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[推し本]あらゆることは今起こる(柴崎友香)/励ましの歌コーラス隊in脳、かぁ!

試し読みはこちらから。

珍しく、小説ではなく著者自身の経験談です。
数年前にADHDと診断を受け、子供の頃からずっと地味に困っていたこと、周りからわかりにくい脳内多動、すぐ眠くなる、片付けられない、マルチタスクできない、過去も現在も未来も等価で捉える、など当事者としての世界の把握の仕方や感じ方がわかりやすく書かれていてとても興味深いです。
誰でも多かれ少なかれ、あるある、と思い当たることもあるでしょうし、なるほど不思議な感覚なのね、と思うこともあるでしょう。

一方で、ADHDに対する世間の画一的な見方や偏見にはとても注意深く書かれていて、ADHDといってもいろいろな特性があるし、困っていることも人それぞれ、良いとか悪いとかでもない、多数派だからと少数派を上から目線で扱うことにもやんわり釘を刺しています。

パクチーの味が遺伝子レベルで感じ方が全く違う、というのは初めて知りました。違う遺伝子だとどういう味になるのか、私は決して経験できない。犬の世界はモノクロだそうですが、それも私には決して経験できない、というのと似たようなものでしょうか。
私は私の身体を通してしか世界を感じられない、他人の感覚を持つことはできない、というのは当たり前すぎるのに、私がこうだからあの人もこう、と同一視しすぎて、その錯覚の中で社会はどうにか多数派を形成しているのでしょう。

コンサータという薬の効用(あくまで著者個人の)について当事者視点から詳しく書かれています。ADHDの人の脳では、励ましの歌を歌ってくれるコーラス隊(=報酬系がきく物質)が好き勝手しているイメージがなんともユーモラスなのですが、これって自己責任とか気合いが足りないとか言われがちなところを救ってくれる発見でしょう。なんというか中動態的?そしてコンサータはそのコーラス隊におやつ与えて落ち着かせる、というものなのですね。

ただこのADHD特性は小説家をなりわいとするのに向いていたようで、だからこそ多くの作品が読めるのはファンとして嬉しい限り。ADHDの人が全員小説家になれるわけでもないですが、柴崎友香さんには小説家になってくれて本当にありがとう、と言いたいです。

著者がADHDと聞いて逆に納得ですが、それは「ビリジアン」での独特の時間感覚、「パノララ」での同じ時間・空間にいても自分と他人に横たわる絶妙なズレ、「寝ても覚めても」での一人の経験はその一人にしかわからないということ、「わたしがいなかった街で」「その街の今は」「百年と一日」のように場所に昔と今の記憶を重ねていく手法にも現れていると思います。

また、著者自身がすぐ眠くなり体力的に頑張れないために、常に低空飛行気味で、できないことには手を出さない、すぐ諦める、と取ってきた自己防衛手段は、多くの作品に登場する人物の上昇志向の薄さ、会社や組織に染まろうとしないところ、人を押しのけて我を通すよりあっさり譲るのれんに腕押し的な性格、でも何も考えていないわけではなくいろいろ観察して細々考えている、自分が好きなことは手放さない、というあたりにも反映されていそうです。

ケアをひらくシリーズ、そうと知らず読んでいたものもありますが、改めて編集者の白石正明氏が積み上げてきたアセットはすごいですね。

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