛来したベッドが破砕音を響かせながら机を薙ぎ払った。
 机もベッドも、また研究用品や血液なども全てが一瞬でガラクタになり果てる。
 間一髪飛び避けた鈴谷は化け物を見るかのような表情で瑞香の事を見つめていた。
「一応念のためね。私の血は他のフリークスにも狙われてるから」
 瑞香の言葉に鈴谷は何も返答する事ができなかった。
 今の鈴谷はただただ生き残るためにはどうすればいいのかを考える。
 その顔は奇しくも初めて瑞香と相対した小町を同じものだった。ゆえに目の前に立っている瑞香にはその恐怖が伝わっていた。
「あぁ、安心して。あなたは私の事を殺すつもりは無かったんでしょ? だから殺しはしない。……小町先生に嫌われたくもないし」
「小町、先生……?」
「そ、ねえ、もしかして小町先生も狙ってた?」
「……貴方と最近親しかったのは知ってる。だからあいつもフリークスなんじゃないかって……」
「え? いやいや。小町先生は人間だよ。私の事も知ってるってだけで」
 瑞香は床にへたり込んでいる瑞香に一歩踏み出す。
 それだけで鈴谷の肩は跳ね上がった。全身に力が入り警戒心をあらわにする。しかしその事に何の意味も無かった。
「だからね。私たちの事をあきらめて。この街じゃなくてもいいなら、別に好きにしていい。私はただ普通に暮らしたいだけなの」
「……普通に?」
「そう普通に」
「それだけの能力を持ちながら? その話が本当なら貴方は世界で唯一の存在なのよ!?」
「それで? だから人間にもフリークスにもモルモットにされろって?」
 瑞香は床に転がっていた血液入りのスピッツを一つ拾い上げる。
 自らの血が入ったそれを瑞香はデコピンの要領で打ち砕いた。
「ひっ!?」
 血液とガラスが散弾のように飛び散る。
「勝手にしてて。そっちが何をやろうとも、私には関係ないし、無関係のままでいて。私が望むのはただそれだけなの」
 瑞香は残ったガラス片を放り投げ、鈴谷に背を向けて歩き出す。
「じゃあね、鈴谷さん。もう余計な事はしないでね?」
 そうして瑞香は鈴谷の方を振り向くことなく部屋を出て行った。
 そして最後まで、彼女は鈴谷が手に持ったスピッツが一つ残っている事に気付いていなかった。

『皆ごめんねー。ちょっと遅くなっちゃった』
 現在の時刻は22時10分前、普段より少し遅れてローレルの配信は開始された。
 時間になっても始まらなかったときは肝が冷えたが、SNSの投稿で配信時間が遅れると連絡が来ていた。
 今日もその声を聞けたことで全身の力が抜けていく事を自覚する。
『いや、本当にごめんね。珍しく外で寝ちゃってさ。いやー、時計見た時焦った。もう初めてだったもん』
 謝罪と事情の説明を聞いたコメント欄も、深刻な話ではないことに安堵する。
 そんなこともあるよね、遅れるの珍しい等のコメントが流れていっていた。
 かくいう私もローレルの配信が今日も聞ける事、そして彼女の身に何事も無かった事に安堵する。
『えっと、さぁ。誰か今日私以外に寝坊した人いる? 仲間居ない?』
 土曜だからそもそも休みや普通に仕事してた、遅刻はしてない、バイトに遅れた等、それぞれ思い思いのコメントが打ち込まれていく。
『お、バイトに遅刻した人いるなぁ。え、何のバイトしてるの? ……へぇ、喫茶店。いいなぁ』
 あんま人来ないか楽、とおそらくコメントをした人物が返答をしていた。
『私もたまに行くよー、喫茶店。ほらあの大盛が有名なチェーン店』
 以外にローレル大食い、モーニング利用してるなどなど。
 配信を眺めながら一つ気付いた。おそらくその喫茶店は私と瑞香が利用したあの店だろう。
 ローレルと同じものを食べたことがあるのか、と少し嬉しくなってくる。
『えぇ? 食事は、まぁ食べなくても大丈夫だけど、食べようと思えば結構食べれるよ。一緒に行った人が食べきれなかったのを一緒に食べてたりするし』
 意外や一緒に行ける人羨ましい、とコメントが続く。
『えー、でも多分私その人にあんまり好かれてないんじゃないかな? 多分相手は仕事だからってのが多いし』
 なんだそいつローレルと一緒に食事に行って嫌がるとか何を言ってるのだろうか。
 ちょっと信じがたいぞ。
 コメントでも私と同じような意見が続く。
『え、ちなみに皆はこの頃誰かとご飯食べに行ったりした?……あ、ごめんて』
 どうやらお一人様が多かったようだ。
 しかし私も瑞香以外は何も無いな。自分も大多数の一人の様だった。
『ごめんごめんて。というかえ、本当に? 誰も居ないの? 一人くらい居るでしょ?』
 コメントに強めの語気の言葉が多くなる。
 どうやら世の中には一人で過ごしている人が多いようだ。
「まぁ、私も人の事は言えないか……」
 狩人という仕事柄もあるが、そもそも人と関わるのが得意な方では無い。
 瑞香の事は例外的な事だ。
『えー? そんなことある? 誰かご飯エピソードとか無いの? え、仕事の飲み会? あー、それはちょっと……』
「ふふっ」
 コメント欄の勢いにローレルの方が押されているようだった。
 いつもの配信の雰囲気。いつもの日常に思わず笑みを浮かべてしまう。
 どうやら今日もよく眠れそうだった。

「――っ、たぁ……」
 日の暮れた住宅街の道を鈴谷は1人歩いていた。
 つい先ほどまで瑞香からの暴力にへたり込んでいた。
 起き上がった鈴谷を待っていたのは鈍い体の痛みだった。
 瑞香からの攻撃は何も直撃していない。いや当たっていたのならば命は無かった事を彼女は理解できている。
 今鈴谷の体に走っている痛みは軽い打ち身やすり傷だけではある。
 しかしそれ以上に瑞香の恐怖が彼女の体を縛り付けていた。
「千里、瑞香……」
 すべての元凶のフリークスの名前をつぶやいて顔を伏せる。
 そしてポシェットから唯一つ残った瑞香の血液を取り出した。
 彼女はどうすべきか考える。この血液をどのようにして使用すべきか。
「……小町先生、健康診断、高校、そしてフリークス」
 考えて考えて、今後どうすべきか考えて。
 鈴谷蘭は笑みを深めながら自宅のアパートまでの道のりを再び歩み始めた。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?