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承認欲求を手放せなった僕の心理

こんちは!あっしぃです😊
きょうは承認欲求の話をしたいと思います!笑

SNSをやっているあなた
なにかを一生懸命にとりくんでいるあなた

いいね!をたくさん稼ごうと必死になったことはありますか?
何かを成し遂げて誰かに認められたいと思ったことはありますか?

かつての自分がそうだったからこそ、

その承認欲求、あなたにとって本当に必要なものですか?

ということを、もういちど自分に問いかけてほしいんです。

承認欲求の塊〈だった〉あっしぃ

いまから2,3年前かなー、
SNSとマッチングアプリをゴリゴリに駆使し、
大量の出会い行為を繰り返してた時期
がありました。笑

同じころに自分は大学のLGBTQサークルの運営に加わります。
いま思えば信じられないほど精力的に(身を削るように)活動していました。

個人のSNSでも、サークルのSNSでも、

いいねが来ないと、なぜかこわい。

そのくせ自分のことをありのままに語ることも、こわい。
なぜなら、もしもありのままの自分を承認してもらえなかったらと思うと、不安で仕方なかったから。

そのウラにはどんな感情があったのかなーと思うと、
自分がゲイであることを受け入れ、この世界で生きてくと決心したことで、
周りにも自分がゲイであることを受け入れてほしくて、でも同時に、どこか自分が否定されることにおびえて必死になっていたようです。

20年近く見ないままでいた、
心の中にある欠けた感情を埋めようとしていた感覚が強くあります。

アクティブだけど楽しくない

たしかに、「すごいね」「活動的だね」「優しい性格だね」ってホメてもらえることはあっしぃ史上いちばん多い時期だった。

だから、ホメてもらえるために自分の100%を出し切ることに疑う余地もなかった。活動も、プライベートも。

しかし、自分に合った努力をするということを当時の自分は知らなかった。
周囲の期待に合わせて自分を変えていくことこそが成長であり、美であると当時の自分は盛大な勘違いをしていたように思います。

周囲から見えるあっしぃ像は、とてもアクティブ。
周りの期待に応えようと努力するから、見栄えもよかったと思います。

ただ、そうやってキラキラ生きてきたはずの本人が、僕自身が、ぜんぜん人生を楽しめていなかった。
自分では一番〈美しい〉生き方をしていると思っていたのに、苦しくて行き詰まったり病んだりすることも一番多い時期でした。

アクティブに楽しむという生きかた

じゃあ、いまの自分はというと、

ほぼほぼ脱皮しました。笑

変なリキみがぽわ~っと抜けて、人のために無理をするようなことも減り。
承認欲求をパッと手放して、それはそれは自由に生きています。

とはいっても、SNSやサークル活動は続けている自分。
いまはなにをモチベーションに頑張れているかというと…

自分が活動してて楽しいからだし、
アクティブに生きている自分のことを自分が好きだから。

そういう自分を周りも「いいね!」と思ってくれればもちろん嬉しいけど、
もしも自分を否定する人がこの先現れようが、サッと距離をとって自分はニコニコ生きていくと思います。笑

つまり、
周囲からの承認よりも、自分で自分を承認することが優先になった
ってことだよねコレって。

わぁ~生きやすいぞこれは。笑

承認欲求を手放すコツは、
周囲の承認よりも、自分自身で承認することだと思います。

他人の評価なんてただのきまぐれ

僕が自己評価を優先するようになったきっかけとして、
「他人の評価なんてただの気まぐれなんだな~」
と思ったっていう経験があります。

自分は左利きで、ゲイで、ドジこきで、変な性格なんです。

だからえんぴつの持ちかたも変だし、
女の子と付き合おうと努力しても無理だったし、
いくら頑張っても忘れ物は頻発して迷惑をかけるし、
突然、わけわからん歌を歌って人をドン引きさせることもあるんです。

こういう自分の風変わりな部分を周囲は目の当たりにすると
往々にして、いちいち怒ったり批判してきたりするんです。笑
※迷惑かけちゃったときはごめんねって思うけどね。笑

でも、相手が怒ってるのは、だいたい個人的に気に食わないからなんよ。
「(私は頑張ってえんぴつの持ちかた直したのによ💢)あっしぃのえんぴつの持ちかた、バカがやる持ちかたじゃん!!」

そう、人って気まぐれなんです。

その証拠に、自分がドジこいたら
怒ってくる人間と、「面白いね」って笑ってくれる人間がいます。
自分の不義理な行動にはなにひとつ変わりないのに、それを気に食わない人もいれば、気に入ってくれる人もいる。

承認欲求がつよすぎることに定評がある自分でしたが、
「周りの評価がこんなに気まぐれなのに、そこに自分の価値を全お預けしちゃうのって、恐ろしいな~!!」
と思ったのが、自分が承認欲求を手放すきっかけになりました。

こうやって、自己肯定が進むと…

「そんなえんぴつの持ちかたじゃ社会に出てバカにされるよ?」
 >「え?きいてきいて、僕の友だちはね『左利きだと、この持ちかたのほうが字を書きやすいのかもね!』って感心してくれたんだよ~😊」

「デートで『変な持ちかた』って思われたら、お嫁さん貰えないよ?」
 >「ごめんね、僕、見かけによらずお嫁入りする側の人間なのよ~💙」

って、ちゃんとありのままの自分でふるまえる人間になりました。

承認欲求を全捨てしなくてもいい

ここまでをまとめると

  • 他人の評価なんて気まぐれだということを知る

  • 自分が自分を評価できることを最優先にする

というのが承認欲求と向きあうコツだと思います。

とはいっても、承認欲求をすべて手放す必要ってないんじゃないかな。
あるいみ、社会的で人間らしい欲求だとも思います。

僕もいまだって、SNSでいいねがつくと嬉しいし、サークル活動をホメてもらえればもちろんうれしいです。
だから、もっと活動を続けようと思えるのも事実です。

承認欲求がゼロだと、ちょっとサイコパスチックになっちゃうよね。
だれかのために頑張ろうっていうモチベは無くなるわけだし
極論、周りが望んでないことも真顔で実行できちゃうからね…笑

承認欲求って、アクティブさの源泉でもある

じゃあかつての自分と何が違うかというと、
ほんの一瞬、自分を否定してくるような評価に出くわしても「こいつは個人的に俺を気に入ってないだけなのかー」と思って動じなくなったし、
そういう人間からの承認は求めずに、パッと離れる能力がつきました。
そうして、その後に自分で自分を超絶高評価してあげる✨

大切なのは承認欲求をゼロにすることではなく、
自分がほどよく努力できるような、生きやすい承認欲求レベルに保つことが大切なのかもしれません。
そのためには、いろんな発見やテクニックが必要だなと思い、自分なりの経験をシェアさせてもらいました!

人生、エンジョイあるのみやでー!😊笑

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