【生い立ち】幼稚園年長 多動 アナウンサーのモノマネ好き?
(※WAIS-IVとWAIS-IIIの数値が混在して、少しややこしかったことから、note名を若干変更いたしました。
ASDとADHD IQ差は40以上(群指数差54)→ ASDとADHD 群指数差54(WAIS-III IQ差46))
10日ぶりの投稿となり、間が空いてしまいました。
昨日、心療内科に行くと、尿漏れなどの副作用が見られる「アトモキセチン」は続けてみるように言われました。尿漏れについては漢方薬を処方されて、昨日から飲み始めました。それでもまだ尿漏れはあります。
さて、少し間が空いてしまいましたが、幼稚園の年中時代に続き、年長時代について、今日はご説明したいと思います。
幼稚園の年長時代を神戸市東灘区の六甲アイランドで過ごしていたのは1992年のこと。ほぼ30年前のことです。
幼稚園ではおとなしめ、家ではハイテンション
幼稚園ではおとなしめで、要領が悪く、みんなについていけなかったりして、泣いてばかりでした。それでも年中時代よりかは泣く回数が減ったような気がします。
幼稚園では年中時代は友だちがおらず、遊びに誘ってくれた子も断ってばかりでした。しかし、年長時代は鉄道が好きなおとなしめの子と仲良くなり、家に行ってプラレールや鉄道模型で一緒に遊んでいたこともありました。
その一方、家では、やたらとハイテンションだったことが多かったと思います。特にビデオカメラで両親が撮影してくれていたときは、ひとりでカメラの前でよくしゃべっていました。
テレビのアナウンサーのモノマネ
よくあったのが、テレビのアナウンサーのモノマネをよくしていたことです。
インターネットがなかったこの頃、情報源といえばテレビのニュースです。僕も家族も本当によくテレビを見ていました。
「おかあさんといっしょ」(NHK)などの幼児番組も見ていましたが、特によく見ていたのが「マジカル頭脳パワー」、「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」などの(日本テレビ系)などといったクイズ番組と、「NNNニュースプラス1」などのニュース番組でした。
特にニュース番組のアナウンサーのモノマネをよくしていました。
テレビの提供読みをまねして、「この番組は、明治製菓、山一證券、マクドナルド、サンスター、キッコーマン・・・・・・の提供でお送りします」と父親が撮影しているカメラの前で一人でしゃべっていました。
企業の名前などはこのころからよく知っていたようで、企業名に限って、小学校前から漢字が読めていたのかもしれません。
能登半島に家族で旅行に行ったときは、旅館の部屋で、やたらと走り回ってはしゃいでいました。
多動もかなり見られた幼少期
今思えば、一人遊び好きで、独り言ばかりのASD(自閉症スペクトラム)ながらも、現在では、あまり見られなくなったADHDの多動の部分もかなりあったのかもしれません。
物や人をたたいたり、壊してしまったりはなかったものの、あまりじっとしていられない子だったような気がします。
発達障害のうちの、ADHD(注意欠陥・多動性障害)の多動の部分は、年齢が進むにつれて、表れにくくなってくることが多いと思います。
筆者の世代であれば、幼少期に多動があったとしても、発達障害が知られていない時代なので、知る由もなかったのです(ADHDであまりに落ち着きがないと問題児として見られていました)。
ASDや、ADHDの注意欠陥の部分だけだと、おとなしい子に見えて、周りから見ると発達障害に気づかれにくいです(特に女性の方には多いのではないでしょうか?)。
これが、発達障害が見過ごされて大人になってしまった原因です。