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「私はアセクシュアル"かもね"」って言う理由と悪魔

私は「私はアセクシュアルだ」と断言しない。

このアカウント名みたいに、「私はアセクシュアル、かもね」って言っている。

それは、「私が他人に対して性的な欲求を抱かない」ということを、どういうわけか全力で否定してこようとする人がいるから。それに応じて、”ない”ことを証明しようとするのは不毛だ。俗にいう、悪魔の証明ってやつだ。ラテン語でいうところのprobatio diabolica。ぷろばーてぃおー でぃあぼりか 魔法の呪文みたい。

無性愛者だと思っている私が誰かを性的に愛すること、異性愛者だというあの子が同性を好きになること、同性愛者だというあの子が異性を好きになること、あるかもしれない。あったらダメなんてことはないはずなのに、それをダメって言ってくる人がいる謎。

変化を嫌う人がいる。「前はこう言ってたじゃん」って眉をひそめる人がいる。確かに一貫性は社会生活で大事かもしれない。けれど待って、立ち止まって考えて、セクシャリティって誰のためにあるの?

私に悪魔の証明をさせようとする人へ。

この世界には他にも私が証明しなきゃいけないことが沢山あるので、あなたの興味を満たすためだけの証明は、後回しにします。悪しからず。

自分のセクシャリティを証明しようともがいている人へ。

自分が本気でやってみたいと思っているのだったら、止めないけれど、売られた喧嘩を買ってるだけだったら不毛だよ。それで心身すり減らすのは本当におすすめしない。


私の過去記事「童貞・処女だからでしょ?と言われて、もがいたアセクシュアルの話」とか、「アセクシュアルって”気軽に”自称したら、ダメ?」に書いたことと重なるけれど、「アセクシュアル、かもね」というアカウント名を使っている理由をもう一度自分でも確認したくて今日の記事を書いてみた。

(「悪魔の証明」っていう素敵なワードを使いたくてうずうずしていたからではない...かな☺)




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