見出し画像

「私は関係ない」なんてこと、この世にはたぶん無い

例えば、ジェンダーの話や人種問題について話して、「私は関係ない」と冷ややかに返されることがある。

あるいは、自分が縁遠いテーマについて感想を言ったら、「関係ないのに口を挟むな」と苛立った調子で言われることがある。


ふと思う。

「私は関係ない」ことなんて、この世にあるのだろうか?

しばし考えて、思う。

たぶん、ない。


私はアセクシュアルで、セックスをすることはないかもしれないけれど、どうしたら幸せなセックスができるか、考えている。学んでいる。(よかったら私のマガジン読んでね⇒「モテとか、幸せとか、セックスとか」)

不幸なセックス、悲しいセックスは、すべてこの世の中から無くなれ!幸せなセックスだけになれ!と思っている。

セックスをしない・できない私が、こんなことを願うことは変なことだろうか。おかしなことだろうか。いけないことだろうか。


私は子どもがいないけれど、教育について考えている。最近は環境問題についても考えている。学んでいる。この社会の未来について考えている。私が死んだ後の社会が幸せであってほしいと願っている。

それは変なことだろうか。おかしなことだろうか。いけないことだろうか。


変だろうと、おかしかろうと、いけなかろうと、私は考え続ける。学び続ける。だって、これが「善」だと感じるから。良いことだと、そうはっきりと知っているから。

無関心でいること、自分が上手く扱えない問題には関わらないこと、心をざわつかせることには近寄らないこと。そういうスタンスが、カッコいいとか、賢いとか、本当は良いことだとか、そう思っている人が少なくないように感じる。社会全体がそう思っているようにすら感じられてしまう。

私は知っている

無関心は大きな悪だ



この記事が参加している募集

最近の学び

サポート頂けたら踊って喜びます 学費に充てます