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【生い立ち】小1 多動だったのか足をバタバタ

いつもスキをしていただき、ありがとうございます。また、WAIS-IVの有料記事をご購入いただきました方、誠にありがとうございます。
早いもので、昨年8月6日のWAIS-IVの診断結果(2回目の発達障害診断)から1年が経ちました。この1年で大きく事が進みました。

2010年のWAIS-IIIの際は、大学受験で失敗したトラウマの某国立大学附属病院での診断だったことや、当時は発達障害での障害年金請求は非常にハードルが高かったこともあり、自分で請求するも一度棄却されました。
このWAIS-IVの診断をきっかけにして、社会保険労務士さんに相談し、昨年12月末に障害年金を申請していただき、今年4月に再チャレンジで支給がおりました。

また、自身の発達障害についての発信の場を、YouTubeからこのnoteに移しました。
おかげさまでもうすぐ一年になります。お読みくださって、応援してくださっている皆さまに心から感謝申し上げます。引き続き、noteを続けてまいります。

睡眠導入剤の方は、7月末から、再びマイスリー(一般名:ゾルピデム)5mg×2錠が処方されるようになり、レンドルミン(一般名:プロチゾラム)0.25mg×1錠との併用になりました。相変わらず効いているかどうかが全く分からない抗うつ剤のトリンテリックス20mg×1錠もセットです。

レンドルミンのせいか、朝がボーっとしやすいですが、マイスリーのおかげか、寝つきまでの時間は改善されました。

さて、前回からかなり空いてしまいましたが、生い立ちについて記したい思います。

<前回まで>
【生い立ち】幼少期(3歳まで)

【生い立ち】幼稚園年中 集団行動が苦手

【生い立ち】幼稚園年長 多動 アナウンサーのモノマネ好き?


人工島のピカピカの小学校に入学

1993年4月、筆者は神戸市東灘区の人工島である六甲アイランドにある開校したばかりの小学校に入学します。当時は、街開きからまだ6年だったので、真新しい校舎でした。

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六甲アイランド(2020年2月に撮影)

幼稚園は人工島の外にある私立に通っていましたが、小学校は島の中の公立です。幼稚園時代からの同級生もわずかながらいました。

友だちは少し作っていましたが、どちらかと言えば同性よりも異性の子に興味がありました。

多動なのか運動会で足をバタバタ

しばらくして、すぐに運動会(秋ではありませんでした)がありました。
この学校の運動会では幸いにもピストルは使っておらず、笛でした。
また、開校や入学から間もなかったからか、徒競走などの種目やダンスはありませんでした。それで、この学校の運動会は、楽しんでいたと思います。

運動会では、自分で一人盛り上げたかったのか、足を一人だけバタバタさせて応援していました。
これは幼い時には目立っていた多動の影響だったからかもしれません。これは父親が撮ってくれたビデオカメラ映像に残っていました。多動があったとはいえ、授業中に廊下に出るなどの目立った行為は全くありませんでした。

入学から2か月で別の市に転校

入学してからわずか2か月後の6月12日に両親の事情で、人工島の外の東隣の市に引っ越すことになりました。おそらく、筆者が小学校開校後初の転出だったかと思います。

転校先の公立の小学校はその年に創立60周年を迎えた歴史のある小学校です(実はこの学校は、東京都の小池百合子知事の出身校です)。2002年に校舎は建て替えられていますが、この当時は昭和時代の古い校舎でした。

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(転校後の小学校。旧校舎時代の卒業前に撮影)

変な子と思われていた転入直後

しかし、入学式から2か月遅れで小学校の転入したクラス。
転校生にはよくある話ですが、やっぱりからかわれたり、変な子と思われたりしました。
ただ、冗談が理解できず、学校に行くのが嫌になってしまいました。友だちになったのは同じマンションや近くのマンションに住む異性でしたが、彼女たちにもからかわれていたこともありました。

2学期の終わりぐらいにはなんとかクラスには慣れてきて、からかわれることも少なくなりました。

初めから怖かった運動会のピストル

一方、創立60年のこの小学校は、日本の小学校では伝統的な10月開催の運動会です。
もちろん、徒競走やリレーではピストルを使っていて、この当時からの音におびえていました。このころから高校3年の2004年まで運動会が嫌になってしまいます。

<参照>

小1~高3の12年間、秋が憂鬱だったわけ

そして徒競走(50m走)もビリでした。また、この小学校では、徒競走以外に音楽に合わせてダンスをするという種目もあったのですが、運動が苦手で、運動会までの体育の時間に何度練習してもついていけませんでした。
このときは、両親のほかに、祖父母も来てくれたのですが、楽しめるどころではありませんでした。

運動会の次の憂鬱になった音楽会

また、この小学校では毎年11月に「音楽会」と呼ばれる合唱・演奏会があります。合唱は問題なかったのですが、演奏会では鍵盤ハーモニカを使った演奏がありました。

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(鍵盤ハーモニカの写真、Wikipediaより)

手先が不器用(発達性協調運動障害、診断はされていませんが、おそらく可能性が高い)だったので、指が思うように動かなかったのです。また、「ドレミファソラシド」のシールの部分が素早く押さえられず、苦戦しました。これがきっかけで、小学6年まで音楽会もあまり楽しめず、今になるまで楽器の演奏はほとんどダメです。

学校より家が好きだった

家ではテレビゲームはしていませんでしたが、ドラえもんやクレヨンしんちゃんなどのアニメや、マジカル頭脳パワーなどクイズ番組をかなり見ていました。さらに、アニメの主題歌はよく歌っていました。

しかし、学校ではほとんど叱られなかったものの、家では母親によく叱られていました。また、傘やハンカチなどを紛失していました。おそらく定型発達の子ではありえないような頻度でなくしていました。

それでも、学校より家が好きでした。

小学1年の終わりには、発達障害を象徴するような出来事がありました。それは後日、別の記事で紹介させていただきます。