「彼女と交わす取引と、そして普通を望む化物の学校生活」第17話

「こんにちは、千里瑞香さん」
「えぇ、こんにちは」
 瑞香がクリニックに向かうと白衣姿の鈴谷蘭が彼女を出迎えた。
 先ほど小町を見送った後そのまま残っていたのだろうか。
 誰も受付の居ない待合室で鈴谷が1人立っている。
「ごめんなさいね、急に来てもらうことになって」
「いえいえー。こちらこそ急に1年前の健康診断の事で連絡してごめんなさい」
「いいんですよ。ですけど、それにしても急にでしたね? 何か気にある事でも?」
「えぇ、保健室の先生からその事で話があって。あ、小町ハイデンブルグ先生っていうんですけど、知ってますか?」
「……なるほど。えぇ、知ってますよ。つい先ほどいらっしゃってました」
 瑞香からの質問に鈴谷は一瞬言葉を溜めた後に返答を返す。
「あ、そうなんですねー。良かったー。その小町先生から去年の事で話がありまして。たしか私自分で検査結果をもってきましたよね?」
「えぇ、そうですたね」
「その事なんですけど。私、結局何が悪かったんですか?」
「……ふむ」
 瑞香からの質問に鈴谷が口元に手を当てて考えるそぶりをする。
 そして改めて瑞香の方を見つめないして口を開いた。
「その事ですけど、千里さん。改めて採血をさせていただくことはできますか?」
「採血?」
「あぁ、血液の検査の事です。最新のデータを得た方が確実ですから」
 鈴谷からの申し出に瑞香の顔にわずかな躊躇が浮かぶ。
 しかしすぐに「問題ない」と判断した。
 何をして来ようとも所詮フリークスと人間である。
 いざとなれば腕の一振りで勝負が決するのだからなんの問題はない、と納得した。
「……はい、いいですよー」
 瑞香はすぐに左腕をまくって肘をさらす。
 まるで日に当たっていないような白い肌がさらされる。
「ふふっ、ちょっと待ってね。処置室に行きましょうか」
 鈴谷はそう言って瑞香を奥の部屋に導いていく。
 ポケットから取り出した鍵束から一つを鍵穴に差し込む。
「少し準備をしてくるから。そっちの椅子に座っておいて」
 鈴谷近くの処置所を指さした後に物品や薬品が管理されているスペースの前で準備を始めた。
「はーい」
 瑞香は念のため、と鈴谷の背中に視線を向けたままにしておく。
 しばらくするとゴム手袋を装着した鈴谷が金属トレーをもって瑞香のそばに近づいてきた。
「……さて、実はいつもなら看護師にやってもらうんだけど」
「え、そうなんですか?」
「安心して、実習で嫌というほどしこまれたから」
 鈴谷は言葉通りに手慣れた動作で準備をしていく。
 採血枕を瑞香の左肘の下に置き、駆血帯と呼ばれる太いゴムひも二の腕に巻き付けた。
「千里瑞香さん、で間違いないですね?」
「え?」
「ごめんなさい。こういう確認が必要なの」
「あぁ。はい、あってます」
 鈴谷はそう瑞香への確認を行いながら肘の内側の皮膚に指をなぞらせていく。
「千里さん。親指を握りこむように手をグーにしてもらってよいかしら?」
 瑞香は言うとおりに左手の指を動かしていく。
 すぐに瑞香の左肘の血管が浮き出してきた。
「静脈の流れを少し妨げてね。血管を怒張、えと膨らませるの。こうすれば血管が分かりやすいし、張りが出て刺しやすくなる」
「へぇ」
 刺す場所を見定めると鈴谷はアルコールでの消毒を行っていく。
 納得する瑞香には見えないように彼女は内容物が入っている注射器を取りだした。
「見たくないなら目をつぶっていていいわよ」
「いえ、大丈夫ですので」
「そう、ならごめんなさいね?」
「え?」
 鈴谷は瑞香が反応するより早く、張りを浮き出した血管に挿入する。
 そして中の薬品を一気に注入した。
 瑞香の頭に数日前に小町が教えてくれた言葉がよみがえる。
「正中、ワンショット……?」
 しかし瑞香の舌は呂律が回っておらず、彼女はそのまま倒れこみそうになる。
 椅子から転げ落ちかけた瑞香を鈴谷が支える。
「あら? 良くそんな言葉知ってるわね?」
「な、なんで……?」
 瑞香の疑問は何に対しても物だったのか。
 何故採血のはずが注射をされているのか。
 そして何故、自分がこんな注射程度で倒れているのか。
 意識を失うという初めての体験に、瑞香の理解は追いついてなかった。
 明滅する司会の中で鈴谷は先ほどまでと変わらない笑顔を浮かべている。
「……一つだけ、さっきの質問に答えておくわね」
 鈴谷の声も変わらない。
 今しがた重大な医療過誤を起こしている事を理解しながらも、淡々と言葉を重ねていく。
「貴方の血液は何か悪いわけじゃないのでしょう? 彼とほとんど変わりなかったもの」
「……か、彼?」
 ぼんやりのしていく瑞香の頭はまだ何とか言葉を理解する事ができていた。
 その彼と言う言葉で瑞香は自分が犯した失態を理解する。
 しかし理解できたとしてももう遅い。
 意識を保つ事ができなくなった瑞香はそのまま鈴谷にしだれかかるように倒れこんだ。
「実はね、貴方のような生き物の相手をしたのは初めてじゃないのよ」

「さて、一体どこから攻めたものか」
 自宅に帰りつき、のどを潤したのちにあの腹黒医師への対策を考える。
 あの鈴谷医師の事だ。どうせ病院の事務系統はつつがなくこなしているのだろう。
 仕事の粗を探すのは難しいはずである。
 ゆえに無難にまずは彼女の身辺情報から集めていく事にする。
 なじみの探偵事務所へ身辺調査の依頼を入れるため、スマホを取り出すと連絡先に新しく登録された名前が目に入る。
 千里瑞香、というまさかこの名前を見る事になるとは思わなかった。
 思わず呆れのような笑みのような複雑な感情が思い浮かんでしまう。
「……普通に生きる、ね」
 自分にはその普通というのは分からなかった。
 物心ついたときから組織に拾われ、狩人になるために研鑽を重ね。
 物覚えが悪かったため、他の者たちよりも時間がかかった。
 また並行して、養護教諭と看護師の免許と取るために通信大学で単位を修得した。
 普通の学校に通った事は無い。ゆえに私は狩人を続ける事しかできない。
 できない、とそう思い込んできた。
 だから今の生活に疑問を覚えた事は無かった。私は狩人だから、と。フリークスを殺す事が私の責務だから、と。
 だからこれはただの投影だ。
 彼女を通して自分を救いたいというあさましい願望。
 もしかして自分もという暗い希望。
 それでも。
「……はぁ、もう手遅れね」
 理解してもなお、私は彼女の事を見捨てる事はできないだろう。
 彼女がフリークスだとは理解している。けどそれ以上に、私の記憶に残っている彼女の姿は。
 友人ができないと嘆き、放課後に寄り道がしたかったんだ喜び、相手の事を心配する、1人の少女だった。
「そのためにも、手は打っておきましょうか」
 私は改めて探偵事務所に鈴谷蘭の身辺調査を依頼する。
 大まかな物はすぐに、詳細には数日で済むだろう。
 ゆえに、それまでに大きなトラブルなどが起きなければそれでいい。


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