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反省は、自分のなかからしか出てこない

テレビで謝罪会見を見て、心が冷えていくように感じるのは何故だろうか。

GoToトラベルで遊びまわっていた知り合いが「あれは政府が悪かったよね」と言ったとき感じる、この胸のざわざわする感じは何だろうか。


キーワードは「反省」だと思う。

「反省しろ」「反省するべきだ」そういう声をよく聞く。そう言いたくなる状況はよく分かる。

でも、真の「反省」は自分のなかからしか出てこない。


「反省しろ」「反省するべきだ」という声に応えようとして発せられる言葉、感情の昂ぶりをそのままになされる謝罪会見。そこには「失敗した」「困ったことになった」という気持ちはあるかもしれないけれど、本当の「反省」はない。罪を謝る気持ちはあるけれど、例えば「それが本当に罪なのか自分は分かっていないんだ」とか、「どうすればこの結果を回避できたのか分からないんだ」という「反省」につながるような気づきはない。あったのに、「早く謝らなきゃ」という焦りが募って、どこかに置いてきてしまったのかもしれないけれど。

だから、「反省」のない謝罪は、見る人の心を冷ややかなものにする。


COVID-19の感染が再び拡大するなかで、GoToトラベルで遊びまわっていた知り合いが私に言った。「あれは政府が悪かったよね」

私は初めから、GoToトラベルという政策に反対だった。私はなるべく家から出なかった。そんな私を「観光地の産業に携わっている人々のことを考えていない。経済で死ぬ人もいる」と責め立てたその口で、悪びれる風もなく言った。「あれは政府が悪かったよね」

あの政策は悪かった。

でも、強制されたわけでもないのに、ホイホイと旅行しまくっていたあなた「も」悪い。

「反省してほしい」と私は思った。でもきっと、私がそれを言ったところで、本当にその子が反省するわけではない。反省につながるわけでもない。むしろ逆効果の可能性が高い。

どうすれば伝わるだろうか。自分の頭で考えて、判断して、間違ったら反省する。その大切さを、どうしたら伝えられるだろうか。


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