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ダイエット小噺 2話〜こじらせ女子大生の実態〜

今、わたしは、非常に困っている。

「こじらせJD、略して、KJD」

という名言が思い浮かび、ドヤ顔で電車に乗っていたにもかかわらず

「かわいい女子大生」も、「きれいな女子大生」も、KJDであることに気付いてしまったのだ...

とりあえずまあ、よしとしておこう。

19歳の頃にはすでに、私はKJDと化していた。

KJDである自覚は皆無であったが、長期休暇に友人達と撮った写真を見ると、「うわ〜拗らせてるな〜あはは〜」と、自ら滝壺に飛び込みたくなってくる。

大学2年生の夏休み

大学2年生の夏休みは、人生ピークの夏休み。
就活もないし、実習もない、ある程度決まった友達もいる。
もう、無敵な状態である。

海外ボランティアに興味を持った私は、1週間ほどセブ島に行くことになった。

参加するメンバーは、知らない土地から来た、知らない女子たち。集まったのは女10人。
3人ぐらいの仲良しグループで参加している人もいれば、私のように1人で来ている人もいた。

海外ボランティアプログラムと言っても、所詮夏休み中の大学生のお遊び、丸一日フリーの日が事前に用意されていた。

その日は、セブ島ご自慢の海に行き、夏を満喫することとなっていた。

その日のために参加者は皆、お気に入りの水着を用意し、日本から持って来ていた。

胸元にピンクや花柄のふりふりがついたビキニを着て、おへそと太ももを露わにした女子達はバナナボートに乗ったり、砂浜で思いきりジャンプする写真を撮ったりしていた。

そんな軍団に一人、パツパツの競技用水着(黒)を着ている異色の女がいた。

そう、それこそまさに、私だった。

半袖半パンの競技用水着を見事に着こなし、白浜でジャンプしている私はセブ島にも周囲の女子とも不釣り合いに見えた。

これから10キロ先の島を目指して遠泳にでも行けそうな様であった。

当時の私は、純粋に「女を楽しむ」ということを知らなかった。

見た目だって日本人の標準体型だったし、今考えたら何をそんなに負い目に感じることがあるのか、謎に包まれている。

ただはっきりしていることは、女であることを自覚し、女であることを武器にすることは、私にとって「恥」だった。

水着を着るなんて恥ずかしい行為をできない、私はそんな調子に乗った女じゃない、そう思われたかったのだ。
自信がないとかではなく、「自分は人とは違う」という様を周囲に見せつけ、自分が女であることを素直に認められなかった。

ディズニーに行けば、1人だけキャラクターの耳を拒否し、自撮りをすることはナルシストのすることだと思っていた。

ただの空気読めないJD、
略してKJDの誕生であった。

激闘!髪型泥沼七変化

大学生にもなると、ほとんどの女子はミディアムとロングを繰り返したり、綺麗なボブを継続させるために頻繁に美容院に行ったりと、ある程度決まった髪型をする人が多かった。

にもかかわらず、私の大学生時は、
「激闘!髪型泥沼七変化期間」であった。

私の髪が目まぐるしく変化することに、周りの友人もさぞかし驚いていたことだろう。

胸より長かった髪が、いつの間にか顎より上になっていたり、今度はパーマをかけてきたり、
と思ったら前髪を急に短くしたりと、まさに七変化していた。

私は、まるで忍者のようにドロン変身を繰り返し、そしてどの髪型も似合わないことに絶望していた。

七変化の内容を思い出してみよう。

◯大学1年生時◯
入学時は茶髪ストレートロングに徹し、中村アンに憧れ、意外に似合うんじゃないかと期待して前髪も伸ばす

◯大学2年生時◯
ストレートに飽きた私は、自分の顔が丸いことを忘れ、人生二度目のボブにトライ。

ボブにトライしたものの、あまりにも似合わないことに気付き、打開策を思い付く。そして、自分の首が短いことを忘れ、ボブにパーマをかける。その姿はANNIE

◯大学3年生時◯
当時流行っていた髪型にしたくて、前髪をオン眉にしてみるものの、肝心の眉毛はボサボサ。

その後、実習があったので、黒髪にする。
実習が終わり茶髪へ。

◯大学4年生時◯
就活で再度黒髪にするもやはり似合わないことを再認識。就活が終わり茶髪へ。大学2年から切っていない髪に重々パーマをかける。

当時のことを振り返ると、髪型が似合っていないというよりかは、
似合う努力をしていないという言葉が非常にしっくりくる。

メイクにも興味がなかったし、全体的に太っていたし、自分に似合う髪型や服装を知ろうともしなかった。

その様は、基礎的な技を身につけないまま、高難度の技にチャレンジしてみたものの、結局大怪我を負ってしまった子どものようであった。

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