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「仕事だから」って、それ、すごく嫌

仕事だから」という言葉が嫌いだ。

いや、正確には、言葉が嫌いなのではない。

「仕事だから」と言えば、何でも許されると思っている横暴さが嫌い。「仕事だから」と言えば、何をしても構わないという思考回路が嫌い。「仕事だから」という言葉が発せられたら、もう交渉の余地も、妥協の余地もない、そんな私たちの関係が嫌い。

横暴で、思考停止した、あなたが嫌い

私の発表会。あなたが来るのを、ずっと前から楽しみにしていた。前日の夜、持ち物も着ていく服もセットして、布団に潜り込む。あなたは遅くに帰ってきて、「まだ起きてる?」と私に尋ねる。扉の隙間から、廊下の光が差し込んで、目を瞬きながら私は答える「うーん」 あなたは低い声で、絞り出すように言う「ごめんね、明日行けなくなっちゃった。どうしても行けないんだ」そして言い放つのだ「仕事だから」

友人の体調不良。ぎりぎりまで働きつめたせいらしい。ぼろぼろになった身体と心。会社の人は誰も手を差し伸べてくれなかったという。この話を聞いて「可哀そうに」とあなたは言う。でも、「仕方ないよね」と続けるのだ。だって「仕事だから」

あなたの仕事。まわりまわって、地球環境を傷つけているらしい。人びとを苦しめているらしい。でも「しょうがないよね」とあなたは言う。こっちは「仕事だから」

私との約束。あなたは普段、約束の時刻の10分前に来てくれるから、私も10分前に行く。10分前、あなたはいない。2分前、あなたはいない。「待ち合わせ場所を間違えたかな?」と思って、LINEをチェックする。よかった間違えていない。待ち合わせの時刻1分過ぎ。あなたは来ない。LINEも来ない。10分過ぎ。来ない。「約束の時間を間違えたかな?」と思って、LINEをチェックする。よかった間違えていない。15分過ぎ。来ない。「あれ、もしかして日付間違えた?」間違えていない。「カフェで待ってるね」とLINEを送る。既読はつかない。だんだん不安になってくる。事故に遭ったかしら?体調が悪くなったのかしら?.....一本の通知「ごめん、今向かっている。あと10分くらいで着く」「急がなくていいよ」と送って、ほっと一息つく。遅れたことを詫びるあなたに私は尋ねる「なんで連絡くれなかったの?」あなたは「連絡できなかった」のだと言う。そして、悪びれずに言い放つのだ「仕事だから」

役所での手続き。私かあなたのどちらかが、平日の昼間に時間を取らなければならない。「予定が立て込んでて、ちょっと厳しいんだけど、行けないかな?」そう問いかけた私を奇妙なものでも見るかのような表情であなたは言う「え、ムリだよ」そして、そう、言い放つ「仕事だから」

あなたばかりを責めたけど、私だって「仕事だから」を使ってしまう。だから、お互いさまなのだけれど。横暴で、思考停止した、私が嫌い。

こうやって、私たちの関係はちょっとずつ冷え込んでいく。


私のなかで、「仕事」という言葉から抱くイメージと、「はたらく」という言葉から抱くイメージは大きく違う。「はたらくってなんだろう」というnoteのハッシュタグを見て、そんなことを考えた。

「仕事」というのは、どこか自分から切り離されているもののようなイメージ。だからこそ、「仕事をしている私」には社会のなかで、何か特権を与えられていると勘違いしてしまうのだと思う。「仕事をしている私」は偉いから、仕事の外での人間関係は疎かにしてもかまわない。「仕事をしている私」は偉いから、多少悪いことをしても許される。「仕事をしている私」は偉いから、仕事の中身についてちゃんと考えなくても許される。「仕事をしている私」は偉いから、自分の人生から目を逸らしていてもいい。

「仕事だから」という言葉のもとに、横暴なふるまいも、思考停止も許されているというのはただの錯覚なのだけれど、「仕事」という概念が自分から離れている分、錯覚を見続けたままでいられるのかもしれない。

対して、「はたらく」というのは、もっと自分の身と結びついているイメージ。「はたらく」というのは、私のなかで「はたらきかける」という動作と結びついている。誰かに「はたらきかける」、ある事象に「はたらきかける」、社会に「はたらきかける」。それが「はたらく」というイメージ。「はたらく」というのは、必ずしも何かの代償を得るための行為ではない。「はたらく」ということそのものが、私が生きるということなのだと思う。横暴なふるまいをすれば、それは私自身が横暴な人間だ、ということで。思考停止に陥っていれば、それは私の生が、考えることを放棄したままで進んでいるということで。そんなことは恐ろしくて、恥ずかしくて、耐えられないから、私は振る舞いを正し、考える。

自分のなかで、歪んだイメージと共にある「仕事」を、「はたらく」ということと重ねていけたなら、もうちょっとマシな人間になれる気がする。

世の中に溢れる「仕事だから」に、私のなかにある「仕事だから」に、私たちの間にある「仕事だから」に、私は冷たい視線を投げかける。ちょっとずつちょっとずつ「はたらきかけて」いく。

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