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この先が、あるよ


 私にとって加害者の死というのは無味乾燥な味わいだった。

 けれどそれは始めだけだった。

 ちなみにその時点で被害からは28年、被害の自覚を持ってからは15年が経過していた。

 何の味わいも無かったというのはだからきっと事実ではない。それを味わう感覚をシャットダウンしていただけだろうとは思う。
 ただ、その約30年を無為に過ごしてはいなかったおかげで、トリガーを避ける、安全地帯を死守する、危険地帯に入る前と安全地帯に戻る前のルートや行動を様式化して自分の心理的安全性を高める…等のサバイバルスキルを必死に発動させた結果が、そうだった。

 無味乾燥期が終わって、そうして変化はゆっくり訪れた。


 今日はその話をしたい。

 怖い話ではなくて、要するに加害者の死がどんな解放を私にもたらしたかという話なのだけど、ここでドキドキしはじめた人がいたら引き返して大丈夫です。トリガーワードになりそうな言葉はなるべく使わないつもりだけど、それが余計に危険を感じさせることもあるかもしれない。
 自分の感じるこわいな、いやだな、を大切にしてください。

 これは、40歳にもうすぐなろうかという私が、(10歳の時に受けたであろう)被害体験と共存している日常の、一部の話。


加害者の死の先にあったこと、3つ


 ずっと、「殺意」としか言いようのないものを、そうとは呼べずに、心の引き出しにたたんで置いておいてあった。
 「殺意」という響きがくれる、ぱきっとした鮮やかなイメージとはかけ離れたそれを、どうしてあげたら良いのかずっと分からなかった。どちらかといえば、それは「ゴミを出したい」という感覚に近かった。片付けたい、整理したい、終わらせたい…そういう。
 けれど法律上、道義上、それはゴミ出しのようにやすやすと出来ないし、ゴミ回収の車が来てくれるわけでもない。
 自分が幸せになる事が一番の復讐。そんな、ぽやっとした、けれどどこかしら希望の匂いがする言葉を胸に抱いて生きていた。それは、例えば、庭先に溜まって悪臭を放つゴミをぎゅっと縛って蓋をして、自分の洋服の左ポケットに大好きな花の香りを忍ばせるのとまるで同じだった。つまり、生活することは出来る。ただし、心のどこかが『自分はまともではない』って言うのをずっと聴こえないふりするってこと、だった。

 殺意を実行しない代わりに、生きている加害者に対して想像できる『怖い事』はいっぱいあって、それもまた同じところに普段はぎゅっと折りたたんで押しこめてあった。
 それは、例えばある日急に電話がかかってくるかも知れないというささやかな事から、職場にのっそりと加害者が現れるという緊急事態以外のなにものでもない事態まで、事細かに想像された。
 想像することそれ自体は、緊急時に対応する為に必要なこと。だけれど、知らない番号からの着信履歴や職場でふと似たような背格好の人を見かけるたび、自分の内側に驚くべき恐怖が潜んでいるのを思い出すハメになる。これは、単純にとても、とても疲れることだった。

 だからある日訪れたのが、それら危険の方ではなくて、一番想像しにくかった実に穏便な形での死の報せだった時、私は本当に、自分が打ち立ててきた『怖い事』のシナリオを棄てて良いのだ、と思ってちょっと脱力さえした。
 彼、私の加害者である実父の葬儀に関わるアレコレは今日の主題ではないので割愛する。まぁ、色々な事が起こった。いつか、こんなふうに言葉にするかもしれないとは思う。

 先に書いたように、彼の死自体は実に無味乾燥だった。その事に拍子抜けした。

 心のどこかで、思っていたから。『もしかしたら、お墓になった父の前でならば、愛していたよ大好きだったよ大切にされたかったと泣いたりするのかもしれない』って。…自覚するよりもたぶん、ずっと強くそう思っていた。夢見ていたという言い方をしてもいいのかもしれない、それくらい。
 でもね。そんなドラマチックなことは特に何にも無かったです。

 私の人生でしかなかった。すべての感覚がザラザラして、まわりの人がみんな愚かに見えて、自分だけ氷の窓のこちら側にいて、それでも人形みたいに泣き笑いはできる、そういう私の人生の嫌な瞬間の羅列でしかなかった。
 生きるために、終わらせてきたことや葬ったものは、彼の死などではゾンビみたいに蘇ったりはしなかった。

 そしてそれ事実自体が、一つ目の、解放だった。
 彼の死に影響されうるところにはもう自分の心を置いていない、という事実、そのものが。

私の絶望は、私だけのもの

 もし、かつての私のように、加害者の墓前に立つ瞬間の事が『怖い事』リストの中に入ってる人がいたら、そっくり同じなんてことはないはずだけどちょっと片耳で聞いていてほしい。あれは家族神話の派生でしかない、って。
 自分の、『大切にしたいほうの人生』をなにかしら掴めていたら。一番流したい涙は、そんな、縁故なんかに由来するシュチュエーションで無理矢理始まってしまうなんてことは、きっとない。
 自分自身が安心していて、涙を流す準備ができていて、そういう時にしか、辿りつかない。だから、イタズラに怖がらなくて良い、夢見なくていい。あなたの絶望は、あなただけのもの。加害者なんかに自由自在に取りだされたり、きっとしないから。…だってドラマとか小説とかだとそうなりがちじゃんね。そうだったら分かりやすくて良いよね、でもきっと、そうじゃないよ。

夢にも見ないよ


 そうして二つ目の解放は、葬儀の後、あれはどれくらい経っていたのか…4ヶ月か半年か、それくらいの時期になっていたと思うけれど、『夢』という形で訪れた。

 夢って実に正直で、受けてるストレスが本当に分かりやすく出てきたりする。訪れてる上昇気流もゲンキンに楽しく表示してくれる、その真っ正直さが私は割と好き、なのですけど。
 その朝、目覚めて、私はだから微笑んだ。夢の中に出てきた家族の『父親』は、死んだ実父ではなくてオバマ大統領だった。
 ここで、このセレクトにぶっとんだ印象を与えてしまうかもしれないので解説しておくと、目鼻立ちから受ける印象は…なるほど、確かに、加害親と元大統領の間にはなにかしら近いものがあった。だからこそ自分の脳みそが成した配役の妙に…本気で笑ってしまった。
 政治家としてのオバマ大統領の評価はよく知らない、けれど知性的で物凄い変化を遺した人だ、というくらいの解像度で、私の中でオバマ大統領はどちらかと言えば尊敬する人物枠の人だった。
 …こんなふうに、脳内の家族のイメージを書き換える、そんなことができるようになったのか。
 思ってもみなかった切り口からの自分の変化に、ああ…と。思ったよ。口にするなら、『死んでくれて、良かった』だったと思う。
 けれどそんな言葉には本当に似つかわしくないくらい、優しい感触だった。やっと、柔らかいものを柔らかいままに、熱いものを熱いままに、涼やかなものを涼やかなままに、受けとれる。あるがままに感じることができる。…そんな感じ、だった。

 先に述べたように自分の生活には大きな変化はなかったのに、そんな徹底的な変化をもたらされて、だから…やっぱり、『ゴミを出したい』っていうずっと押しこめていたあの感覚は、倫理的には間違っていても、個人の人生においては至極真っ直ぐな欲求だったな、と思う。ただ、相手がこの世にもう居ない、という事実、それだけで。こんなに楽になりますのん?っていう。

 これを読む人の内側にもきっと、ずっと押しこめているものはあると思う。もしかしたら溢れてきそうで震えている人も居るかもしれないと、思う。
 先に言っておこうかな。あなたが幸せになること以上の復讐は無い、これは本当だった。
 だからちょっと強い言葉で書いてみる。これも片耳で聴いて流してほしい。あなたはまず自分自身を、『まともじゃない』ままの自分を、幸せに近づけてほしい、てことを。
 何故なら、この夢についても、私は思うから。この幸福な改変を私の脳みそが成し遂げたのは、自分の脳みそをちゃんと幸せにしてたからだ、って。
 加害者を殺しただけでは私たちは結局幸せにはなれない、置きっぱなしのゴミの腐敗臭はきっと続く、続いてしまう。これはつまり、解放の話で私の復讐の話でもある。私の復讐はまだ、今も、続いている。
 あなたの復讐も、加害者を殺す手前に、何かきっと出来ることがある。それは好きなものに触れることで成し遂げられるかもしれない、今夜早く眠ることで成し遂げられるかもしれない。
 葬儀の、そしてそれ以降に続いたハードな出来事の間、お気に入りのアイスを私はめちゃくちゃ食べた。飼い猫にとにかく甘えた。好きな歌手の歌をずっとずっとずっと聴いて、その人の関連物を貪るように眺めた、暇さえあれば。
 ちなみにこの時私を救ってくれていたただ一人の人は今時の人となっている俳優の高橋一生さんで、彼が、その声に気軽にアクセス出来るCDという物質を世に出してくれていたことに全身全霊で拝み倒したい。彼の過去に宣伝していた商材が私の御守りになり、エナジーチャジャーであり、命綱だった。彼の笑顔の写真をここぞとばかりに送り付けてくれた親友にも感謝しかない。私はそうやって、ありとあらゆる手段を使って自分を守った。自分を幸福にしておくという事の手綱を緩めなかった。
 だから、本当になんでもいいと思う、輪ゴムパッチンでも何でもそういう、闇から一瞬、ちょっと、連れ出してくれるものならなんでも。
 あなたの中に押しこめてあるものが視界を覆いつくしてしまう前に、どうか別のものに溺れてほしい、溺れる自分をゆるしてほしい。本当に愛をくれるものは、溺れたあとにちゃんと深呼吸の時をくれるから、大丈夫。ありとあらゆるものを掴んで、溺れてほしい。それがちゃんと、あなたの『殺意』を飼い慣らす力になる。あなたがあなたの嵐の中で生き延びる、力になる。

鏡に映る私へ

 
 三つ目の解放に話を進めよう。
 これは最近、本当につい最近感じられるようになった。じんわりと、しみじみと私のものになりつつある。『自分の顔を鏡でちゃんと見れるようになった』ということ。

 加害者は実父。そして私は、彼の子どもの中で一番、彼に似ていた。おでこの形と唇には母方の影響を感じられる。けれど目元、特に眉の形については、完全に加害親と同じ遺伝子で鏡の中に息づいていた、いつも。
 だから私は、ずっと自分の眉毛を、瞳の形を、憎んできた。

 本当に幸いなことに私は、幼少期から成人するまで、まわりの人に自分の容姿をあからさまに蔑まれたことはなかった。だから私は鏡を見ない限りは自分の顔のことを、目の前の人に向ける自分の表情を、好きでいられた。けれど、鏡を見るたびに、自分のパワーが目減りするのを、ひたひたと、感じていた。
 加害者の死のずっと以前、15年前から、『顔を合わせない』という距離は置いていたのにも関わらずそうなので、やはり物理的にこの世に存在しなくなるという事実がくれる安心感は半端ないのだなと思う。
 彼が死んでやがて2年。近頃やっと、鏡の中の自分の目をちゃんと見れるようになった。鏡に映る自分にOKを出せるようになった。ずっと抜き続けて妙なところにいっていた眉毛を、私はやっと伸ばせるようになってきた(妙なところに眉毛がいってるなという自覚はあるというのが、しんどいところだった。妙だろうがなんだろうが、元のままの形を自分の顔に見る事には耐えられなかった)。
 最近、そうして伸びつつある眉毛が、自然な形で整いつつ、ある。今、ちゃんと愛おしくこの眉毛を扱える。一番きれいに見える角度や色やを想って鏡に向かう。
 これはもうあの男の眉毛ではないから。この私の、あの場所を生き延びた私の、眉毛だから。
 まだ、正直に言えば、憎しみの筆頭にあった眉毛を受け入れはじめたというだけの話で、自分の肌も体もあまり愛おしいとは思えない。けれどこれから先はどうか分からない。復讐を、自分を幸せにするという行為の先に、もう少し別の感覚がまだあるだろうという想定はつくようになった。怖い事ばかりを考えずに済むというのは、本当に本当に、世界を優しくする。

 
こんな話を聴きたかった。


 今日私が唐突にこんな話を始めたのは、ずっとこんな話がしたかったから。…いいえ、したいというより、ずっと、聴きたかったから。
 生き延びて、けれど体を取り換えることはできずに、ただ続いていく日常の困難さの中に置いてきぼりにされて。自分の一部を殺して生き延びた自覚はあって、だから人並みを装う程度の胆力はあって、それでも実情は砂の上に建てたお城で。
 誰かに言ってほしかった。『この先が、あるよ。』

 だから誰にともなくここで言うよ。読んでくれてるあなたが、こんな言葉を必要としてるかはわからない。だから、これは完全に過去の自分に向けて、なんだろうけど。まぁとりあえず。

 この先が、あるよ。

 あたりまえに続く日々を、なんとなく出来てしまえる日が。生きる理由も起きる理由も眠る理由も食べる理由も、なーんも考えなくて良い日が。触れる水道の水が冷たいこと、お風呂に入れば体が温まること、トイレに入ればちゃんと獣の匂いを発すること、毎日埃が部屋に積もること、めんどくさくてただただこなしていかなくちゃいけない事のすべてが自分を作っていること、その儚さキツさを…自分に、許せるようになる日は、来る。
 もちろん毎日じゃない。未だに、いともカンタンに、ごろごろと気がついたら転がり落ちていて、いともたやすく体から引き剥がされる。指一本すら遠くて重くて動かせない、ああ解離ちゃんこんにちは。そんな日もまだある、そんな人生だと思う、きっと一生こうだ。でも、そうじゃない日もちゃんとやってくる。先がある。この先が、きっと、

 うん、 きっと とかってぽやぽやした言葉でしか残せない。
 でもそうやって、ぽやぽやした現実の上を歩いていくので充分なんだと思えるようになる日はきっと来る。今はそうじゃなくても。
 
 私からしたら眩しいくらいの芯のある人も同じぽやぽやした世界を歩いてるんだ、って。じゃあどうやったらぽやぽやを歩けるのか、きっとそこにはスキルがあるはずだ、って。
 光っていると思えるものがきっと、それなのだと思う。生きていくのに必要な、何か。光を感じてしまう、ずっとあなたのなかからどうやっても消せない、どうやっても光を受けとってしまって一周回って絶望とすら感じてしまう…そいつを、

 この先のあなたが、ちょっと違って感じられるようになる瞬間が…この先に、ある。

 今日したかったのはそういう話。解放とか、復讐とか、言葉はすごいけど、つまり。
 加害者は死んでも私の人生はここにある。絶望も希望もいっしょくたに。そしてそれが、生きてる奴だけが持ってる力だと、思う。めんどくさくてたまらないその力が、あなたの呼吸の邪魔にならない日が、来る。そしてそれは…これはきっと本当に信じてもらえない。

 それは、想像もつかないくらいやさしい。あなたはまだそれを、ただしらない。だから私のこの言葉を、嘘だと思ってくれて、いい。

 
追記※
 このノートでは今後も、解離というワードを使いますが、私は解離性障害という診断を受けたわけではありません。
 それが一番適切な言葉だろうと思って使用しています。
 診断の有無については、当方の地域の臨床心理職に身近な親族がいるため、という私的な事情をお察しいただけると幸いです。
 2024年現在、環境も状態もかなり落ち着いていて、一般的な生活に差し障りがない程度の現状であること。ですから障害とは呼ぶのがさしでがましい気がすること。それでも少し後じさればそこにパックリと開いた奈落があるであろうと自覚しながら生きていることを。ここに明記しておきます。
 

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