見出し画像

人は変われるか、変われないか問題

人はいくつになっても変わることができる生き物なのだろうか、大人になったら、本質的には変わることができないのだろうか、という問題。

下の記事を見て、考えさせられてしまった。
そう、ビジネスの場では、組織の中で、「上位・中位・下位」が2-6-2の割合で現れるといわれ、40代を過ぎて下位の人は、「働かない人・窓際族」などとされてしまう。責任ある仕事を与えられず、現状維持のまま過ごし、若手からも軽く扱われ、定年を迎える、という姿はどこの組織にも見かけるのではないだろうか。

仕事のスキルの面、例えば技術職であれば技術力、営業職であれば、交渉力や提案力は、新入社員の時から10年くらいは、ぐんぐんと伸びるのは当然だろう。しかし、その人の本質的な面、対人的な能力や特性、仕事に対する姿勢、自己マネンジメント力は、変わることができるのだろうか。

「人は変わらない」、という立場をとるならば、「信頼できるひと・仕事ができる人」「信頼できない人・仕事ができない人」という枠に分類し、前者とは、良好な性善説的な関係を結び、後者とは、性悪説的な関係をとり「できない人」という前提で、リスクヘッジをする方法を考える、という行動が正しいとされるだろう。変わらないとすると、予想される相手の仕事の質と自分の期待する質の差を、自分、または、相手以外の人が埋める方法を考えるしかない。他人に期待しないため、不確定要因が少なく、成果を出しやすい方法だろう。

一方、「人は変わることができる」、という立場をとるならば、「なぜ変われないのか」ということを、相手の立場に立って考えることから始める必要があるだろう。
「行動」を、「能力の結果」と捉えてしまうと、人は変わらないという結論に辿りつきやすくなってしまう。では、「思考の結果」が「行動」と考えてみてはどうだろうか。思考の元となる、「仕事の目的」や「目指す手順や品質」、「相手が納得する理屈」、「相手との合意に必要な議論のレベル」などということを、1つ1つ対話し、適切とされる論理で考えることができるようになれば、結果の行動は、以前とは違った結果になるのではないだろうか。

いずれにせよ、人は簡単には変わることができない。特に30代〜40代以降は。変わるためには、その人が変われることを信頼して、長い時間共に過ごし、多くの対話をして考え方を議論し、寄り添いながら、そっと背中を押すように、辛抱強く待ってくれる伴奏者が必要だろう。

そこまでしても、結局は本人の「変わりたい」という意思がなければ、変わることはできないし、意思はあったとしても、短期間では、結果が出ないかもしれない。

また、本当は少しずつ変わっていたとしても、周りが以前の評価に捉われて、変わったことを認識してもらえないこともあるかもしれない。

思考は習慣化しており、つい容易い方に流れやすくなる。組織として、「変わらない人」を、変えるためにコストを払うことが合理的なのかどうかも、議論は分かれるかもしれない。でも、人を切り捨てればよい、という考え方の組織は私は好きではないし、働く場の雰囲気やモチベーションもあがらないではないかと思う。

だからこそ、私は思いたい。

人は変わることができる。
だけど、独りで変わることは難しい。
変わるためには、周りの人が、変われることを信じ、
寄り添い、周りの人も一緒に変わろう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?